寒さのピークは過ぎましたが、朝はまだ非常に寒いです。午前中いっぱいは気温が上がらず、なかなか散歩に出かける気になれません。
能登半島の被災地は、ボランティアの人たちも少しづつ参加できるようになってきましたが、まだ危険で立ち入れない箇所も多いようです。何より、雪が降る、この寒さは堪えるでしょう。早く暖かい日が訪れますように。
★大橋純子追悼
大橋純子 1950年4月26日生まれ、2023年11月9日死去。
ここのところ、70代前半で亡くなるアーティストが増えています。大橋純子さんもその一人、昨年73歳の若さで亡くなりました。
新春シリーズではありますが、今回のJポップ編は「大橋純子追悼編」をお送りします。
代表曲である「たそがれマイ・ラブ」「シルエット・ロマンス」「シンプル・ラブ」をお聴きください。
★「たそがれマイ・ラブ」のピアノ演奏
★ちょっとねこのお話、聞いてね!
チャピーという子猫の巻き
3びき(グレ、カノジョ、マスターの3びきののらねこ)のところに泊めてもらった、チャピーという子猫は、どうなったでしょう。
チャピーは人間の年齢で言うと、12歳くらいの女の子。毛足の長い、真っ白い猫で、愛くるしいブルーの目をしていました。
チャピーは、家無し猫にしては、白い毛並みも汚れていないし、カノジョたちといっしょに食事をした時も、ガツガツせずに、とても上品に食べました。
この様子を見て、マスターが、
「おい、チャピー!!お前家がないというのは、うそだろう。正直に白状しろよ。」
と、強い口調で言いました。
カノジョ
「あなたの様子だと、由緒ある家柄の猫だと思うわ。私たちは孤児だったから、あなたは家無し猫ではないとわかるの。」
グレ
「正直に話してごらん。家に帰りたくない事情があるなら、話を聞いてあげるから。僕たちは、無理やり君を、家に帰したりしないよ。」
チャピーはしばらくだまっていましたが、観念して少しづつ話しはじめました。
チャピーはダイヤモンド.キャット7番街という高級住宅地に住んでいて、パトリシア家という、古くからある、名門の猫だそうです。
幼少の頃から、家庭教師が何人もいて、勉強の他にも、色々な習い事、行儀作法にいたるまで、みっちり教育されたそうです。
ほしいものは何でも与えられ、衣装も1日に3度も着替えるほど、たくさんあったし、なに不自由なく暮らしていましたが、1つだけ、許されないことがありました。
それは、1人で外出することです。外出する時は、親か、家庭教師か、使用人のだれかが、必ずいっしょでした。そして、用件が済むとすぐに家にもどらなければなりません。
パトリシア家は広いお屋敷で、庭も車で移動するほど広く、友達もよく遊びに来てくれました。しかし、友達はみんな、チャピーと同じ家柄のボンボンで、毎日同じような生活の繰り返しでした。
チャピーは、テレビで見たことのある、街角で歌う、ストリート・ミュージッシャンにあこがれました。
「私のまわりには、あんな猫たちはいないわ。私もストリート・ミュージッシャンになりたい。」
毎日、々思い続けるようになり、ある日こっそり、家を抜け出して来たのです。
生まれてはじめて、自由を満喫したチャピーは、もう、家には戻りたくないと言い出しました。
マスター
「事情はわかった。ここにおいてやってもいいが、贅沢はできないぞ。」
カノジョ
「でも、ご両親がどんなに心配しているか...一応ここにいることを知らせましょう。」
チャピー
「そんなことしたら、家に連れ戻されてしまいます。お願いだから、知らせないで。」
チャピーはカノジョにしがみついて、泣き出しました。
3びきは悩んだあげく、チャピーをここにおくことにしました。
チャピーの両親には、ここの居場所を知らせずに、チャピーが元気でいることを伝えなくてはなりません。
同じアパートに住んでいる、ハトのポッポさんに、手紙を届けてもらうことにしました。
「お父様、お母様、だまって家を出てしまってごめんなさい。私は今とても幸せに暮らしていますので、探さないでください。又お手紙書きます。チャピー」
こうして、3びきとチャピーの生活がはじまったのです。
つづく
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