残念な敗戦が意味するもの | 孤独を生きる(孤独な心と人間関係を求めて)

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60才で定年退職し家庭内離婚実行中の孤独なACの万年青年が、男女の交遊を求めて彷徨うさまを記録します。

昨日はシニアの対外的な親睦大会で、車で1時間の他市に行った。

俺は試合外の時は、チームの仲間とは別に、男性陣が多く集まっている集団の中に座り、近くの人やそれらのグループの話に、入るとはなく入っていた。

俺は知らない人や、自分とは違うグループの中にいても、全く平気になっているのだ。

試合は2勝2敗で五分だったが、その1敗の中に、大逆転をくった試合があった。

6ゲーム先取の試合で、5対1で勝っていたのを、5対6にひっくり返されたのだ。

試合はダブルスで、全てが俺の責任ではないのだが、ペアの男性にはそれぼど期待は出来ず、俺の力で優勢を保っていたのだが、後一つになり俺は気持ちが緩みミスをし、その後各ゲーム競り合ったが、勝ちを意識して弱気になり、攻撃出来ず負けてしまったのだ。

俺は態度は笑ってサバサバとしていたが、内心は悔しかった。

夜の風呂でのトラウマ解消は、この敗戦についてだった。

俺は、勝てそうなるといつも意識して固くなる。

勝ちにこだわり、勝ちを意識するあまり、勝負弱いのだ。

トラウマ解消で、もうその辺も解消しただろうと思っていたが、まだまだなのだ。

俺は中学時代の卓球の試合で、普通は学校で一番強いのに、大会では緊張し、勝てないことが多かった。

社会人になってからの職場での試合でも同じだった。

昨日のトラウマ解消では、この中学までの卓球の時を想定したり、また中学時代の、みなに注目されそれに応えようとした時のことを思い出し、トラウマを溶かした。

昨日の残念な敗戦は、このトラウマに向き合い、解消するためにあったのだと思うと納得もし、嬉しくもなってくる。

たかがテニス、勝ち負けにこだわらない自分になりたい。