治る事のない精神疾患の姉 | それでも私は生きてきた~性的虐待、刑務所、母自殺を経て~

それでも私は生きてきた~性的虐待、刑務所、母自殺を経て~

性的虐待から刺青、覚せい剤、母の自殺、何度も死を考え生きてきた私の人生を嘘偽りなくブログに書かせて下さい。

半年振りに子供と再会し

それから週に1度、子供に会いに施設へ通った


少しずつ子供が姉と私に慣れていく


そのうち、


「涼、また来るからね」


と手を振ると、

行かないで

と言わんばかりに泣くようになった



子供に涙を見せないよう
唇を噛み締め
施設をあとにする


自分の子供と一緒に寝ることも
甘えさせてあげることも
一緒にご飯を食べることも出来ない姉は

次の子供との面会までの1週間
精神状態が不安定になることが増えていった


やっと見つけた仕事をしながらも
食事を摂らず
日に日に痩せていく姉を毎日見ているのが辛かった


いつ子供が帰って来るか、児童養護施設の担当者は教えてはいけない決まりがあった


毎日痩せ細りボーッとする姉を見ていると

私自身まで病んでしまいそうだった



また隠れて大量の薬を飲み

またあの時のようになることを想像するだけで
心が重くなった




姉は、妊娠した時、医師から忠告されていた



「貴女は子供を産んではいけない…」



姉の心の病はいつしか薬物依存という病名に変わっていた


姉は一生薬を飲まなければいけないと診断されていた


子供を産んでも、姉に育児が出来るような状態ではないことを
病院の医師はわかっていた


それでも頑固な姉は意固地になったのだろう


妊娠中に彼と二人で関西へ行すに