人は誰かのために生きられない
人の中に自分を含めるなら
自分のためにも生きられない
ために
人のため
誰かのために
大切な人、好きな人
誰かのために生きられたらと想う
自分がそこにいることを赦すために。
でもそれは押し付けに過ぎない
誰かのために
と何かをしても、何を想ってもそれは自分を満たすためのもの以外のなにものでもない。
相手が自分と同じ様に自分を想ってくれているならそれはまだ自分のためだけではないかもしれない。
本当にその人の何かになった、あるいはなるのかもしれない。
でも根底に自分のためにがある
そう思うと凄くそれが、誰かのためにが、歪んだものに思える。
人のために生きること、人に含まれてしまう自分のために生きるのなんて厭だよ。
いや。
自分のために人を想い、それに執着する。
ぞの答えが誰かのためになのか、自分のためになのか、生きるためなのか、死ぬためなのか、
それは人それぞれ違うし、それを見つけていくことが生きることなのかもしれない。そう想う人には。
あたしは誰かのためにを理由にして自分のために自分を無にしたいのかもしれない。
だからその答えを見つけるために生きていても無を手に入れられなければわからないのかもしれない。きっと。
無に。人間の中で。
好きな人の、大切な人の無になってしまったら、自分がそこにいること自体わからなくて答えも見つかるはずがないのに。そして凄く淋しくて、凄く哀しいはずなのに。
何がしたいんだろう。
何ができるんだろう。じゃなくて。何に向かいたいんだろう。
苦しいとわかってるのに、それが自分が自分に対することなのに。
そしてその自分に対する苦しさが大切な人をも苦しめるのに。
お日様は好きじゃない。
あたしに影を創り、あたしが存在していることを実感させる。
夜はあたしを暗闇に溶け込ませてくれる。無にしてくれる。