聴いたことないヒトには
わかりにくいよね、と思って。
BUMP OF CHICKEN『友達の唄』
この曲ね、今上映中のドラえもんの映画のエンディング曲。
あたし知らなかったのね。
映画が終わって
イントロが流れて
フジクンの声が聴こえた途端、涙があふれでた。
歌詞を理解するより早く
メロディラインと優しすぎるフジ君の声が
あたしのどこかを弾いたからだ。
フジクンの声には、温度を感じる。
昔かずさんが、潤くんの優しさには温かさがあります、と言ったように。
フジクンの温度は恒温に見える。
見える、だけだけど。
その内側は計り知れないもん。
恒温に見える彼の歌う声。
その声をあたしは主に聴覚、それと
幾分かの何かに触れるような感覚を通して受け取って
複雑に温度変化するそれ、を
あたしの全部に行き渡らせる。
フジクンに感じる「温度」には、熱い・冷たい・はあまり、ない。
記憶の中にある、今まで過ごした季節の温度なんだよね。
覚えてる、その温度を
カラダやアタマやココロが思いだすきっかけをくれるのが
彼の「声」と、共に響いてくるメロディだ。
恒温に見えるフジクンの声に
なぜあたしが温度を感じるのか。
彼がこういう曲を創るヒトだから。
66号線/BUMP OF CHICKEN
セントエルモの火/BUMP OF CHICKEN
あたしが音楽を聴いて感じることは
あたしが今まで経験してきたモノゴトにリンクする。
だから泣いたり、ほっとしたり、支えられたりする。
次の一歩へ背中を押してくれる。
どうして泣いちゃったんだろう。
どうしてほっとしたんだろう。
何に支えられてるんだろう。
いつも理由を探してしまって
何か意味を見出そうとして
ぐるぐる考え事ばかりしてるあたしに
音楽は小さな光の射す出口の方向を教えてくれる。
音楽が生きるための糧、とはよく言ったもので
あたしのどっかは
音楽を食べて生きながらえてるんじゃないかとさえ思う。
その音楽の中でも
BUMPの存在ってゆうのは唯一無二で。
「望む」ということを
あきらめずにいさせてくれるんだ。
歪んでねじれた切ない渇望ですら
許してくれる。
傷つけたり、傷つけられたりで
治る暇のない血だらけのココロを
守ってくれるんだ。