※この音読日記は、子どもと一緒に音読したものと、
私が一人で向き合う音読の記録を分けて記しています。

■ 親子で音読・暗唱

【音読】
★百人一首

【暗唱】
★平家物語★方丈記
★奥の細道★枕草子
★竹取物語★一茶の俳句
★徒然草★古事記★初恋

■ 母の音読・暗唱

【音読】
★源氏物語 第二十五帖「蛍」
★論語 学而第一~堯曰第二十
★紫式部日記


【暗唱】
★百人一首★山月記★坊ちゃん★杜子春
★三字経★和俗童子訓★伊勢物語★徒然草


■ 音読コラム~今日の気づき~
【道草ばっかりしていたら、世界がどんどん面白くなってきた】
自分の中で変わったな
 思うこと。
それは、
 以前より、この世界を気軽に
 面白がれるようになった、
 ということです。
世の中には、長い時間をかけて
 研究されてきた分野がたくさんあります。
物理や宇宙、心理学、歴史、伝統芸能。
 そして最近では、AIの進歩があまりに速く、
 次々と新しい専門家が生まれている分野もあります。
以前の私は、広い世界に対して、
 どこかで線を引いていました。
思考だけで、
 頭がいい人たちのいる世界と
 自分の境界を分けたり、
 人生の役に立つか立たないかで選別したり、
 ちゃんと理解できないだろうから無理、
 という理由で。
でも、その線が、
 いつの間にか薄くなってきました。
理解できるかどうかの前に、
 ちょっと覗いてみたい、
 少しかじってみたい、
自分がやっていることを
 別の角度から説明してくれているかも?
そんな気持ちが先に出てくる。
高校の時、苦手だった
 物理や数学の話も、
 宇宙規模の話も、
 心理学の概念も、
 AIの動向も、
 歴史や芸能の世界も。
今では、視界に入る場所に
 あちこちに面白いものが転がっていて、
あ、何か関係あるかも
 あ、こっちも面白そうなど
 興味が広がっていく感じです。
たとえるなら、
 学校帰りの小学生みたいだな、と思います。
先生から
 寄り道せずに、真っ直ぐ家に帰りなさい
 と言われているのに、
気づくと知らない道に入っていて、
 石をひっくり返したり、雲を動物に例えたり、
 アリの行列を石で遮った後の
 動きを観察したりして、
寄り道ばかりして、
 なかなか家に着かない。
そもそも、
 目的地がどこなのかも、
 本当はよく分かっていなくて、
 どこにたどり着くのかも、
 決まっていない。
それでも、
 歩いている途中の世界が楽しすぎて、
 立ち止まったり、曲がったりすることの
 理由とか結果とかを求めない軽やかさ。
今の私は、
 そんな歩き方をして、
 世界を楽しんでいる。
これがひょっとしたら
 音読の影響なのかもと、
 ちらっと思ってみるけど
 正直、はっきりとは分からない。
たまたま時期が重なっただけかもしれないし、
 年齢や環境の変化もあるかもしれない。
ただ、以前よりも確実に、
 分からないものに対する抵抗が減り、
 知りたい欲求が高まっている気がします。
分からなくてもいい。
 途中で止めてもいい。
 全部を理解しなくても、
コスパとかタイパとか関係なしに、
 一度、味わってみればいい。
そう思えるだけで、
 世界はずいぶん広く、
 楽しめる要素が溢れているように思える。
音読は、言葉を
 いったん自分の身体を通してから声に出し、
 内側に戻す行為。
これを繰り返すうちに、
 意味を求めすぎないこと、
 理解を前提に動かないこと、
 特定の結果を期待して動かないことを、
 自然にやっている。
だから、音読は
 知識を増やすためのものというより、
 世界を面白がるための姿勢を、
 ゆっくり整えてくれる行為なのかもしれません。
今日もまた、
 少し寄り道しながら、
 気になる方へ、
 ふらっと寄り道してみようと思います。
計画通りに進まなくっても、
 それもまた悪くない、という気分で。