コブクロ「風見鶏」
幾重の願いが空の果てに弧を描くよ
ここにも「虹」があったね。
揺らがないね。君たちの想い。いつの日も。
11年前も。今も。
夢だけ先に 放り投げてよじ登り
祈りの陽を 見つめていた
この頃コブクロを聴きなおしていると
以前とは違う意味を受け取ることが良くある。
これが音楽のチカラだと想う。
その時 その場所 そのココロに
溶け込むようにして 浸み込んでくるフレーズ。
目の前にある塊を
時には
鷲掴みして 遠くへ 力いっぱいブン投げてくれたり
時には
掌でゆっくりとあたためて 優しく丁寧に 解きほぐしてくれたり
そうしてそこを平らに均(なら)してくれる
優しさ見失ってまで強くなって 何を守れるだろう
一番そばにあった笑顔が 咲く場所探しているのに
優しくなれないなら
強さなんていらない。
昨日そう想った。
これまでのあたしは
強さにばかり憧れていたんだ。
父親の代わりになろうとしてた。
欠けてるなら 欠けてるままでいい。
足らないなら 足らないままでいい。
父親はいない。
その事実は真実で。
その空っぽになってしまった部分を埋めるために
母親が父親の役をいくらやってみたところで
ニセモノでしかないわけで。
当然埋まらないし、受け入れてはもらえない。
子供は純粋で
真実をほしがる。
欠けてるところを 足りないところを
埋めるモノは 子ども自身が選ぶものなんだね。
それはきっと あたしが意識的に ねじ込むものではなく。
本人が あたしをみて感じるもの そこから選んで
自分で埋める作業をするのかもしれないね。
そこにはあたし以外の誰かから受け取るものも入るのかもね。
あたしはあたしでしかいられない。
だけど
あたしが関わる世界の中で あたしの立ち位置ってのは沢山あって。
そこであたしがどう「在る」かを。
子供たちは視てる。感じてる。聴いてる。
よじ登ったフェンスの上で 祈りの陽を見つめながら
その高さに 身のすくむ想いを何度味わったかな。
そんな時には 眼を閉じて 深呼吸して 祈るんだ。
恐れや不安なんていう足枷を どうか外してほしいと。
そうやって立ち止まった時間を 今この瞬間を
注意深く 味わうと良いのだと カードが教えてくれた。
フェンスの上に腰掛けて 大好きな音楽を聴く。
ただそれだけ。感じるだけ。あるがままに。
それもいいね。
それが本当に
大事なものを 大切にする ということなのかもしれない。
音楽は神様があたしに与えてくれた
最高のツール。
どんな出来事もメロディに乗って昇華していく。
そして昨日の夜 北の大地から 一通の封筒が届いた。
まだ雪の残るという街から 桜の開き始めた街へ。
同じツールを持ってる彼女からの贈り物を
今日はポケットに入れて持ち歩くよ。
狭くなったあたしの視界を
彼女が選ぶ曲は ぐっと広げてくれるから。
きっとすごく歩きやすくなるんだ。
いつもこうして見守ってくれる友に。
ありがとうね。