災害女子。(その1) | ココアラテぷらす、ときどき読書

ココアラテぷらす、ときどき読書

子宮筋腫発覚!どうなる私!?
2019年にステージ0の乳ガンが発覚しました。(5月20日に手術しました)
婦人科と皮膚科と外科にも定期的に通院してます。

その日、私は午前1時に既に目が覚めていた。

父が急逝したストレス(何故ストレスになっていたのかというのは後述します)が続いて早朝覚醒が続いていたのだ。

気持ちが相変わらず悪いまま、支援所へ行く用意をしていると、突然、私自身が揺れた。

いや、揺れたというよりも、縦に跳ねている。

立ち上がれない。

「地震だ!」と思った瞬間「ゴー!」という音とともに、何度も飛び上がった。

こんなに揺れた経験はかつてなく、私は無くなった父に助けてもらおうと「パパー!」と思わず叫んでいた。

それでもグラグラと物凄い縦揺れがつづいていた。

それがピタッと収まったのは、揺れ始めてから7〜8分の事だった。

「震度5弱」

後に私が住んでいた地域は震度5弱もあったのだと、後で気づいた。

電気がすぐに一斉にショートして、全ての灯りが消えた。

停電になったのだ。

 

そして、外へ出てみると、近所の人たちも続々と安否確認のために、真っ暗な中、出てきていた。

皆、真っ暗な最中、懐中電灯を手に、各々の無事を言い合い、停電になっていることも改めて確認した。

しばらくして、隣の Kさんが「それじゃ、私、寝るわ」って言って、家へ戻っていった。

物凄い心臓の持ち主だ。

私たちも家へ戻った。

居間は物が落ちて、ぐちゃぐちゃ。

足の踏み場も無かった。

被害といえば、コップが数個、割れただけで済んだ…と思っていた。

でもそれは後に違うということが分かった。(これも後述します)

食器棚の食器も割れていなかった。

タンスはかろうじて、無事だったようだ。

でも普段使っていない私の部屋はというと、書籍が雪崩のように落ちていた。

その数はざっと30冊程だろうか。

今でも時間が無いのと余震が怖いので、部屋にはあまり近づかないようにしている。

新聞がやってくるのをジリジリと待った。

新聞屋さんがやっと来た。

でも新聞はなかなか来なかった。

やっと真っ暗な中、新聞が来た。

私たちはそれを貪るように読んだ。

地震の事は載っていない。

当たり前といえば当たり前なのだが。

午前3時過ぎに起きた地震だったので、きっと輪転機が間に合わなかったのだろう。

 

私は朝6時になるのをジリジリと待っていた。

我が家の近くにはセイコーマートがあって、そこで食料を調達できると考えたのだ。

でもその考えは甘かった。

お店の中を外のガラス越しに見てみると、何と、ワインの瓶が何本か落ちて、床にワインがぶちまけられていた。

これがお昼の営業時間だと思ったら、ゾッとした。

けが人はいなかったのだろうか?

近くからゾロゾロと人が集まり始めた。

朝の開店時間が過ぎる。

それでもお店のシャッターは閉じたまま。

きっとオーナーも地震で来れないのだと諦めて、20分ほど、そこで粘ったが、結局、お店が開かなかったので、私は家に一旦、帰宅することにした。

後から聞いた話だと、どうやらその日、お店がオープンしたのは朝8時だという。

私は12時ぐらいにお店に行ってみると、お店の中には続々と物を求めて買い物客がレジに並んでいた。(続く)

 

あなたの「ぽち」が励みになります!↓
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 強迫性障害(強迫神経症)へ にほんブログ村

 


節約・貯蓄 ブログランキングへ