今日はお盆のお墓参りに。
家族と過ごすことから逃げてたけど、
「行く」ってことを選んでみた
今年のはじめ祖母がお墓に入ったことで
今回から私たちがお墓を綺麗にする側
自分がやる側になる
それはすごく新しい感覚で
その瞬間は思いもよらなかったんだけど
今これを書きながら、
当たり前に祖母と一緒に
お墓参りに行っていた昔のことを思い出して
ちょっと泣きそうになる。
お墓参りをした後はいつも祖母が好きな
ピザとパスタのお店に行くのが恒例だった
ああもう今日はそうじゃないんだなぁと思ったら
無性に寂しいなぁ
抵抗が出るからあえて書いてみるんだけど
実は、祖母が亡くなった時、
私は祖母がもう苦しまなくて済んだことに
すごくホッとした部分があって
そして、そのことにちょっと
それでいいのかな
もっと悲しめよって。って思ってたの
だけど、やっぱり今日も
同じようにホッとしたその気持ちがあって
それを「やっぱりそうだよね」って
今日はただただそのままその気持ちを
置いておけた気がしたんだよね
やったことリストを書いていると
何をしようかなって考えるんだけど
お墓を流して綺麗に拭いたり
お花を生けたり、お線香を綺麗にしたり
そういうのを
自分から進んでやっていった時に
感情をどうにかしようとしている時は
なんかうまくいかないけど
無理やりどうにかするんじゃなくて
自分にできる目の前のことをやってると
気づいたらその苦しさは通り過ぎているのかも
そんなことを感じた日。
当たり前にお墓参りに行く習慣があることを
有り難いと思えて嬉しかった。
岡本彩菜