(ⓒAyako Yoshida)
みなさん、こんにちは。
 
連休はいかがお過ごしでしたか。
7月15日は祭日でしたね。
 
遅ればせながら
今回は海の日スペシャルです。
 
クルーズで得た思い出のひとつを
ご紹介しましょう。
 
*「アウト・オブ・ザ・ブルー」
この言葉、聞いたことありますか?
(アイドルの楽曲ではなくて)
 
英語のイディオムで「突然」の意味。
 
日常生活ではこんな風に使われます。
He called me,
completely out of the blue.
(彼は全く突然に電話してきた)
 
blue には必ず"the"が付くのが慣習。
 
原文は out of the clear blue skyで
それが短かくなったという説も。
 
「晴天の霹靂」という言葉にも
よく似ています。
 
晴れ渡った空に、突然
雷が落ちた、などという意味。
 
この日本語の英訳としても、よく
out of the blueが出ているんです。
 
ということは
ブルーって空のことなのね...。
 
と、私も思っておりました。
航海士のよもやま話を聞くまでは。
 
*操舵室にアクセスあり
(ⓒAyako Yoshida)
海の色って神秘的だと思いませんか。
 
天候、水温、水深、海流などで
異なる色調を見せてくれるもの。
 
日本人クルーとして外国の客船に
乗船し、よく操舵室へ行きました。
 
船内アナウンスを入れる時など。
 
正午位置や気象状況、その他を
船長または当直士官が英語で話し
その後、日本語で追いかけます。
 
これは探検船の操舵室で撮影したもの。
あいにく航海日ではありませんが。
同僚がまずドイツ語で下船案内を入れ
私が後に続きました。
(ⓒAyako Yoshida)
 
*「青い海」から、とつぜん?
1998年ごろ、ある英国客船で
世界一周クルーズをしました。
 
寄港地に寄らず、毎日クルーズの
終日航海日が続いていた時です。
 
いつも通り、早めの11時半ごろに
操舵室へ行きました。放送は正午。
 
外でボタンを押し、中で人物を確認後
操舵室は開錠されるシステムです。
 
たとえクルーであっても
運航部員ではありませんので。
 
「ハロー!」「Hi!」
いつもの士官らが迎えてくれます。
 
快晴で、海はおだやか。
操舵室からの眺めは絶景でした。
 
緯度や経度、天気、気温&海水温
海の深さなど、数字に関する情報は
すべてシートに記載されています。
 
通訳として準備しなければならない
のは、その日の航海士トークでした。
 
私「今日はどんな話ですか」
航「この海域ならOut of the blueだ」
私「えっ?」
 
本船はオークランド(NZ)へ向けて
航海中だったのです。
 
以下の話を、
前方に見える海の色を見ながら
操舵室で聞けたのはラッキーでした。
 
「青の中から」、とつぜん島を
見つけて感激した航海家の話。
 
それはキャプテンクックでした。
1768年の第一航海です。
(写真:ロンドン海軍博物館所蔵)
見えた緑の島影は、未だ地図にない
ニュージーランドでした。
 
全長30m、全幅9m、7~8ノット
というバーク型帆船エンデバー号には
約90人が乗船していたそうです。
 
南太平洋の蒼さは、海も空も有名です。
これはフィジー~オークランドで撮影。
(ⓒAyako Yoshida)
地中海やエーゲ海とも違う蒼さ。
この海域になりますよ。
(写真:帝国書院ワールドアトラス)
(ⓒAyako Yoshida)
クックのように長い航海をしていて
予想外に「島」が見えてきたら
そりゃ、ビックリしますよねぇ~。
 
こんな風だったのかな?
(イメージ写真ⓒAyako Yoshida)
この話を聞いてから、ブルーとは
海だったんだ、と確信したのです。
 
理屈がじゅうぶん通っていますから。
 
*指導力も優れていたキャプテン
クックはNZや豪州だけでなく
南極へも、計3航海をしています。
 
第一航海のルートを見てみましょう。
(写真:帝国書院ワールドアトラス)
1768年に英国のプリモスを出航し
南周りで世界周航へ出ました。
 
マデイラ島を経由しリオデジャネイロ
に到着するまで、英国から3か月!
 
その後、チリ南端のホーン岬を通過し
南太平洋へ入り、タヒチ経由でNZへ。
 
数学が得意だったことから、クックは
測量や地図製作に長けていました。
 
さらに壊血病で一人も乗員を失わずに
世界周航した事実も賞賛されています。
 
乗員の健康を守る努力をしていました。
 
寄港地では柑橘類の摂取を奨励し、
船内ではサワークラウトなどを提供。
 
当時はマラリヤや赤痢など外部からの
菌が恐れられていた時代でしたから
欠乏症なんて、考えられていません。
 
ビタミンC不足が壊血病の原因だと
分かったのは1932年ですから。
 
さらに士官だけを優遇せず同じ物を
全乗員で平等に分けて食べたとか。
 
食事を残すと厳しい処罰を与える等
健康管理も徹底していたのです。
 
*航海日誌を探せ
18世紀ごろ、当時の航海が
実際どうであったのか。
 
詳しく知ることができるのは
クックをはじめ多くの航海家が
詳細な航海日誌を残したからです。
 
アウト・オブ・ザ・ブルー神話を
解明するため、下船後に私は英国の
国立海事博物館ライブラリーへ直行。
 
帆船カティサークが係留されている
近くで世界遺産エリアでもあります。
 
西暦2000年を世界標準時のある
グリニッジで迎えるため、当時の私は
ライブラリー近くに在住していました。
 
海事専門の図書館司書の助けも借り
Out of the blueの記載を探して
クックの航海日誌を読み続けたのです。
 
でも
残念ながら見つかりませんでした。
 
あの航海士は「商船大学で聞いた話」
だと話していたのですが。
 
まっ、いいか。
 
このエピソードのおかげで
南太平洋をクルーズするたびに
「青」を愛でて、遥か昔の航海に
思いを馳せて楽しんでいます。