パートさんの知り合いで勤め先を早期退職し、実家の寺を継いだ人がいます。


そのパートさんが、そのお坊さんからこんな話を聞いたと休憩室でみんなに話していた内容が興味深い内容でした。


その寺は浄土真宗で、時々近隣の人向けに仏教の講話?を寺でしているそうです。

テキストには日本の古典で源信という方が書いた往生要集を使っているそうで、受講者には大変好評なんだとか。


その往生要集には様々地獄の種類、たとえば焦熱地獄や餓鬼道、畜生道、阿修羅道、そしてどのような生き方や考え方をしたら地獄に行くのか、が克明に書かれています。


根底にあるのは、仏教に則った生き方が大切であり、仏の道に反した生き方をすれば地獄に堕ちるというものです。


地獄には鬼達がいて、地獄の亡者たちを切り刻み、釜茹でにし、煮えたぎる銅を口から流し込む。


想像して書いたにしては、あまりにもリアルで生々しくおぞましい…もしかすると本当にあの世に行って地獄の様子を見たのではないかとも思ってしまいます。


怒り、憎しみ、憎悪、足ることしらぬ欲望、人を困らせ傷つけて恥じない心、淫らな思い、権力を使い人を物のように扱った…これらの人々はこの世で成功し栄華を誇ったとしても、あの世で裁きが待ち構えている。


地獄に堕ちる恐ろしさを説くことによって、人々を善良な方向へと導こうとした、源信の考えがあったのだと思いますし、仏教には底流にはこのような教えがあると感じます。


ところで最近、某邪教団体の問題に関して派生したことだと思うのですが、文科省が宗教活動において「地獄に堕ちるぞ!」と脅して不安や恐怖を抱かせて高額なお布施?を取るようなことをしてはならない、と言っているようです。


パートさんの知り合いのそのお坊さんは、その文科省の指導方針を受けて、地獄に堕ちる、という言葉をお寺で使うのは聞く人に不安や恐怖を抱かせることになるので控えたほうがよいのだろうか?と使うべきか躊躇しているそうです。


しかし仮に地獄があった場合、邪悪な生き方をすれば地獄に堕ちて想像を絶する恐怖と苦しみを味わうわけですから、人々には生前に地獄に堕ちることに対して恐怖してもらわなければならないわけです。


日本政府には、現実に地獄があると思っているのか、無いと考えているのか、その辺りをはっきりさせてから地獄という言葉を使うべきではないでしょうか(笑)


重要なのは、どのような生き方考え方をしたら極楽に行き、また地獄に堕ちるのか、その宗教においてどのような善悪を説いているか、その教えに注目すべきです。


それを信じた人が幸福であるか否かが重要なので、それを信じた人や家族が不幸になるならば、その教えは間違っている可能性は高いでしょう。


教師が問題を起こしたからといって、全ての教師が邪悪であるわけがないのと同じように、邪教があるからといって全ての宗教が邪悪であるわけがありません。


最近の強盗問題や飲食店での不適切な投稿動画問題も、社会からモラルが消えかかっていることが原因だと思います。


正しい宗教は社会道徳を守る一翼を担っていると思うので、全ての宗教を良くないものと考える風潮が広がらないよう気をつけなければならないと思います。


イラストは最近描いた南国の水辺です。

寒い日が続いているので、見た人があったかくなるものを描いてみました。