先日、パートで作家の百田尚樹ファンの方が

「所長!知ってましたか?百田氏が新党を立ち上げたんですよ。大阪で街宣やったらしくて、たくさんの人が集まってすごかったらしいですよ!」 


と教えてくれました。


百田尚樹が新党を作ったという話は知っていましたが、大阪で街宣活動をしていたのまでは知りませんでした。

なので何を話したのか少し調べてみました。


ツイッターには百田尚樹が街宣で語った内容を解説しているものは色々とありましたが、少し気になる発言がありました。


それは「日本人は世界一勤勉な民族だ、それなのにこの30年経済成長してないのは、自民党が駄目だからだ」とういような発言です。


おおよそ間違ってはいないと思います。


竹下内閣の消費税導入から始まった、その後の様々な増税に継ぐ増税で庶民の手取りが減った。

それにより消費が冷え込み経済が縮小したと自分は考えています。


しかし、それだけではないと思います。

というのは、日本国民は本当に勤勉なのか?という疑問です。


本当に勤勉なら経済はもっと良くなっていたのではないか


先程の自分の考えとは矛盾しますが、創意工夫と新たな産業創出という観点で考えてみたならば、この30年間に新しい産業は生み出されたでしょうか?

少なくとも漫画やアニメ以外で世界的に躍進した日本の産業を自分は知りません。


ところでもし今の日本で勤勉と聞いてどういう印象を持つか?と尋ねれば、嫌なこと、つまらないこと、したくないことを我慢して続けると答える人は少なくないのではないかと思います。


しかし勤勉と我慢は違います。


辛い仕事に長時間耐える。

昨日と同じことを今日もやり、明日も同じことを繰り返し続けるそれは勤勉の範疇に入るかもしれませんが、そういう働き方からはアップルやマイクロソフト、グーグル、アマゾンやスペースXは出てくることはありません。


今、自分はちょうどルンバ開発者の本を読んでいるのですがそこには、不便なことををそのままにするのではなく、創意工夫してより便利にして人間の労力を減らす、という趣旨の事が書いてあります。

その結果、自分のプライベートな時間が増え、新たな勉強をしたり様々な体験する時間が増えたりする。


それがまた新しい産業を生み出すきっかけになったりします。


しかし日本にはそれが決定的に欠けている。


長時間、我慢して同じことを何十年も続けることは、日本においては美徳かもしれませんが、労働は苦役であり余暇の増大が美徳とされる欧米では罪にあたるかもしれません。


ルンバの開発においては、母親に掃除という余計な労働から解放し、その時間をもっと有意義なことに使ってほしい、というようなことが書いてありました。

トヨタを作った豊田佐吉も母親の機織りの仕事を楽にさせてあげたいとの思いで、自動機織り機を作ったと言われています。


会社や政府など、上から言われ通りに従順に従い、それに対して異変や違和感、苦しみがあっても気がつかなかったいや知ってはいたけれど声に出さずに、それを変える努力と行動をしなかったそれがこの失われた30年だったのではないでしょうか?


そう意味では日本国民も日本政府と同様に日本を停滞させたという罪があるかもしれません。


苦しいこと、嫌なことは我慢しない。

これ以上それは受け入れられません、それはおかしいのでは?と声をあげる。


そしてどうやったらそれが減らせるか、無くなるのかを考えて実行する。

それが本当の意味で勤勉に働き生活する、ということだと思うのです。


働くの言葉の意味は、傍を楽にするつまり、自分以外の誰かを楽にすることであり、自分以外の誰かを幸せにすることである、と言われています。


自分の働きによって誰かに余裕が生まれ、それがその人の幸福に繋がる生き方をしたいものです。


最近描いたイラストは木の葉と遊ぶ、です。

時にはこのような子供心を取り戻しても良いかもしれません。