7年前に書いた日記を
3年前にコブクログに転記した。
それを久しぶりに読み返してみた。
2008-09-18 12:08
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みなさんいろんなコメントありがとう。
何度も何度も読み返しては
そこにある想いをあたしのココロに大切に移しています。
そして今朝。
髪を洗っていたら今まで何度か降りてきてた声がまた。
「書いてみたら」
何をか。
それは旦那さんの最後の1ヶ月を記したあたしの日記。
当時開いていたホームページに
吐き出すように綴った、ココロの血が滲んで真っ赤な日記。
「いつか。いつか、書ける日が来たら。」
何度もそう思って来たけれど。
今日は転記してみようと思った。
何の加筆もせずに。
きっと昨日読んだファミさんのブログやメールで
あたしのタイミングのスイッチが入ったんやと思う。
もうすぐ4年。
やっと振り返る準備が整ったのかもね。
ずっと土の中で眠っていた「種」の
新芽がここに記すことで芽生えることを祈って。
読まないほうがいいかもよ~
めっちゃ重いで~
あたし止めたで(;・ω・)
先に進むヒト覚悟出来てますか?
もし読んでくれたとしても
コメント書かなくていいからね(;・ω・)
こんなん絶対書きにくいに決まってるんやから。
読まなあかんなんて
思ったらぜったいあかんよ~
あたし止めたで!(;・ω・)
ほな書くな(`m´#)
とか言わないのっ(`・ω・´)b
では。
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2004年10月25日
骨の検査の結果、転移が疑われるとのこと。
(白血球の数値1500に下がっている。)
原因不明の発熱、腰や背中・太ももの痛みもこれに起因するらしい。
放射線治療で痛みが取れるとのことなので、明日、今後の治療の説明を受けに行く。
花子は風邪を引いているので、お留守番。
きっと治る。この四年間繰り返してきた、私の中の約束の言葉。
拓也は負けない。私たちを残してどこかへ行ったりしない。
ついこの前も言ったじゃない。きっと治る。絶対負けない。
私の大切なもの。
家族・友人・助産婦さんをはじめとする私をサポートしてくれる方々。
毎日の食事。これは子供たちの命を作ること。
はじめの一歩の母乳。離乳食から始まる食育。
健やかに育ってほしいと願いながら行うベビーマッサージやガルシャナ(シルク手袋での乾布摩擦)。
自分の体のためのyogaやアーユルヴェーダ。
少しの時間でも楽しい手仕事。針と糸、布や木でつくるあたたかなもの。
いのちの大切さが毎日の暮らしの大切さを教えてくれる。
2004年10月26日
昨日の夜ふらふらとネットサーフィンしていたらこんなことが書いてあった。
そうだよね。ガン細胞って要するに突然変異というか、完成されてない出来損ないの細胞でしょ?
よわっちいはずよね。拓也のガンも抗がん剤に対する反応はとても早く、
大きくなるのも早いけど、小さくなるのも早かったもの。
よわっちいから早く大きくなろうとするんだよね。
そんなよわっちいやつに負けるもんか。
拓也は強いんだ。
拓也の現状は厳しかった。やはり骨に転移したのだそうだ。
背骨、肩、アバラ、太ももの付け根。骨のレントゲンで黒くなっていた。
手術でとった肺の跡に水がたまっていて、その近くにも影が出てきた。
小さかった腫瘍がCTに写るほど大きくなってきたのだ。
何なんだ。何がどうしてこういうことになるんだ。
拓也がなんか悪いことした?
明日から放射線治療を始めることになった。
痛みを取るにはこれしかないとのことだった。
痛み止めが効かない。食事が取れない。強い麻酔をする。
副作用で便秘になる。おなかにガスがたまり痛む。食事が取れない。体力が落ちる。
とにかく痛みが取れて楽になれるのなら。
副作用の骨髄抑制にはまたそれに対する治療をしてもらえばいい。
拓也の体に痛みが来る前の私には考えられない選択だった。
肺の腫瘍を取ったのだから、東洋医学など体に負担にならない治療をすることを望んでいた。
いつも治療の選択は拓也自身に任せてきた。
でも、もし私がガンになったとしたら、外科手術だけは受けるが、抗がん剤や放射線はしないよ。という気持ちはいつも伝えていた。
正常な体の機能まで破壊する治療に疑問があるからだ。
なのに今回は私は放射線を勧めた。
早くして、早く痛みを取って、早く家に帰ろうと。
他の選択肢を考える余裕がなかった。
立っている、座っている、拓也と普段どおり話す。
それだけで精一杯だったのだ。
先生の説明を聞いてから病室に行った。
落ち着いてから行ったけど泣くだけ泣いた赤い目は隠しようがなかった。
泣いた目で来るだろうって予想はしてたけど、ほんとにそうでびっくりだと拓也が言った。
冗談ぽく、あと何ヶ月ですとか言われたの?とも。
手術が終わってやっと家に帰ってきたのに
また入院かと思うと寂しくて泣いたのだというと、そんなくらいで泣いたの?と言われた。
それくらいでも泣くわよ。だってそばにいたいもの。
負けるもんか。私たちが病気なんかに負けるわけない。
今まで一度だってそんなこと考えたこともない。
考える必要もない。だって治るんだもの。
子供たちが大きくなって独立したら、拓也とこはるが二人で暮らす
小さなおうちに建て替えるんだって約束してるんだもの。
拓也の好きなものを集めたガレージを作って、
こはるは思い通りのキッチンと手仕事用のアトリエを作って楽しく暮らすんだもの。
お願いだから、誰も、何も、私たちの夢の邪魔をしないで。
2004年10月27日
今日もスープを作った。具のリクエストを聞くとジャガイモだった。
お昼はまたそれで雑炊を作った。
毎食は飽きると思って、夜はおでんを買ってみた。
大根を少し食べてお汁を飲んだ。
病院の食事も1品残しただけでまぁ食べたほうだった。よかった。
今日は熱が下がったのでシャワーの許可が出た。
顔色も少し良くなった。
延長コードがほしいと言うので買い物に行った。
カットフルーツを探したらメロンがあったので買ってみたら
おいしくなかった。明日は梨を買っていこう。
買い物ついでに拓也の気に入っている雑貨屋さんに寄ってみた。
気分転換になればと思って、雑誌を買うと、レジの横に
数週間前に拓也がネットで見せてくれたキーホルダーがあった。
太郎の乗るおもちゃのミニチュアだった。
うれしくなって色違いで買った。
少し歩くとクリスマス用品のコーナーがあった。
毎年この時期、拓也とクリスマスツリーの飾り付けをするのが恒例行事だ。
サンタさんとトナカイの立体のカード(サンタとトナカイが走るように動く仕組みがついていた)とツリーの飾りを買った。
病室の雰囲気を少しでも変えたくて。
キーホルダーをみて、あったの!?とすごく喜んだ。
カードも楽しそうに動かしてみた。
カレンダーにカードと飾りをつけた。
雑誌を読んでる姿を見てると、以前の拓也のようで
もう退院できそうだわ、とか考えていた。
食事が終わった時に拓也が言った。
もう今日のイベントは終わったな。あとは検温だけ。
そんな風に時間を過ごしてるんだな。
今日もハンドパワーを送るからと手を握ったら
何をするのも気力がないと言った。
食事も味わう余裕がないと。
気力がないとか言うんじゃない、と言ったけど、
言っても良いから気力を持とうよ、と言いなおした。
気力がないとかもホントは考えてない。
そういうことも考えない。と言っていた。
何も考えられないと言いたかったみたいだ。
そうなんだろうな。
考えられない。考えたくない。
明日はコーンスープにしようか。
何が拓也を楽しませられる?
2004年10月28日
拓也の病状は相変わらず。
本当の今の状態を伝えるかどうかを決めかねている。
輸血をしても血液の状態が上がらない。
前日の状態を保つだけだ。
このまま輸血のタイミングを計りながら、放射線を当てて
本当に大丈夫なのだろうか。
ただでさえ下がっている骨髄の造血機能をさらに下げる結果になるかもしれないのに。
放射線治療の結果、成果が出て痛みが取れはじめるのは2週間後。
普段の生活ならあっという間のこの時間がとても先のことに感じられる。
いつまでこの状態が続くのか、と拓也が先生に言ったそうだ。
ベットの上で痛みに耐え、酸素チューブをつけて過ごす日々。
見てるほうもたまらないが、本人はもっとたまらないんだろうと思う。
最悪の場合、考えたくないけど、考えなくてはいけない時期に来ているのだろうか。
だろうか、じゃない。来ているのだ。いや、そんなことない。
また、治るはずだ。ぐるぐると頭の中をめぐっていく。
血小板の数が1万単位で落ちていく。二日で2万。木曜に4万になり、
金曜に輸血をしたのに今日も4万台。
2万がボーダーラインなのだそうだ。
2万を切るといつ出血が起こるかわからないとのこと。
本当に放射線は有効なんだろうか。
これ以上骨髄を痛めつけて大丈夫なんだろうか。
今、引き返すべきではないのか。痛み止めと酸素でQOLを保てるのなら。
今ならうちにつれて帰れる。
きっとよくなる。治るはずなんだ。今治療を続けて効果が上がって
骨髄抑制も輸血や薬の投与で切り抜けられれば、回復するはずなんだ。
毎日そうなるんだと思ってる。
しかしそれは私が楽になるための思い込みなのか。
残されている時間を計らねばならないのではないのか。
多少の痛みはあっても、子供たちのいる家に帰って、
できる範囲だけでも好きなことをして過ごさせるべきではないのか。
もう充分がんばってきたのに、先の見えない病院での時間を過ごさせるのは
拓也にとって幸せなのか。
わからない。どうしたらいいのか。
うすうすは感じているはずの拓也にこの気持ちを話すべきなのか。
必ず治るといい続けてきた私からそんな言葉を聞きたくはないはず。
だけど・・・。
あきらめてはいない。あきらめたくなんかない。
でも、その私のエゴが拓也を病院のベットに縛り付けているのではないんだろうか。
どうしたら?拓也にとって最善の道は?
2004年10月29日
今日は朝からスープを作って病院にもっていった。
レシピどおりに作ったらこしょうが効いてて少し辛かったので
お白湯で薄めたものと二つに分けて持っていった。
薄めたほうはそのまま飲めるように。
濃ゆいほうは、雑炊みたいにできたらなと思って。
病院について看護婦さんに食堂近くの流しでキャンプ用のコンロを使っていいかとたずねたら、他の看護婦さんと話してから、配膳室のコンロを使えるようにしてくれた。ありがたい。
それならと買い物に行き、白ご飯、土鍋、お玉、そばちょこ(お茶碗に)木のスプーン(口当たりが優しそうでつい買ってしまった)、ランチョンマット、コースター、他の患者さんに気がつかれるといけないので、それらを運ぶかごも買って、準備した。
もともと病院の食事が嫌いなので、雰囲気も変えられたらと器から用意してみた。気に入ってくれるかな。
一口食べて「おいしい」と言ってくれた。
横で覗き込んでるのだからそう言うしかなかったのかも。
食が進むようにと少し濃い味にしてたのだけど、だんだん辛くなったらしく
途中から病院食のおかゆと混ぜて食べた。
それでも3回おかわりしてくれた。良かった。
食べてくれると安心する。
帰りに、ハンドパワーを送ってあげる、と手を取って祈った。
だんだん良くなるよ。ひとつづつ良くなるよ。
痛みが取れて、血液の状態も良くなって、安定するからね。
そしたらおうちに帰ろうね。大丈夫だからね。
拓也も1つずつ、うなずいていた。
初めて帰り際に、おやすみ、と言ったら拓也も、おやすみ、と言った。
なんだか不思議な感じがした。
今日は帰ったらナイナイのオールナイトニッポンをCD-RWに書き込まなきゃ。
拓也の入院のいつものお供だ。
たくさん笑って免疫上がれ!
2004年10月30日
抱っこ法
みなさん、抱っこ法って知ってますか?
私もうまく説明できないんですけどね。ひとつの子育ての方法というか。
ありのままの君で良いんだよ。
いろんな気持ち、お母さんにぶつけて良いんだよ。
怒りも笑いも泣きも笑顔も、みんな君自身なんだよ。
素直に感じたことを私に伝えて良いんだよ。
お母さんはいつでも君の味方だよ。
そのままの君を愛しているよ。守っていくよ。
こういうこと、誰かに言ってもらうと安心しませんか?
この手法を助産婦さんを中心とした活動に参加して知りました。
二人目を取り上げてくれた助産婦さんを始め、私にはこの手法を知っている友人が何人かいて、いつも私の感
情を認めてくれます。こんなに安心することはありません。
今日も助産婦さんに、私に何ができるのだろうかと相談したらこんな言葉をいただきました。
すぐそばに行って抱きしめてたくさん泣かせてあげたいよ。
旦那さんもこはるちゃんも今選んでることは何も間違ってないよ。
いのちって強いのよ。計り知れないパワーがあるんだから。
こはるちゃんが選んだ旦那さんが負けるわけないでしょ。
(これって、いのち生まれる場に立ち会う助産婦さんの言葉だけに、説得力がありありでしょ。)
だから、もし外泊許可が出て帰ってきたら、抱きしめて泣かせてあげなさい。きっとたくさん我慢してるはずだから。思い切り泣かせてあげなさいね。そして、もうひとつたくさん笑わかせることね。
どちらも大切な治療よ。
私は今日、彼女ともう一人の友人に、電話でたくさん泣かせてもらって笑わかせてもらいました。感情を吐き出せる相手がいるってことはとてもありがたく、励まされることです。
みなさんもどうか、そんな風に感情を吐き出して、そういう自分を認めてあげてくださいね。
我慢している方は、まず自分のパートナーに素直な気持ちを話してみましょう。そんな自分を認めてほしいんだということも、です。
ただ抱きしめてほしいという一言だけでもいいと思いますよ。
自分を認めること許すことってすごく大事。
2004年10月31日
今日の拓也はずっとうつらうつらしてた。
薬の副作用なのか、睡眠薬がまだ体に残ってるのか、
それとも熱でボーっとしてるのか。
少し眠っては起き、の繰り返し。
何を今しているのかぼやーっとしてわからないと言っていた。
眠れるなら寝させてあげたかったので、私もベットの横で拓也の手を握って寝ようと思った。
手をつなぎ、寝ようとしたら指が動いた。眠ってるのか起きてるのかわからなかったが、私の手を確認しているようだった。
急に涙が出てきて顔が上げられなくなった。タイミングよく看護婦さんが来て顔がそらせたけど、気がついただろうか?
回診が終わって先生が血液検査の結果が思わしくないので輸血しましょうといった。そうすれば週末外泊もできるかもしれないと。輸血は、事故のけが人の人でもするだろうし、大きな問題はないと思って了解した。
そして拓也は放射線治療を受けに病室から移動した。残された私に先生が、血液状態を上げる為に輸血してでも、今週外泊しておいたほうがいいと思うんですといった。
そのとき、よく意味を理解していなかった私は、セカンドオピニオンをお願いしてる東洋医学の先生に血液検査の結果を持って行きたい事、そちらの治療も同時に行って、できることは何でもやりたいのでお願いしたいことを話して帰宅することにした。
でも、忘れ物をしたので取りに行くとたまたま先生がいたので、昨日拓也が冗談ぽく「あと何ヶ月とか言われたの?」とか言うんですけど、そこまでではないんですよね、と聞かなきゃいい事を聞いてしまった。
先生の表情は厳しかった。話される言葉も厳しかった。
今週外泊しておいたほうが良いというのは、その後どうなるか予想がつかないからだということにその時初めて気がついた。
一ヵ月後の予想もできないのだと。
今思えば私の悪い癖だ。わからないことがあると考える前に聞いてしまう。
いい加減反省した。それも反省してるのは今この日記を書いているときだ。
遅いっちゅうねん。
涙が止まらなくなってしまい、急いで車に戻って、私を姉妹だと言ってくれる友達に電話をかけた。
電話口で泣きじゃくってしまった。
私は春に実母を亡くしている。
お母さんがいなくなったのに、拓也まであたしを置いていっちゃったら
あたしどうしたらいい?
今までそんなことを考えたことはなかった。本気で治ると思ってきたのだ。
なのに口から出たのはそんな言葉だった。
友達は落ち着いて言った。
「そんなこと言うもんじゃない。
置いてなんかいかないよ。治るんだから。」
我に還るというのはこういうことかと思った。
そうだった。治るんだ。負けるはずないじゃん。
吐き出した感情を受け止めて、ほんとの私を思い出させてくれる。
こんな友人がそばにいることに感謝してる。
一時間ほど話してすっかり落ち着いた私は家に帰った。
帰ったら必ず、無事着いたと連絡するようにきつく友人に言われていたので
メールした。
明日は拓也にスープを作ろうと思って材料を買ってきた。
アーユルヴェーダの排毒スープだ。
名前からして魔女のスープみたいだけど、いろんなスパイスやハーブが入って美味しい。
といっても習ったばかりで自宅で作るのは初めてなので美味しくできるかどうか。
お昼にポットで持っていって、外泊できればそれでおじやを作るつもり。
まだまだ私にはやることがある。拓也を守らなくては。
魔女になって排毒スープでよわっちいガン細胞たちをたたきつぶしてやる。
2004年11月1日
国立がんセンターのサイトで、痛みは我慢しないできちんととって、日常生活を普通に行うことが可能であると読んだ。
副作用も解決法があるとわかり、今朝早速電話でお願いしたら、麻酔科の先生と相談してくれた。
主治医の先生は他の先生のサポートを受けつつ拓也の治療に当たってくれ、セカンドオピニオンにも積極的に資料を準備してくれ感謝している。
拓也は痛み止めが追加され、昨日よりは楽そうだが動くとまだひどく痛むようだ。
それでもレントゲンに行く時に、すっとベッドから立ち上がりまっすぐな姿勢でポケットに手を入れ歩いてきた。
びっくりした。しばらくそんな姿を見ていなかったから。
かっこいい。うれしくなった。
ホントの拓也に戻ったようで。
拓也の立ち姿は大好きだ。
駅のホーム。
待ち合わせして遠くから拓也を見つけた時。
すっとしたその立ち姿に何度惚れ直したことか。
びっくりした看護婦さん「痛くないの?」
拓也「ここだけサービス。笑」
車椅子に乗り痛そうな顔をした。
それでも私はうれしかった。
麻酔科と栄養士の先生と薬剤師さんが問診と追加の薬の説明をしてくれた。
飲み薬にもモルヒネを使うことに。
今晩には咳と痛みも軽減される。
栄養士の先生から何かリクエストと言われ、果物、さっぱりした味の濃くないおかずがいいと話すと
シャーベットやお茶の氷、アイスクリームも準備できると言われ、驚いた。
夕食を押し込んだ後食べたら、さっぱりしておいしいと喜んでいた。
毎日夕食前から寒いと言って夕食後には38度台の熱が出る。
二日間、熱くて目が覚め眠れないらしい。麻酔科の先生の話では今日は楽に眠れるようになるとのこと。
今この時間、ゆっくり眠っていてくれることを願う。
痛みが取れて食事もまあ取れて、昨日までの緊迫した感じは無くなってきた。
でも、それは薬の効果が出てきただけのこと。
進行が止まったわけでも、骨髄抑制が好転しているわけでもない。
それでも、少しずつ元気になってきたような気がして
私の精神状態も落ち着きを取り戻してきた一日だった。
ただ黙ってそばにいる。励ましたりしない。
子供たちのこと。読んでる雑誌のこと。改築した部屋のこと。ただそんな話をした。
普段の時間が流れたようだった。この雰囲気を保つようにしよう。
そばにいる。大事なことはこのこと。
いつものように。ただそこに私がいるということ。
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