同期の友達や飲み屋の集団との新しい関係 | 孤独を生きる(孤独な心と人間関係を求めて)

孤独を生きる(孤独な心と人間関係を求めて)

60才で定年退職し家庭内離婚実行中の孤独なACの万年青年が、男女の交遊を求めて彷徨うさまを記録します。

昨日は午前中庭の木を切ったり、かたずけたりした。

午後一人カラオケに行ったが、珍しく飽きを感じた。

夕方は前職場の同期で、40年近く一番親しくして来た友達が、第二の職場の出張で来ていたので、飲みに出た。

俺は、先おとといはマスターと話がしたくなり一人飲みに街に出たが、屋台が出ていないのでやめて引き返し、おとといは色っぽい女性に断られたりで、いろいろ親しい男性と話がしたかったので、渡りに舟で嬉しかった。

しかし友達は前の日にも飲んでいたので気勢が上がらず、イマイチ盛り上がらなかったが、俺は「出る」で友達から独立し、俺なりに楽しく過ごし、カラオケの後の3次会のスナックでは、店の全ての客を相手に全体の中で話したり聞いたりして盛り上がり、俺は嬉しかった。

その後友達は俺が相手をせず、友達とは反対の隣の客と話すことが多くなったからだろう、不満気だった。

彼も彼の隣の客とは知り合いだし、ママも親しいので、自分なりに楽しめばいいと思っていたので、俺は彼に特別には気を使わず、俺のしたいように自由に振舞っていたのだ。

その後の屋台ラーメンでも、俺は前職場でよく行った金融機関の男性から声をかけられ、それに乗って楽しく話していたら、彼は機嫌悪い顔をするので、俺は「怒っているのか」と聞いたりした。

最後にタクシーを待つ列でも、前の女性2人を目当てに、全体に対して、当地でこんなにタクシーを待つのは珍しい、というようなことを言ったりし、多少2人の女性が相手にしてくれそうな雰囲気の時も、面白くなさそうだった。

ということで、昨日は「出る」で新しい境地ができ、新しい距離の取れた自由な一対一の関係や、集団との距離の取れた自由な関係を経験することができ、充実したものとなった。

友達は今後俺を敬遠するかもしれないが、それは友達のことであり、俺は彼からも自由でありたいので、それはそれでやむを得ないと考えている。