『心配』という都合の良い免罪符
親であれば我が子のことが心配になるのは大いに理解出来ます。
ただそれは真の心配と言われるものなのか?
その動機の発端がどこから来ているのかが重要だと思うのです。
自分の思った通りや結果にならないと心配
自分が安心する範疇から外れたら心配
自分の考えと違うから心配
みんなと違うから、普通と違うから心配
上記のようなものが動機発端となっているものは
相手を縛り自分の思い通りにしたい
自分の望む結果や内容しか受け入れられない
ということ
そしてそれは
我が子を支配コントロールし、我が子への依存であり甘えでもある
子供の選ぶ進学先や就職先、受験の合否
小さな物で言えば、習い事の有無やその内容
子の友人の数、友人の種類、学校での評価、成績
その子の待つ性格性質思考、子の好むもの望むもの、子の嫌なこと苦手なことなどなど
それらのどれ一つ取っても
親の自分が納得享受出来ないから『心配』という大義名分の元、親の思った方に修正しよう(歪めようと)する
それは、『導く』のとは全く別物だと言うこと。
我が子が失敗したり苦しむのは可哀想だとか、大人だからこそその道を選ぶのは上手く行かないだろうなと思っても
真に可哀想とは限らないし、周りがそう思ったとしても本人が納得しているなら周囲の心配なんてどうでもいいし
違う人間がやることに上手く行くか行かないかなんてわからないもの。
そして例え本人がその結果に納得していようがしまいが、本人が選択したことの結果(事実、現実)でしかなく
親や周囲がその尻拭いや責任を負う必要は勿論なく、本人がそんな経験を通して自身を模索しながら自分にとっての生きやすさを知って行くだけのこと。
それがその子の人生なのだから![]()
親しき仲にも礼儀あり
このことわざに、親という字が使われている所以
親ほどの近い距離に表している言葉であり、古来より伝わって来ている意味がある。
それほど近い距離間なだけに、線引きが難しくなるのは理解出来るけど
子の成長と共にきちんと親子の分離、親子の距離感を親側から導いてあげること。
我が子のことは自分のことのように可愛いというのは良いことだけれど
混ざり合っているのは違うと思うのです。
親と子で違う人間なのにごちゃ混ぜになっていることの異常事態![]()
きちんと分離し線引きをすること。
それが子離れ親離れであり、真の自立であるということです![]()
経済的自立は勿論のこと、肝心なのは精神的自立なのです。
親も子も、精神的自立が出来ていれば
相手を尊重し、自分の人生に全力投球出来る。
だからと言って今日から極端に偏って、じゃあ「もうお母さん知らない!」ってやるのではなくね笑
それは良い突き放しではなく、見捨てる行為だったり親側の試し行為みたいなもので、我が子を尊重どころか下に見てる行為だよね。
じゃあ自分でやってみなよ(どうせ上手く行かない、お母さんの言ってた意味がわかるから)ってね![]()
お母さんの言ってたことが正しかったでしょって思い知らせたいだけだよね。
それって真の子を思う愛なんだろうか
ってことだよね。
結局自分の思い通りにしたいだけじゃん、洗脳のやり方じゃんw
親だってただの人間で、初めて親になり、初めて子育てする訳だから完璧な訳ないし
そんな狭い了見で
自分は正しい、自分は間違えてないと子や周囲に押し付ければ反発されるだけのこと![]()
自身も自分らしく自由に生き、子にもそれを願うのであれば、他者の領域に踏み込み過ぎないこと、親しき仲にも礼儀ありなのです![]()
ただ自由に生きるということは、責任も伴うことなので誰も責任は取ってくれない。
その覚悟を持って生きることが潔く尊いのです![]()
写真がたんまり溜まっているので、ぼちぼち上げて行こうかと。
これは昨年11月につばきさんと徳島に行ったときの写真です♪
平家の落武者の隠れ里にある
祖谷のかずら橋
高所恐怖症気味の私にはこのかずら橋はビビりながら慎重に渡ったのですが![]()
つばきさんはなんのその、スイスイと先に渡ってビビるあやめをニコニコ顔で写真に収めていたのでした
笑
あやめ
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