孤独を生きる(孤独な心と人間関係を求めて) -198ページ目

孤独を生きる(孤独な心と人間関係を求めて)

60才で定年退職し家庭内離婚実行中の孤独なACの万年青年が、男女の交遊を求めて彷徨うさまを記録します。

昨日は午前中雨だったので、金曜テニス教室はなかった。

久しぶりに1人カラオケに行ってみたが、いっぱいだったので帰ってきた。

昨日引かれ出した長渕剛の曲をCDで聞いたりしていたが、妻が2階から降りて来て、また居間での音の闘いが始まった。

妻がテレビの音量を上げるのでCDが聞けなくなり、俺はギターを弾き音量を上げた。

妻は多分テレビは見ていないが、音量はそのままで、ネットをやっていたのだろう。

まあ元々テレビを見るつもりはなく、自分が居間を支配出来ないので、俺の邪魔をしたいのだろう。

今までは、ほとんど妻が洋画のテレビをつけてうるさくて俺は外に出ていたが、俺にも1日の半分は居間を占用できる権利はあるのだ。

俺はギターを1時間以上やってから、久しぶりにカラオラ喫茶Kに行った。

ここは俺の町から離れて田舎なので、いつも人が少ない。

はじめは、いつもいるちよっと上くらいのお兄さんがいて、ままと3人で間をとって話しながら歌った。

その後もう1人の常連が来て、その後Mも来た。

前を通ったら俺の車があったので、来たようだ。

そのうち、ここの経営者であり歌の先生でもあるママの旦那が来た。

俺は場が固まったのを感じ、今まで話したことはなかったが、すぐに旦那に一言ふたこと軽いジョークで話しかけた。

この男はちょつとだけだが人を威圧するところがあるようで、自分の歌の生徒の常連客に、「(いつも来る若い)ねえちゃんがおらんけ元気がないな」と言う。

相手の常連が笑って黙っているので、俺は横から「誰もだがな」「でもママがいるから大丈夫」と反応した。

彼はママの方を見て、それはないだろう という感じで、苦笑いしていた。

これらは本音で、誰もがいつも来るここの生徒でもある40代の女性を期待しており、ママのことも俺としては少しは色気を感じているのだ。

その後も俺は彼の威圧に負けず、「俺だ」の意識とイメージで自分を保ち、自由に言動した。

やはり昨日滅多に行かないこの店に行ったのは正解で、夜の風呂でのトラウマ解消でも、幼少期よく酔狂で家に来て、俺ら家のものを脅していた近所のおじさんを想定したら、トラウマがよく溶けた。

まだこのトラウマはあったのだ。