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孤独を生きる(孤独な心と人間関係を求めて)

60才で定年退職し家庭内離婚実行中の孤独なACの万年青年が、男女の交遊を求めて彷徨うさまを記録します。

前回は、両脚の闘病について書いた。

今日は、今の人との交流と生活について書こうと思う。
 
俺は、タイトルが「孤独を生きる」とあるように退職してこの10年、孤独と向き合って来たが、まずその孤独と関係する、人との交流について書いてみる。
 
まず、彼女とはこの3ヶ月逢っていない。
彼女はやはり問題が多すぎて、その度に嫌になるし、歳も歳だし、もう逢わないと決めた。ただ彼女も俺も孤独だから電話だけならいいだろうと、主に彼女からの電話だけは受けている。

こうして彼女から離れられたのは、やはり俺が孤独に強くなったからだろう。以前なら何か嫌なことがあって別れても、俺が寂しいのと、彼女がかわいそうになることと、俺の中の彼女へのセックスの誘惑で、すぐに元に戻っていた。

今は彼女をもっと冷静に見れるようになり、かわいそうさも自分なりに減って来て、セックスもネットで自分を満たすようにしている。

 
他に、人との交流について言うと、テニスは両脚が痛くなる去年の5月までは週5日、それぞれメンバーの重なり合うグループでやっていたが、6月から9月まで4ヶ月あまり両脚の痛みで休み、痛みが無くなった10月に再開した途端、10年間やり過ぎた右手のあちこちが痛くなり、これがなかなかのもので、治るかどうか分からず、今はやむを得ず左手でやっており、今はそのせいもあり週1回、俺に友好的な公的な教室にしか行っていない。
この教室の交流は、テニスコートの中だけの付き合いで、浅くて長い関係だが、その時は楽しいし、左手でもテニスを続けられる希望を持たせてくれる、唯一残された大事な集団だ。
 
他の人的交流には、同じ市内に独身の三男が住んでおり、元嫁が亡くなってからは俺を頼り、困った時には電話して来たり、帰って来て泊まることもあるが、普段は全く音沙汰が無い。
 
後は、退職する前くらいから付き合い始め、5年くらいカラオケ喫茶を中心に、行動を共にしていた同年代の男友達がいるが、彼とはわざに会うのはこの数年全く無く、彼が時々酔って電話をかけて来て、くだらんことの長話をするくらいか。
しかし、これも彼女と同じで、会うより電話の方が楽しく、関係を保てるようだ。
 
カラオケ喫茶も去年の5月まではこの10年、週2、3回は行っており、そこだけのごく浅い知り合いや、歌う場があったが、今はコロナが怖いので全く行っておらず、この場も今は失った。
 
 
そして最後に、今の俺の1人の生活についてだが、まずやっているのは、3日に2回くらいの街へ出ての、1人カラオケと二軒の本屋での週刊誌とエロ漫画の立ち読み、そして図書館での週刊誌の座り読み。
 
そして、これらと共に3.4日に一回の買い物。
俺は、食事はカレーと鍋物を3、4日ごとに作り置きして食べているので、この材料を中心に買い物する。
 
そして天気の良い日はほぼ毎日、1時間あまりの1人テニス。
コートで1人、スリンガーという外国製の球出し機で練習したり、年末年始の最近は壁打ちだ。もちろん左手で、だ。

左手は2ヶ月あまりになるが、これがなかなか面白く、やるたびに上達してきており、テニス教室での試合では、女性相手ならそれなりにできるようになった。

 
まあこれは、左手を使えるようになると、右手が治った時両手バックハンドが良くなると思ってのことではあるが、右手が治らなければ、本格的に左手打ちにならざるを得ない。
まあ、こうなれば大会うんぬんではなく、楽しみでやるくらいになる、というところか。
 
それとついでに言えば、すぐ近くの運動公園で20分くらいのウォーキングとジョギング、そして家に帰っての、若干の筋トレとストレッチで体の回復と維持に努めている。
 
ついでに、1人カラオケについてだが、これも多分8年くらいになろうか。以前は3時間のコースをやっていたが、今は根気が続かないせいか、せいぜい1時間か1.5時間だ。

しかし、トラウマが依然として、毎日風呂での自己催眠で溶けているので、腹と胸、のどの通りが良くなり、声もますます良くなり、音感も良くなっている。

 

カラオケ喫茶で人に聞いてもらいたいのは山々だが、今はそうもいかず残念だが、最近ポケカラというネット上のカラオケを知り、ここには人も集まっており、聞いてもらえそうなので始めつつある。楽しみだ。

 
ネットの話が出たが、そういうことで、あまり外出が少なくなった結果、今の俺の生活はネット中心の生活だ。
 
俺はアイパッドでやっているが、朝目が覚めるとすぐにこれを取り、ヤフーニュースを見て、ユーチューブを見てと、これだけで1.2時間は楽に過ぎる。
これも以前は何もすることがなく、仕方なく見ていたが、最近はもっと前向きに、例えばユーチューブやツイッターを始めようかとか、マッチアプリで新しい彼女を探そうかとか、メル友のようなネットの中だけの浅い関係も楽しいと、感じれるようになっている。
 
それと家の中では、本を読むということも落ち着いてできるようになった。勤めていた頃は悩みも多く、心理関係の本を中心に、比較的良く読んでいたが、退職してからはあまり読まなくなっていたが、再開した。
 
まあ以上のようなことが、今のが俺の生活だ。
 
以前は外に出たいという衝動が常に強くあり、強迫的に外に出て満足して来たが、最近ではそれも薄くなり、集団に入るということが一番楽しく価値があることのように感じてきたが、それは違うかもしれないと感じつつもあり、家での1人作業もそれなりに楽しくなってきている。
そう言えば、このブログもコメダ珈琲店で書くのが通例だったが、と言うか、コメダでしか書けなかったが、コロナでコメダにはもう行っておらず、今こうして家で書いている。
 
俺は生まれてから幼少期少年期と家が暗く、争いばかりの家だったので、遠戚のおじさん、おばさんの家に居着くようになり、(これも母親やその家が仕向けたことではあるが)家にいる時は孤独で、いつもおじさんおばさんの家に行こうと隙をうかがい、家の者に隠れて行っていた。

そして学校に行くようになってからは、勉強や運動ができて、みんなから認めてもらえるので、学校が楽しく、休み中でも学校で行ったりしていた。

 
こういう状態だったからだろう、俺は長い長い間、常に家の外の集団に意識が向き、そこに価値を認めてきて、家で一人で何かするということに価値を感じれず、楽しくなかった。
勉強や用事をやらねばならない時は、迫られたように強迫的にやっていた。
 
そういう状態が最近まで永遠と続いてきて、やっと今頃になって、このトラウマから抜け出しつつあるのだろう。
 
まとめると、今はこういう状態で、本当に人との関係が少なくなって来たが、逆に以前ほどには孤独感は感じなくなり、どちらかと言うと、1人を楽しむ、孤独を楽しむ、という感じになりつつあるのではないか。