先日、高尾山に登ってきました。


登ったといっても頂上近くまでリフトで行ったので、山頂までは1時間も歩いてはいないです(笑)


高尾山はよく来ているのですが、午後は雲が出て視界はあまりよくない記憶があります。

しかし今回は天気もよく、珍しく山頂からは富士山も見えました。





関東平野も遠くまでよく見えて、スカイツリーらしきものも目視できました。





夕方だったのでそれほど混雑はしていませんでしたが、それでも若い人や外国人が半分くらいだった気がします。


高尾山がなぜこんなに人気があるのかは色々と理由はありそうですが、都内から近いのと観光地として整備されているからでしょう。


しかしそれだけでなく、修行の場、霊場としての神秘的な雰囲気も人を惹きつけている要因かもしれません。


高尾山は、開祖は行儀菩薩とされ薬師如来を祀っていたので薬王院と名付けられたそうですが、その後は真言宗の流派の一つで新義真言宗の修行場となったそうです。


境内には天狗の像も幾つかあって、修験道の雰囲気もあり何かごちゃ混ぜ感があって自分的に何かスッキリしません(笑)


真言宗は開祖は空海ですが、新義真言宗は覚鑁が興した流派で、覚鑁は密教に浄土真宗を融合させようとして追放されたと記憶していますが、詳しくはないので間違っていたらすいません


仏教には幾つか教えがあり、様々な宗派に今は分かれていますが、仏教の中心的な教えの根本には全ての存在に仏性が宿るとされる教えがあります。

しかし必ずしも清らかとはいえない現世を見たならばそれを信じるの難しいものがあります。


それでも人間の奥底に仏や神と同じ輝きがあると信じなければ、この世は次第に野獣が支配するような世界になっていくかもしれません。


宗教的な聖地に人が集まるのは、観光地化したとはいえわずかに燃え残ったかがり火に人々が光を求めて集っているようにも見えます。


ウクライナ戦争は長引き、フランスも暴徒化して大変なことになっていますが、世の宗教的指導者がこれについて積極的に発言しているのを聞いたことはありません。


ローマ法王も何か言ったらよさそうなものですが、今はほとんど権威も発言力もないように感じます。


お釈迦は自燈明を説かれましたが、それぞれが内なる光を信じて歩かなければならない時代が来たということかもしれません。