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孤独を生きる(孤独な心と人間関係を求めて)

60才で定年退職し家庭内離婚実行中の孤独なACの万年青年が、男女の交遊を求めて彷徨うさまを記録します。

またコメダに来ている。

一週間ぶりだ。

 

先週土曜日の朝から、今日火曜日の朝まで彼女の家にいて、都合3泊した。

 

以前は連泊もよくあったが、最近では1泊もたまで、3泊などほんの久しぶりだ。

その連泊の経過をたどってみる。

 

最初の土曜日のカラオケ喫茶で、彼女と彼女の70過ぎの歌のすごく上手い女友達と、店の50くらいの若い女性に囲まれての楽しい時間を過ごし、その気分のまま、彼女ともっと一緒にいたい気持ちもあり一泊した。

 

翌日曜日には、彼女の家の広い庭の木の剪定と、彼女の部屋の床の修繕をして過ごした。

そしてまだ彼女と一緒にいたい気持ちがあり、帰ってもどうせ一人で孤独との闘いが待っているだけだとの思いもあり、連泊することにした。

 

実は?彼女の家は高校生の下宿屋をしており、今まではいつも、彼女の家に泊まると夜中に動き出す高校生の音がうるさく、いつも夜中に目が覚めて睡眠不足になるので、彼女の家に泊まることは俺と中ではご法度になっていた。

しかし今回は、彼女が多少気を利かせて、2泊目は部屋を自分と変えてくれるというし、翌日の月曜日にまた同じカラオケ喫茶に行こう、今度は馴染みの客も多く来るという彼女の言葉と、俺の考えもあり、その気持ちのまま連泊した。

 

そして、翌月曜日は午前中、また庭木剪定、昼からカラオケ喫茶に行った。

そしてここにはやはり、俺も馴染みの客が多く、俺も久しぶりの俺の上達した歌を発揮した。

そして帰ってから彼女と録音したものを聴くと、以前と違い俺が一番いい声で歌もいいように感じ、喜んだ。

 

そうしているうちに、コタツに足を入れて寝そべっていた俺は、彼女を横にして抱いていたいという欲求が起き、彼女に来るように言って引き寄せ、静かに彼女のオッパイを揉んだり、彼女の肩を抱いていた。

俺は彼女とこうしているのが前から好きだったが、こうした自分の気持ちを確かめるためのことは初めてだった。

 

俺は、このずっとこうして彼女を抱いていたい、彼女と引っ付いていたいという欲求は何なのか、自問自答した。

そして、これは幼少期のオバさんに対する欲求ではないか。

あるいは、俺の母親不在の心がずっと求めていたものではないか。

以前から多少そう思ってはいたが、半信半疑で確信的ではなかった。

しかし、今回はこの心地よさにちょっと実感があり、こうしていると安心感と一体感を感じているようだった。

そしてこの心持ちを独りの時も保てれば、孤独ではなくなるのではないかとも思い、この気持ちを反芻した。

 

そして、彼女に俺の父母やおばさんとの幼少期の葛藤、母親には幼少期から愛着が無く大嫌いで、母親は俺を利用し、依存することだけを考えていたこと。

 

おじさんはよそ者で地域で弱い立場なので、おじさんおばさんは俺を引き込んで、地域で昔から有力な俺の家と関係を作り、地域での立場を作りたかったのだろうという、俺の考えを話したりしていた。

ちなみに、おじさんおばさんとここでは言っているが、血のつながりのあるおじさんおばさんではなく、おじさんは全く他人、おばさんは遠い親戚の人であり、俺は彼らをじいさんばあさんと呼んでいた。

しかし彼らは俺が行った頃はまだ40代50代だったと思う。

 

それはそうとして、俺がこうした話をしていた時、あるいは終わった頃、俺が彼女とのこの感覚を楽しんでいた頃か、彼女は俺の話をさえぎつて、テレビのニュースを見ながらその話題に振ろうと再三した。

俺は、それは同じニュースだろうと話題を変えなかったが、多少彼女に不信感を持った。

 

それが終わって俺が、冷える足のマッサージをしていると、彼女がやろうかと言う。

俺は、彼女にそれくらいやってもらってもいいと以前から思っていたので、素直にやってもらった。

しかし、俺も彼女が疲れたら悪いという気持ちがあり、遠慮もあるので、少ししてから、疲れるからもういいよと言うと、アッサリ彼女はやめ、汗ビッショリ、私には無理と言う。

これは以前あったことと同じだ。

俺は気分悪いが、遠慮があるので何も言えなかった。

 

そして俺は夜中の3時ごろ目覚め、この、彼女が俺の幼少期の話題をテレビに振ろうとしたことと、俺の足のマッサージをイヤイヤし、大変そうにしたことの、二つの彼女の態度が思い出され、ずっと朝まで考えていた。

ちなみに、前夜の彼女の不愉快な態度が、夜中に思い出され腹立つと言うことは、最近の俺にはよくあることだが。

 

そして、お互い朝起き出したが、俺は彼女を引き寄せていた時の、心地よい一人ではない感覚を保って彼女に対し、そうすると以前のようには、あまり彼女に腹は立たず、比較的平静を保っていた。

 

しかし、言葉もなく彼女方も見ず、ブスッとしているので彼女も感じたのだろう。

あまり俺のところに来なかった。

そして食事を2人黙ったまましてから、俺は、帰るわ、と言って用意をし出した。

彼女も黙って、俺にいつもくれる下宿屋で余った食材を用意し、俺にくれた。

そして俺と彼女は家の中で別れた。

彼女はいつものようには外までは送ってくれなかった。

 

そして俺は帰り道、やはり彼女とは別れよう、今までみたいに、別れ話で怒って別れるのではなく、彼女と俺の中では一体化し、かつ距離の取れた時の穏やかな気持ちで、彼女を責めることも無く、それとなく別れようと思った。

 

彼女は俺を愛していない、好きという感情もどうか。

ただ依存して俺を利用したい。そういう意味では大事にしている。

母親やおばさんと同じじゃないか。

そういう意味で彼女を思い出すと、何故かトラウマは解けて来た。

 

家に帰ってから少し寝てから、今度はまた彼女に電話したい、接触したい、俺の気持ちを伝えたいという気持ちが、この前ほどではないが、また起こってきた。

 

そこで俺は考えた。

これはトラウマだ。

どうしたらこの気持ちが治まるか。

 

そこで出て来たのが、遠くに捨てる、という言葉とイメージだ。

これだ!

俺はこれで彼女からかなり自由になった。

彼女はある意味、自分を捨てて俺に自分を投げ出し、俺にピッタリと張り付いて依存している。

しかし、自分の都合の悪い時は、俺の気持ちを考えず、自分を主張し弱い自分を守る。

 

依存され張り付かれた俺は、彼女を支配したくなり、彼女が俺の思い通りにいかないと腹を立てる。

こういうことの繰り返しだったか。

 

今回こうして、遠くに捨てる、で彼女との距離が取れ、彼女をほっとくことができそうだ。