9月からのワクチン接種が始まってから、偶然かどうか分かりませんが、都内各地の事業所のパートさん達の体調不良による欠勤が急に増えました。


中には元気に働いていた高齢のパートさんが急に具合が悪くなり、診察を受けた結果末期の癌だったりして、こんなことは初めてだ、と会社でもみんな驚いている状態です。


ところで先日のことですが職場の休憩室でこんなことがありました。


パートさんの1人が地上波のTV「そこまで言って委員会」という番組を見たらしく、その番組内で紹介された宮沢孝幸や岡田正彦先生の発言にびっくりした、と言うのです。

その内容は、コロナワクチンの危険性やオミクロン人工説を解説していて、知らないことばかりでかなり驚いたとか。


目覚めた人からは、今更何をという感じですが、TVしか信じない人から見ればネット上で陰謀論とされた内容がTV画面で流れたのはかなり衝撃だったようです。





その後、お昼休みに休憩室でパートさん達のちょっとした議論が行われました。


あるパートさんは、「仮にワクチン後遺症なるものがあって被害者が出たとしても、打たなければ世界中の人が感染してたくさん死ぬ可能性があったんだから、ワクチンで多少の犠牲者が出ても仕方ないんじゃないか?薬には副作用がつきものだし…」と語り、それに対して


ワクチン打ってない人は感染してもほとんど死んでないじゃないか、周りでワクチン打ってないやつは2割くらいいるけどまだみんな生きてるぞ、とか、今までは薬害で死者が出たらすぐ禁止していたはず、まだワクチンを政府が続けているのはおかしい、など色々反対意見もありました。


それを聞いていた自分はあることを連想しました。

それは過去中南米で栄え滅んだマヤアステカなどの古代文明での生贄の儀式です。


彼らの文明は自分たちの国の平和と安寧が続くことを願って彼らの神に若い女性や子供、儀式の試合で負けた奴隷などを生贄として毎年捧げました。


信仰の自由だからといってしまえばそれまでですが、思想として見るならば一部の犠牲者を出すことによって自分たちの今後の幸福が保証されるそういう考えでしょう。


しかしマヤやアステカの人々はそういった考えに何の疑問も持っていなかったようです。


もし本当に地球や宇宙を作った神がいたとしたら全ての人々の幸福を願うはずなので、大勢の人が幸福になりたいなら、その中から犠牲者を差し出しなさい、そうすれば残りの人々に幸せを与えてやる、とは言わないと思うのです。


最近はワクチン後遺症、という単語を職場で出してもほとんどの人はその言葉は聞いたことがある、と言います。

それくらい多くの日本人にワクチンによる被害が出ていることが認知されつつあります。


しかしおそらく多くの日本人は、先程のワクチン推進派のパートさんのように、多くの人が助かるならば、一部の人が犠牲になってもよい、と考えていると推測されます。


しかしその考えや思考は本当に正しいのか、自分には疑問です。


他人の不幸の上に成り立つ幸福果たして本当にそんなものはあるのでしょうか?


マヤやアステカはそんな自分勝手な人々が増えたので本当の地球神がその文明を滅ぼしたそんなふうに思えてなりません。


願わくは日本も同じ運命をたどらないとよいのですが


今回のイラストは帰り道、です。

最近はススキもちらほら見かけるようになりました。

ようやく秋が来たといった感じです。