乳がん1年生 その2 | ココアラテぷらす、ときどき読書

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子宮筋腫発覚!どうなる私!?
2019年にステージ0の乳ガンが発覚しました。(5月20日に手術しました)
婦人科と皮膚科と外科にも定期的に通院してます。

針生検

 

検査の一つに、針生検というものがあります。

私は線維腺腫の手術を経験しているので、この検査もお馴染みになっていたのですが、痛いのが、料金。

検査を受ける時に、お医者さんに「検査費用、大丈夫ですか?」と聞かれるぐらい、高価なんです。

1回、私が通っている病院では22000円程(3割負担)します。

 

エコーガイド下での検査で、1度目の検査では、グレー判断。

つまり「がんかどうか分からない」状態。

その時のしこりの大きさは約8ミリ。

よくエコーの技師さんも見つけてくれたと今はそう思います。

 

グレー判断が出てしまったので、2度目はもう少し太い針での検査となりました。

針を胸に刺して、ぐいぐいと奥へと針は突き進みました。

私は思わず「痛いです!」と言ったのですが、お医者さんは「もう少しだから我慢してね」とのこと(涙)

 

そんなこんなで、なんとかグレーの細胞は採取されて、外部へ検査に出されました。

 

告知

 

私が乳がんの告知をされたのは、忘れもしない、4月10日でした。

どうやら、お医者さんがその事実を知ったのは、4月3日だったようです。

 

その日の私の外科での外来の順番は、最後でした。

お医者さんが、ゆっくりと話を出来るようにと配慮してくださったようです。

 

母と一緒に外来の長椅子で待っていると「あやかさん、どうぞ」という看護師さんの声がして、診察室へと入りました。

 

お医者さんはゆっくりと、こう言いました。

 

「がんです」と。

 

母は「グレーじゃなかったんですか?」(私から針生検の結果を聞いていたので)と何回も言ったけれど、お医者さんは「がんです。でもまだ、手術をしていないので、ステージは分かりません」と再度、こう言いました。

 

私はその時、頭が真っ白になっていて、お医者さんの言っていることがよく分かりませんでした。

混乱しているのは、私よりも母でした。

 

過去

 

叔母の一人は、40代の若さで亡くなっています。

私は、その叔母のお見舞いへ行ったことを記憶しています。

当時、小学生でした。

その叔母は、既に乳がんが全身に転移していて、どうしようもない状態になっていることは、私には知らされてはおらず、何故、叔母が病室ではらはらと泣いているのかが分かりませんでした。

 

その叔母はそれからすぐに亡くなりました。

だから、私の中で乳がん=死という方程式が成り立っていたのです。

私は頭の中でお医者さんに質問していました。

 

「乳がんっていうことは、死ぬんですか?」と。

 

告知されて

 

告知を受けた後、どのように過ごしていたのか、今はよく覚えていません。

というのも、かなり酷い、いわゆる鬱状態になってしまったからです。

 

乳がんは告知されてから2週間ほどで、酷い鬱状態になることが知られています。

 

まず、食欲が全く無くなり、食べられなくなりました。

食事の匂いがどうだとかではなく、まず、食べ物を食べ物と認識出来なくなったのです。

その後、眠れなくなりました。

いわゆる「不眠」の状態です。

考えても、考えても、叔母のあの最期の姿が頭によぎりました。

 

この時、不思議な事に、自分が乳がんであることを恨むようなことはありませんでした。

ただ、2人の妹ががんじゃなかったことに、安堵していたのです。

 

命の電話に電話を何度もしたけれども、繋がりませんでした。

私は一人きりで、泣きました。

 

「私はどうなるんだろう」

「死んでしまうんだろうか」

「胸はどうなるんだろう」

「結婚は?赤ちゃんは?」

 

いろいろな事を考えて、眠れなくなったのです。(続く)