お詫び:昨日のブログ「グアテマラ」じゃなくて…「グアンタナモ刑務所」です…

間違えてごめんなさい…りょうちん教えてくれてありがとう!

グアテマラのコーヒーもおいしいけど、タンザニアとケニアのコーヒーは

インスタントでもおいしいと思います!


2007年12月末にケニアで起きたPost-election Violence

恥ずかしながら、私はケニアに来るまでまだこの暴動は続いているのではと思っていました。


暴動の激しかったことで有名なキスムですが、今は落ち着きを取り戻しています。

というか…暴動があったことを感じさせないぐらいpeacefulな雰囲気です。



しかし、まだ暴動のあとは修復されずに町やスラムにたくさん残っています。

燃やされて真っ黒そのままのキクユ族が経営していたビジネスやゲストハウス、

ギリシャの遺跡を思い出させるほどひどく壊された建物、

タイヤ積んでバリアとして火をかけ、通行させなかった道路は今もそのでこぼこのあとが残っています。


いつか写真集をアップします。




1000人以上も殺害され、200、000人を越える難民もたくさん発生しました。

(数字はいろんな情報源によって違います…)



この暴動の発端は現在のキバキ大統領(キクユ族)とライラ(ルオ族、現在の首相)の

大統領戦です。票が不透明なまま、キバキが再選という事実に、

キクユ族以外の民族が反抗し、暴動が起きました。



カレンジというケニア北部の部族がカレンジの土地のキクユ族を殺害し、逆も起こった。

カレンジは北部で狩りをして生活をしている人が多いため、

普段動物huntをしている彼らにとって、人間をhuntすることに「ルオ族ほど」抵抗ないと

ベリルから聞きました。もちろん、人間を殺害することを悪いことだと彼らも思っているはずですが。


暴動の発端はKondeleという地区。

ここはキスムにおける暴動の発端として地元の人の間で有名な場所です。

町の中心とスラム地区のManyattaの間に位置しています。

ここを通り過ぎると、暴動がここで始まっても、おかしくないと感じます。

それは、この場所にマーケットとともに、仕事のない若者がビリヤードをやっていたり、

おしゃべりのために集まっているからです。


ベリルの話によると、暴動が起きていたときは彼女自身、一切家を出ることはできず、

継母が一日一回食べ物を探しに外へ出ていたそうです。

町の中心をみると黒い煙で覆われていたそうです。

もう二度とあのような悲しい暴動はみたくないと言っていました。


私の上司Benも(彼はルオ族なのに)この暴動で建設途中の新築の家が

崩壊してしまったそうです。警察も暴動に参加していたため、収拾がつかなくなってしまった。




ケニアでの最初の夜、ナイロビで難民を助ける会のスーダン事務所代表の方と

ご飯を食べる機会がありました。

その方のお話だと、選挙ができる→ある程度の民主主義が確立されるという構造ができる。

しかし、この構造が壊れてしまって世界からケニアは安定しているという見解が

崩されてしまった。ケニアが不安定になると内陸のウガンダ、ルワンダに

物資が届きにくくなるそうで、ほかの国へ多大なる影響を与えることになる。


アフリカは首長制が根強く残っているから、死ぬまで大統領であり続けるという考えがある。

大統領になると大統領2期制という法律を変えてしまう。


数日前、私の住んでいる家の管理人のご主人、Yuriが仕事でキスムを訪れる機会が

あったので、この暴動について話をしていました。

Yuriはフィンランド人で、ルオ族のケニア女性と結婚し、6年前からナイロビに住んでいます。

現在は車にGPSのようなものをつけて、盗まれてもどこを車が走っているかわかるように

トレッキングする仕事をなさっています。




こっちにくると、欧米人はアメリカ、イギリスはもちろんのこと、

意外にも北欧の人が多いのを感じます。

聞いたところによると、冷戦時代、アメリカとソ連がアフリカに投資を渋っていた間、

北欧がアフリカ援助に進出したそうです(何か政治的意図はあったのでしょうか…)。


Yuriperspectiveですが、興味深かったので、書き留めておこうと思います。


「ケニアにおける、キクユ、ルオ、マサイ、カレンジなどの民族の対立は

永遠に解決されると自分は思わない。

なぜなら、1963年にケニアが独立して、最初の大統領がイギリスとの合意で

キクユ族のケニヤッタになってから、その対立は根強く残っているから。

(ケニアの大統領はKenyattaMoiKibakiと独立後3人しか大統領が存在していないそうで)」


「ただ間違えてはならないのは、各民族がお互いに対立しているのではなく、

キクユ族vs他の部族という構造ができている。

ルオ族はキクユがルオの土地に来てビジネスをするのに抵抗しないが、

ほかの部族がキクユの土地に行ってビジネスを行なうことは難しい。

ルオは民家の庭にお墓をつくる文化があるが、キクユは違う。」


「キクユが譲歩しない限り、永遠にこの壁は埋められないと。」


「ルオ族は理由もなく暴動をして、人を殺害する部族ではない。

(ベリルの話だと、ルオ族は他人を殺害すると自分も殺害されると強く信じているらしい)

ルオ族は例えば、何か盗みたいときに面と向かって戦いを挑むが、

キクユ族は夜を狙って盗みを行なう、というずるい性格を持っている。」


「キバキは普段何も行動しないが、ラヒラが何かしようとするとすぐ立場を変えて行動に移す」と

彼なりの意見を教えていただき、それを聞いていたベリル(ルオ族)も

同じようなことを言っていました。



最後に、この暴動を治めようとコフィーアナンがケニアに来たことは有名ですが、

その貴重なやりとりも教えていただきました。


Marthaという大臣(キバキ派)がアナンさんがケニア人でなく、ガーナ人なのに、

なぜわざわざケニアに来て暴動を収めなければならないのか、

われわれの力でできると反論し、アナンさんは忙しいなかわざわざ助けようとしたのに

そのような対応のため、怒ったそうです。


そしてその夜、アメリカ(当時)ライス国務長官に

I have my own life and I have much more thing to do

だからケニア政府が協力しないなら、ほっておく」と電話したそうです。

そうしたら、次の日、アメリカ大統領(当時)のBushと 英首相のBrownがキバキに、

アナンさんの方針に従って暴動を治めなければ、大統領の座をおろすと電話したそうで。

キバキはそれを恐れて、アナンさんの方針に従うことにした。


この話どこまで本当かわからないのですが、

現在のケニア農業大臣がyuriやほかの有識者にしたお話だそうです。


2009年現在、暴動当時、特定の部族を殺害せよと命令したのではないかという

ケニア政治家に対するInternational Criminal Courtで何は実際起こったのか更に調査されるそうで。




政治力というか、ケニア政府の不透明すぎるガバナンスにケニアの国民でさえ

嫌気がさしているのに、この国が部族の対立なく、

次回2012年の大統領戦でちゃんとした民主主義の選挙が成功して

(投票するのに数時間並ぶそうですが…)

国民の意思が政治に反映されることを私は願っています。




(個人的に聞いた、集めた情報なので、事実と違ったことが書いてある場合はすみません…。

ググるといろんな見方の記事たくさんでてきます♪)


昨日夜ご飯食べてたときに、アメリカはいい意味でも悪い意味でも世界のあちこちに

手を出しすぎてて、もうどうしようもないよね~ってアメリカ人が言っていておもしろいと思いました。

北朝鮮との会議といい、ケニアの暴動といい…。