Knowing
ノウイング プレミアム・エディション [DVD]/ニコラス・ケイジ,チャンドラー・カンタベリー,ローズ・バーン

¥3,990
Amazon.co.jp
☆☆☆☆★
ミステリー要素のあるSF。
最近のSf映画は、人類の起源とか、宇宙の歴史とか、ぶっとんでるようで近い線を行ってるんじゃないかと思う。
ストーリーの細部に荒さがみられたが、全体的に話の筋として面白かった。
劇中の大惨事の数々のシーンが、とてもリアルな描写がされており、息をのんだ。
最近の震災と重なり、被害に遭われた方は本当に怖い思いをしたんだと考える。

¥3,990
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☆☆☆☆★
ミステリー要素のあるSF。
最近のSf映画は、人類の起源とか、宇宙の歴史とか、ぶっとんでるようで近い線を行ってるんじゃないかと思う。
ストーリーの細部に荒さがみられたが、全体的に話の筋として面白かった。
劇中の大惨事の数々のシーンが、とてもリアルな描写がされており、息をのんだ。
最近の震災と重なり、被害に遭われた方は本当に怖い思いをしたんだと考える。
雨
雨・赤毛 (新潮文庫―モーム短篇集)/サマセット・モーム

¥380
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モーム個人のみならず、世界文学の短篇史上最高傑作と称される本作。
狂信的な布教への情熱に燃える宣教師デイヴィットソンと医者のマクフェイル。
物語はマクフェイルの視点から進められる。
任地への途上、検疫の為滞在することになった南洋の小島で、彼らは娼婦のミス・トムソンと出会う。
「傲岸極まるあばずれ女」の彼女を何がなんでも教化させようと執拗に追い詰めるデイヴィッドソンだが、最後には理性を失い衝撃の結末を迎えてしまう。
デイヴィッドソンは自分の信念を決して曲げず、冷酷なまでに意思を貫く。
彼女を改心させ罪を清めるという善意が、強硬過ぎるほどの彼の言動により彼女を精神的に追い詰めて行く。
彼の考えが間違っているわけではない。
しかし、教えに従って何もかもを罪とみなし、徹底的に排除する様は異常である。
読んでいる私も、また作品中の人物までも、それに苦々しさを感じずにはいられない。
善とは何であるか、他者を本当に幸福にする行動とは何なのか。
非常に考えさせられた。

¥380
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モーム個人のみならず、世界文学の短篇史上最高傑作と称される本作。
狂信的な布教への情熱に燃える宣教師デイヴィットソンと医者のマクフェイル。
物語はマクフェイルの視点から進められる。
任地への途上、検疫の為滞在することになった南洋の小島で、彼らは娼婦のミス・トムソンと出会う。
「傲岸極まるあばずれ女」の彼女を何がなんでも教化させようと執拗に追い詰めるデイヴィッドソンだが、最後には理性を失い衝撃の結末を迎えてしまう。
デイヴィッドソンは自分の信念を決して曲げず、冷酷なまでに意思を貫く。
彼女を改心させ罪を清めるという善意が、強硬過ぎるほどの彼の言動により彼女を精神的に追い詰めて行く。
彼の考えが間違っているわけではない。
しかし、教えに従って何もかもを罪とみなし、徹底的に排除する様は異常である。
読んでいる私も、また作品中の人物までも、それに苦々しさを感じずにはいられない。
善とは何であるか、他者を本当に幸福にする行動とは何なのか。
非常に考えさせられた。
プラトン対話編ラケス
ラケス (講談社学術文庫)/プラトン

¥609
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ずっと読みたかったプラトン対話編を初購入。
初学者向きの初期対談とのこと。
思考力を鍛えるために以下、「ラケス」解題を行った。
-----------------------
「ラケス」解題
議論の発起点:2人のアテネ市民の息子たちに関し、どのように教育されればもっともすぐれた者になれるか
■何を学んだり、何に励めばもっともすぐれた者になれるのか?
□(ある人が紹介してくれた)重武装をして戦うことを学ぶことは、若者にとってふさわしいか否か
ニキアス:有益である
ラケス:必要ない
審判をソクラテスに請う
ソクラテスの問いかけ
■われわれのうちの誰かが専門的技術を持っているか?
□「重武装をして戦うことを学ぶこと」ではなく、それによって身につけようとしているものが何かを思案する必要がある
「ある人が、あるもののために、あることを考察しているときには、その思案は、そのことのために彼が考察していたまさにその対象に関わるものなのです。」
■若者たちの心のために、学科について考察しているのか?
□専門的技術や、優れた先生を持っているか?明確な根拠となる成果があるか?
その場にいる誰もその分野に関して専門的な技術や優れた先生を持った経験がない。
議論の転換
ソクラテスの問いかけ
「どんなものについてであれ、そのもの(A)が別のあるもの(B)に備わるときには、それ(A)は、それが備わるところのもの(B)を、前よりもすぐれたものとするということを私たちがたまたま知っており、さらにこれに加えて、私たちがそれ(A)を先のもの(B)に備わるようにすることができる場合には、そのもの(A)自体---それについて我々は、<どのようにすれば、人はそれ(A)を最も容易かつすぐれた仕方で手に入れることができるか>ということを助言することが期待されているのですが---を我々が知っていることは明らかなのです。」
以上の問いかけから、
①(A)→(B)better
makes
②What is(A)
の2点を彼らは知っていることが議論の前提となる。
そこから導き出された議論の命題…
<どのようにすれば彼らの息子さんたちの心に徳が備わって、彼らを前よりもすぐれたものとすることができるか>
その為の前提条件…
①徳がいったい何であるかを知っていること
②勇気とは、徳の必要とする一部分であること
■勇気とは何であるのか
□どのような仕方で若者たちにそれが備わり得るか<(→)の箇所>
ラケス:武闘における勇気とは、踏みとどまること
ソクラテス:すべてにおいて同一の「勇気」とは?
ラケス:心の何らかの忍耐強さ
ソクラテス:すべての場合に当てはまらない
なぜなら
<思慮を伴った忍耐強さ>は善であり、
<無思慮を伴った忍耐強さ>は悪である。
つまり、<思慮を伴った忍耐強さ>が勇気だといえる?
■<思慮を伴った忍耐強さ>が勇気である場合、何に関する思慮なのか?
ここで2人は議論に行き詰まり、袋小路に入る。そこでニキアスが参加
ニキアス:「知っていることに関してはすぐれた者、無知であることに関しては劣ったものである」
=勇気とは「ある種の知」である
■何に対する知か?:「恐ろしいことと平気なことについての知識」
□「恐れを知らないということ」と「勇気がある」ということは別である
前者:向こう見ず、先慮を欠いた恐いもの知らず
後者:勇気と先慮
ソクラテスによる定義
①恐ろしいこと:恐れを引き起こすもの
②平気なこと:恐れを与えないようなもの
①恐れを引き起こすもの→「予期」である。これから生じる悪についての予期
ソクラテスの問いかけ
「ニキアスさん、あなたは我々と同じく、同一の事柄に関しては、これから生じることについても、現に生じつつあることについても、すでに生じたことについても、同一の知識が理解しているのだとおっしゃるのでしょうか。」
→①と②についてのみ言えば、その一部分のみ、つまり3分の1しか答えていないことになる。
■(ニキアスの理論に従えば、)あらゆるあり方の、あらゆる善いことと悪いことについての知識が必要
□そのような人物が徳の何かに欠ける点があるか?
→「あらゆるあり方の、あらゆる善いことと悪いことについての知識」は、徳の一部ではなく徳の全体ということになる
議論終了
------------------------------
ソクラテスの議論は「ロゴス」=定義探求過程と呼ばれる、ソクラテスによる問いかけによる対話形式で進められる。
その通り、ソクラテスは問いかけを通し議論の物事を一つ一つ定義するなかで、議論している本人たちも気付かないうちに当初の議題を超えて、「真理」への探求へと議論が進められていく。
ソクラテスの「ロゴス」はプラトンをはじめとする弟子に受け継がれ、ソクラテスの亡き後プラトンは「アカデメイア」を創設する。
そこでの教育方法も、師ソクラテスと同様生徒との対話を基本とし、知識を「教える」のではなく、「引き出す」教育法であったという。
私自身まだソクラテス・プラトン各人の経歴については詳しくないが、プラトンの著作を学ぶことで、ソクラテスの定義探求過程を学ぶことができ、非常に学ぶことが多かった。
私個人的にはソクラテスの教授法は歴史上最も優れたものであると思う。
今回の議論において、注目すべきは、議論の出発点となった「武闘技術の学科の良し悪しについて」とのテーマから、「そもそも何を身に付けるためにその学科を受けるのか?」「それが勇気だと言うのならば、勇気が何であるかを明快に理解しているか?」という、勇気という徳の本質を追究する根本的な議論へと深まっていったことだ。
参加者への問いかけのみを通し、そこまで議論を誘導したソクラテスの一流の対話法には感嘆した。
最終的にソクラテスを含む全員が助言者たる資格を満たしていないことが判明し、自分自身のために着くべき師を探すことを提案し議論が終了する。
ソクラテスは一貫して自分が他人より優れていないことを主張するが、その一方、常に参加者を励まし、踏みとどまり議論を掘り下げるべく説くソクラテスの姿に一種の勇気が体現されていたように思う。
「それが一つの学科であって、ニキアスが主張しているような性質のものであるならば、それを学ばなければならないだろうね。しかし、それが実は学科などではなく、それを教えると称している者たちがだましているのだとしたら、さもなければ、それがたまたま学科の一つではあっても、余りまともなものではないとするならば、なぜそれを学ぶ必要があるだろうか。」
「ある人物が徳について、あるいはなんらかの知恵について対話を交わしているのを耳にするとき、
その人物が本当に男らしくて、口にしている言葉にふさわしい場合には、僕はこの上もなく嬉しくなるのだ。
語っている人間と語られている事柄とが、互いに調和し、また響和しているのを目にしてね。
そしてそのような人物はまさに音楽的な人だと私には見えるのだ。
もっとも美しいハーモニーをつくり出してね。
それもりリュラとか子供じみた楽器のたぐいではなく、本当に自分の実生活を自ら行動に関してその言葉と響和したものとなすことによってね。」
参考資料より
「いや私は君に言うがソクラテス、と彼(プロタゴラス)は言った。
すなわち、それら(知恵、節度、勇気、正義、敬虔)はすべて徳の部分であり、それらのうちの四つは互いにかなり似通っているのだが、しかし、勇気はそれらのすべてと、まったく異なっているのだ。
私が本当のことを言っていることは、次のことから君にわかるだろう。
というのも、君は多くの人間が極めて不正で不経験で放縦で無知でありながら、人並みあずれて勇気があるのを見出すだろうからだ。」プラトン『プロタゴラス』

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ニキアス:有益である
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■われわれのうちの誰かが専門的技術を持っているか?
□「重武装をして戦うことを学ぶこと」ではなく、それによって身につけようとしているものが何かを思案する必要がある
「ある人が、あるもののために、あることを考察しているときには、その思案は、そのことのために彼が考察していたまさにその対象に関わるものなのです。」
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「どんなものについてであれ、そのもの(A)が別のあるもの(B)に備わるときには、それ(A)は、それが備わるところのもの(B)を、前よりもすぐれたものとするということを私たちがたまたま知っており、さらにこれに加えて、私たちがそれ(A)を先のもの(B)に備わるようにすることができる場合には、そのもの(A)自体---それについて我々は、<どのようにすれば、人はそれ(A)を最も容易かつすぐれた仕方で手に入れることができるか>ということを助言することが期待されているのですが---を我々が知っていることは明らかなのです。」
以上の問いかけから、
①(A)→(B)better
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②What is(A)
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そこから導き出された議論の命題…
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①徳がいったい何であるかを知っていること
②勇気とは、徳の必要とする一部分であること
■勇気とは何であるのか
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ソクラテス:すべてにおいて同一の「勇気」とは?
ラケス:心の何らかの忍耐強さ
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なぜなら
<思慮を伴った忍耐強さ>は善であり、
<無思慮を伴った忍耐強さ>は悪である。
つまり、<思慮を伴った忍耐強さ>が勇気だといえる?
■<思慮を伴った忍耐強さ>が勇気である場合、何に関する思慮なのか?
ここで2人は議論に行き詰まり、袋小路に入る。そこでニキアスが参加
ニキアス:「知っていることに関してはすぐれた者、無知であることに関しては劣ったものである」
=勇気とは「ある種の知」である
■何に対する知か?:「恐ろしいことと平気なことについての知識」
□「恐れを知らないということ」と「勇気がある」ということは別である
前者:向こう見ず、先慮を欠いた恐いもの知らず
後者:勇気と先慮
ソクラテスによる定義
①恐ろしいこと:恐れを引き起こすもの
②平気なこと:恐れを与えないようなもの
①恐れを引き起こすもの→「予期」である。これから生じる悪についての予期
ソクラテスの問いかけ
「ニキアスさん、あなたは我々と同じく、同一の事柄に関しては、これから生じることについても、現に生じつつあることについても、すでに生じたことについても、同一の知識が理解しているのだとおっしゃるのでしょうか。」
→①と②についてのみ言えば、その一部分のみ、つまり3分の1しか答えていないことになる。
■(ニキアスの理論に従えば、)あらゆるあり方の、あらゆる善いことと悪いことについての知識が必要
□そのような人物が徳の何かに欠ける点があるか?
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その通り、ソクラテスは問いかけを通し議論の物事を一つ一つ定義するなかで、議論している本人たちも気付かないうちに当初の議題を超えて、「真理」への探求へと議論が進められていく。
ソクラテスの「ロゴス」はプラトンをはじめとする弟子に受け継がれ、ソクラテスの亡き後プラトンは「アカデメイア」を創設する。
そこでの教育方法も、師ソクラテスと同様生徒との対話を基本とし、知識を「教える」のではなく、「引き出す」教育法であったという。
私自身まだソクラテス・プラトン各人の経歴については詳しくないが、プラトンの著作を学ぶことで、ソクラテスの定義探求過程を学ぶことができ、非常に学ぶことが多かった。
私個人的にはソクラテスの教授法は歴史上最も優れたものであると思う。
今回の議論において、注目すべきは、議論の出発点となった「武闘技術の学科の良し悪しについて」とのテーマから、「そもそも何を身に付けるためにその学科を受けるのか?」「それが勇気だと言うのならば、勇気が何であるかを明快に理解しているか?」という、勇気という徳の本質を追究する根本的な議論へと深まっていったことだ。
参加者への問いかけのみを通し、そこまで議論を誘導したソクラテスの一流の対話法には感嘆した。
最終的にソクラテスを含む全員が助言者たる資格を満たしていないことが判明し、自分自身のために着くべき師を探すことを提案し議論が終了する。
ソクラテスは一貫して自分が他人より優れていないことを主張するが、その一方、常に参加者を励まし、踏みとどまり議論を掘り下げるべく説くソクラテスの姿に一種の勇気が体現されていたように思う。
「それが一つの学科であって、ニキアスが主張しているような性質のものであるならば、それを学ばなければならないだろうね。しかし、それが実は学科などではなく、それを教えると称している者たちがだましているのだとしたら、さもなければ、それがたまたま学科の一つではあっても、余りまともなものではないとするならば、なぜそれを学ぶ必要があるだろうか。」
「ある人物が徳について、あるいはなんらかの知恵について対話を交わしているのを耳にするとき、
その人物が本当に男らしくて、口にしている言葉にふさわしい場合には、僕はこの上もなく嬉しくなるのだ。
語っている人間と語られている事柄とが、互いに調和し、また響和しているのを目にしてね。
そしてそのような人物はまさに音楽的な人だと私には見えるのだ。
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すなわち、それら(知恵、節度、勇気、正義、敬虔)はすべて徳の部分であり、それらのうちの四つは互いにかなり似通っているのだが、しかし、勇気はそれらのすべてと、まったく異なっているのだ。
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というのも、君は多くの人間が極めて不正で不経験で放縦で無知でありながら、人並みあずれて勇気があるのを見出すだろうからだ。」プラトン『プロタゴラス』