みなさん、こんにちは。
 
今日の写真は、リビエラ(約6万6千トン、乗客約1258人)です。
カリブ海のセント・トーマス港に入るため、バックしているところを撮りました。
 
本船は6隻の船隊を所有するオーシャニア・クルーズのフラッグシップで、当社を代表する
最新の船になります。
 
プライベート・ベランダに高級なチーク材を使い、船内は広々して贅沢なつくり。9つものダイニングチョイスがあり仏の要人プライベートシェフを務めたJペパン氏が料理監修をしています。
 
すでに成型された冷凍パンを使う船が多いなか、本船はフランス産の小麦粉とブルターニュ
地方名産の発酵バターを使い、毎日パンは船内で丁寧に焼いています。絶品ですよ。
 
外から見えなくても、材料や素材にこだわる当社の姿勢は多くのフルーズファンの心を
しっかりつかんでいます。
 
またフォーマルはなく、毎日がカントリークラブ・カジュアルですから気が楽ですし、無料の寄港地散策もありがたいですね。
 
さて最近いろんな場面で登場するフラッグシップという言葉について今日は書いてみましょう。
旗艦店とか、フラッグシップストア、フラッグシップモデルのように使われていますね。
 
もとは海軍用語でした。
船団を組んで艦船が航海する時、司令官が乗る船に目印として旗を揚げていたのです。
 
1853年、黒船の浦賀来航時、ペリー提督が乗船したサスケハナ号がフラッグシップでした。
当時のスケッチ画を見ると、一隻だけマストに旗が揚がっていますよ。
 
もう少し歴史を遡って、1805年スペインのトラファルガー岬沖の海戦を見てみましょう。
ネルソン提督率いる英国海軍とフランス・スペインの連合艦隊の戦いです。
 
ネルソン提督が乗船していたフラッグシップはビクトリー号。
艦船それぞれには船長にあたる艦長がいて、その総合指揮官が提督です。
 
当時の通信手段といったら、40種類の国際信号旗のみ。(客船の操舵室にもありますよね)
フラッグシップ艦上の提督は、各艦に指示や決断を信号旗で送っていたのです。
 
戦いの中で全員の士気を上げようと、ネルソン提督はある一文を信号で送りました。
「英国は各員がその義務を尽くすことを期待する」。大勝利の後、これは有名な言葉に。
 
このメッセージを受け取った艦員たちは歓喜した、などという美談もありますが、逆に困惑した声もあったそう。「そんなこと、言われなくてもわかってますケド~。」苦笑
 
戦いが激しくなると提督はデッキに出て指揮を執りました。大きな提督帽は目立つから
危険です、と周りから心配されましたが、被り続けたせいか、銃弾を受けてしまいました。
 
ロンドンのトラファルガー広場にリンと立つネルソン提督は、今もその提督帽を被っています。
台座の下にナポレオン軍からせしめた大砲から再生されたという4頭のライオン君を従えて。
 
(日本の某百貨店の入り口には、同広場のマネッコ・ライオンが鎮座してますね)
 
さて、その丁度100年後、1905年は日露戦争の日本海海戦にあたります。
フラッグシップはもちろん戦艦三笠、連合艦隊司令長官は東郷平八郎でした。
 
戦艦三笠は英国製で、日本海軍に引き渡されたのは今クルーズで利用度が高い
英国サザンプトン港だったそうです。意外ですよね?
 
東郷長官は、英南部にある軍港の町ポーツマスに国費で海軍留学していたエリートです。
当海戦の大勝利も含め、海外で高い評価を受けた彼は「東洋のネルソン」という別名も。
 
開戦に際し、東郷長官はトラファルガー海戦でのネルソン提督にならいました。
国際信号旗を使ったのです。ただし、アルファベット最後のZ旗のみ。「Z」には特別な意味が。
 
「もうあとがない」「ここで勝つしかない」「頑張れ」という思いが込められていたのです。
黄、青、赤、黒の4色で彩られたZ旗は、これ以降、海軍の勝負どころで掲揚される慣習に。
 
Z旗がもつ、この特殊な意味は日本でのみ通用します。
そして一般社会にも広がりました。
 
日産のスポーツカー、フェアレディZの「開発コードZ」は当初売れないかも?でも頑張って
販売しよう、という意味で命名されたとか。
 
でも海外や日本で大ヒットでしたね。私も、Z432のファンでした。
結局いまも「フラッグシップモデル」として現存しているのは素晴らしいことです。
 
受験添削のZ会は、もちろん「必勝」の意味で命名されたはず。
大学受験のとき、もしこの意味を知っていたら第一希望に合格できてたかも?笑
 
なにはともあれ。国際信号旗の満艦飾で彩られたクルーズ船を、どこかで眺める日が
今から楽しみです。