皆さま、こんにちは!Bonne jorunee
6月の初夏が到来、昨日は雨嵐かと思いきや今日は晴天の夏日和。人生も兎角、お天気のように穏やかな日が続いていたかと思えば、急なトラブルに見舞われることだってあります。
そうゆう時こそ、浮き沈みはあれどもその人のピンチの切り抜け方に生き様のような味わいや人間の深みが増すのだと思います。
ピンチの神様を味方につける
「ピンチをチャンスに変える」とは、苦しい状況を乗り越えて好転させることを意味します。ピンチは追い詰められた状態、チャンスは物事をするのに良い機会を指すため、「ピンチはチャンス」は「追い詰められた状況こそ、新たなことを始める絶好の機会」という意味になります。マイナスをプラスに、ネガティブをポジティブに転換させる力を持つ言葉です。
ピンチをチャンスに変えるには、次のような方法があります。
- 問題解決に集中する ピンチに陥ると疲弊していいアイデアや打開策が生まれにくくなるため、多くのエネルギーと高い集中力を必要とします。
- 心と体をリラックスさせる 周囲になぐさめてもらうなどして気分一新し、全力を傾けて問題解決に集中しましょう。
- 自分を鍛えるチャンスだと考える 悪いことが起きたら、自分を鍛えるチャンスだと思って乗り越える努力をしてみましょう。
- 周りの応援を感じる 逆境だからこそ人の温かさを改めて感じられることもあるかもしれません。
ところが不幸にも、この地域で肺炎が蔓延してしまいます。しかもその肺炎はジョンジーをも襲い、とうとうジョンジーはベッドの上で寝たきりになってしまいました。そんなある朝、ジョンジーと一緒に暮らすスーに、医師が「助かる見込みは ―― そう、十に一つですな」。と、告げます。
けれども、ジョンジーはすでに生きる希望さえも捨てていて、窓の外に目をやり、隣りの煉瓦の建物をぼんやりと眺めていました。そして、煉瓦の壁を這う、枯れかけた蔦の葉を数え、「最後の一枚が散るとき、わたしも一緒に行くのよ」。とスーに言います。
けれども、ジョンジーはすでに生きる希望さえも捨てていて、窓の外に目をやり、隣りの煉瓦の建物をぼんやりと眺めていました。そして、煉瓦の壁を這う、枯れかけた蔦の葉を数え、「最後の一枚が散るとき、わたしも一緒に行くのよ」。とスーに言います。
困り果てたスーは階下に住む老画家のベーアマン(ベールマンとも)のところを訪ね、モデルの依頼をするとともにジョンジーの幻想のことも話して聞かせます。ベーアマンという画家は、口ではいつか傑作を描いてみせると豪語しているものの、酒を飲んでは人を嘲笑うといった自堕落な生活を送っていました。
ベーアマンはそんな幻想を「馬鹿げている!」と一刀両断し、「ここはジョンジーのような素敵なお嬢さんが病気で寝込むところじゃない。いつか、わしが傑作を描いたら、わしらはみんなここを出ていくんだ!」と、声を荒げ、スーを罵ります。
その夜、みぞれまじりの激しい風雨が吹き荒れます。次の朝、ジョンジーは窓の外を見たいとスーに命じ、スーもその言葉に渋々ながら従います。すると、蔦の葉がたった一枚だけ、激しい風雨の後にも関わらず残っていました。
生きる気力を取り戻したジョンジーは順調に回復していきます。しかしその一方で、ベーアマンが肺炎にかかり生死の境をさまよっていました。
次の日の午後、スーがジョンジーに、ベーアマンが亡くなったことを告げます。
そして実は、最後に残った葉は、ベーアマンが嵐の中、びしょ濡れになり、煉瓦の壁に描いたものだと。
「ああ、ジョンジー、 あれがベーアマンさんの傑作なのよ」。
『 最後の一葉』 オー・ヘンリー 翻訳:結城浩
私は、この『The Last leaf』を読んだのは小学校の国語の教科書からでした。この小説に感動して原文でも読んでみたいと思って、中学生の時に英語の辞書を片手にゆっくりと時間をかけて物語の意味を味わったことがあります。
ピンチの時にこそ視点を変えてみる
今、ここで自身の思い通りに事が運ばないときに、"こんなはずじゃなかった"とか"なんで私だけ上手くいかないんだろう"と自分を責めたり、自分の周りの環境のせいにしてしまったり、自身の思い描いた理想や自己満足にばっかり注目してしまっていることに気づきます。その気づきこそが、あれ?なーんだ!
その困りごとを誰かに話してみたり、相談してみたりして、一旦抱えていたピンチを手放してみるんです。そうすると、そのピンチに羽が生えて自分のものから他のものに変わっているんです。
『最後の一葉』に描かれたペンキで書かれたリアルな葉っぱと同じような、ある人にとっては思い込みだったり、またある人にとっては克服できる問題だとしたら、もう一遍やり直せると思いませんか?命を懸けて守ってくれるひとがいたならば、自分の命を大切にしようと思いませんか?自己暗示にかけて自分を守る。
困難こそが自分を成長させてくれるリソース
弱さこそ強みとなる。
人間誰もが裸一貫から始まって、死ぬときも一人です。
「弱さを強さに変える」
苦労や苦悩、つごう悪いことが起きると「嫌なことが起きた」と考えてしまいがちですが、実はそうではないのです。
「人間は弱いから」という言葉をよく耳にします。
実は人間は生まれながら誰もが等しく「強さ」と「弱さ」を持っているのです。
「強さ」は人間の長所であり「弱さ」は短所です。自分の弱さ・短所を強さ・長所にしていくには、どうすれば良いでしょうか。
人生の中では「試練」という形を取って、何かが起ってきます。一人一人違った形を取りながら、その人が乗り越えなければならない試練が必ず起こります。
「試練は現象的には、確かに苦しい出来事だが、実はその裏に、その人の弱さ・短所を克服し人間として成長させようという意味が含まれている。それは本当は苦しい事が起っているのではなく、自分のために良い事が起って起こっているという真実が隠されている。」丁度、もがき苦しんでいた時に、この考え方をある方から教わり、目からウロコが落ちる思いでした。
この点が理解できると、気持ちの上でも生きることが楽になります。
自分に良い事が起きたら心から感謝し、有り難いと思い、悪い事が起きたら、自分を鍛えるチャンスだと思って、乗り越える努力をしてみて下さい。必ず良い方向が見えてくるようになります。
困難は自分の成長のためにおこること。この原理原則わかれば、困難がきても「ようこそいらっしゃいました」と、明るく前向きに頑張っていけます。
過去は変われば未来も変わる
過去は変えられるということ。
「過去は変えられないけど、未来は変えられる」じゃないの?と皆さん思われると思います。過去の出来事は実際に起こったこととして真実でもあります、しかし「意味づけ」は変えられるんです。
家庭を持って子どもが生まれてくれたからこそ、私の人生はこんなにも深いものになりました。
主人や主人の家族からは、たくさんのことを学びました。それは、当たり前に感謝することです。
以前に、生まれつき重度の障害のある方たちの生活施設に勤務していた私は、空気吸うのも、食べることも話すことも、歩くこともできる、この当たり前がいかに有難いことかと思い知らされました。もちろん、重度の障害のある方たちにとっては、私たちから見た障害をなんともなしに乗り越えているように思えました。
現在は、メンタル不調で休職していても彼らの懸命に生きる姿を思い出したら何とか乗り越えられると思えて仕方がないんです。
過去に沢山の恨みや酷く思わせぶりな態度で失敗もしたり、失恋や挫折や経済的困難やDVにあったりもしました。いつも上機嫌でいることが、なんと難しいことでしょう。
それでも人は生きていれば何とかなる!
この貴重な経験があってこそ、未来をもっと意味のあるものにしていかなければ!!
過去の不遇な環境や理不尽なで出来事さえも、乗り越えてこられたことに自信をもって生きています。誰かと比べても仕方のないこと。私だけの特別な物語は、痛快コメディのように笑って話せば怖くない。
だから、過去の出来事を価値ある経験に変えると、未来までも変わってしまう。
ここ、すごく重要です!!
ポジティブに生きて笑って過ごしませんか!!!