1995年1月16日に私は子供を帝王切開で産むために検査も必要なので病院に早く入院しました。

 

しかし17日早朝空からヘリコプターで焼け野原の夢を見た。

 

体調は良かったけど高熱を出したのだ。

 

38度5分。

 

部屋は大部屋で他の妊婦の方々朝からざわざわ。

 

私は熱を出してるので何を騒いでるか解らなかった。ただ皆さん「火事が凄い」とか騒ぎになっていました。

 

翌日まだザワザワしていたけど熱も下がり18日に長女を帝王切開で出産。

 

病院側はそれが大部屋に無理にベットをまた2個入れて個室の方々にもベットを入れないと収まらないぐらい予定を超えて産気づいた人が多く産婦人科はてんてこ舞いでした。

 

たぶん地震と出産は潮の満ち引きと関係してるかもと今は思います。

 

しばらくして私は集中治療室からも出られやっと一人で動けるようになった時他所の方のテレビを観て呆然。

 

阪神淡路大震災と後に言われた大地震でした。

 

退院する時に母子健康手帳の説明を受けた時に1人の女性は「私はどこの保健所に行けばよいのでしょうか」と看護士さんに尋ねた。

看護師さんは「地元でではなのですか?」

 

と言うと彼女は「実家で子供を産むために此処に来たのですが今住んでいたのは神戸で主人と連絡が取れないのです」

 

退院の喜びからその場にいた退院予定の女性達も切なくなりましたよ。

 

彼女と彼女のご主人とお子さんが幸福であれと今も思います。

 

それだけでも驚いたんですけれど妊娠するまで私は御徒町のアクセサリー製造業のデザイナーの女社長の元で板金などもしてアクセサリーを作ったりしていました。

でも妊娠でそこを辞めなければなりませんでした。

 

ガッカリもありましたが子供を授かること自体は嬉しかったので子供を産んだ後に家でゆっくり授乳をしていました。

 

そして3月20日のある朝まだ結婚をしていたので長男を小学校に送り出した後にテレビををつけたらなんと!

 

地下鉄で大変な事になってる。

 

テレビでは沢山の人が路上でうずくまったりしている。救急車も沢山。

 

後から警察の捜査で解ったことはオウム真理教が同時間に地下鉄でサリンをまいた事。

 

もし子供が生まれないで働いていたら茅場町から仲御徒町まで乗ってたわけできっと私はあの騒動に巻き込まれていた。

 

運命って凄いなぁと今思いますよ。

 

ちょっとの事で人生変わるんだ。

 

所詮人間は運命と共に生きてると思うんですよね。