量子は「色即是空、空即是色」
「色」とは、宇宙のすべての形ある物質のこと。
「空」とは、実体がなく空虚であるということ。
「即是」とは、二つのものが全く一体不二であること。
すべてのものは、永劫不変の実体ではないという、仏教の根本教理で『般若心経』にある言葉。(故事ことわざ辞典より)
仏教の根本教理である「般若心経」の中で最も有名な「色即是空、空即是色」です。これは「量子の世界」を説いているようなのです。お釈迦様を始め空海さんも悟っていたと思われます。
光子は素粒子です。旧約聖書「創世記」では、神は「光あれ」と云われました。
◎はじめに神は天と地とを創造された。
◎地は形なく、むなしく、闇が淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
◎神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
◎神はその光を見て、良しとされた。神はその光と闇とを分けられた。
◎神は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。
「量子」は態度、振る舞い(1/11)より
前記事で使用した原子核を取り巻く図ですが、電子(量子の一種)はいかにも惑星の軌道のようにぐるぐる回っているように見えますね。
量子力学 その5~電子雲(宇宙のこっくり亭さん)より拝借
ところが、量子力学が発達してからは、上図のように「原子核のまわりを電子雲がとり巻いている」という図に変わりました。
原子核の周りを飛んでいるのは確かなのですが、その電子が今どこにいるかというのは「確率的にしかとらえられない」のです。「だいたいこの辺りにいるんだけど・・・」という感じなのです。(笑)
空の雲にも厚い雲と薄い雲がありますが、電子雲の色の濃いところが確率が高く、薄ぼんやりしているところが確率が低い。「曖昧」「あやふや」という言葉がピッタリくるのが量子なんですね。
この話を聞いた時に、「0か100か」の思考しか出来ない人が浮かびました。ひとつ間違った行動、発言をすれば、その時点で「この人は×」とレッテルを貼ってしまう昨今の世相です。逆に考えますと、量子とは「中庸」なのかもしれません。
量子テレポーテーション(2)(2015/8/2)より
アインシュタインの「神はサイコロを振らない」という言葉は有名です。また、「光は粒子でもあり波である(光量子仮説)」でノーベル賞を受賞しました。これについては後日の記事で紹介します。
量子には粒子(物質)と波動(エネルギー)という二面性があります。波動は存在しているので「有」ですが、物質ではないので「無」です。
★ 色即是空
「形あるものはそのままで実体なきものである」
★ 空即是色
「実体がないことがそのまま形あるものとなっている」
その「あやふやな量子の世界」を、お釈迦様は「色即是空、空即是色」として表したのです。「色」は形あるもので、「空」は実体がないことです。「色即是空、空即是色」とは、見えるものと見えないものは同じものですよ、と云っておられるわけです。
宇宙の始まりから「量子」はあり、ヒトを含めた生物、物質を分解していくと分子になり、さらに分解すると原子になり、もっと分解していくと最終的には素粒子になります(素粒子は量子、素粒子でない量子もあり)。
こうなってくると目に見えませんが、宇宙を含めた森羅万象は量子で出来ています。見えるものと見えないもので出来ている「生命の世界」を「空」と表現したのです。
(参考) 「コラム・色即是空・空即是色とは」
≪量子はのっぺらぼう≫
私たち人間には個性がありますね。しかし量子には個性というものがありません。硬いとか柔らかいとか、赤いとか青いとかがないのです。あるのは三つの性質だけなのです。
① 質量(重さ)
② 電荷
③ スピン(回転状態のこと)
(例) 光子は重さゼロ、電荷もゼロ、スピンは1
日本人と白人さんの区別は出来ますね。日本人同士でも姿形が違いますから、こちらがAさん、あちらがBさんというように区別できます。しかし量子の場合、二つの同種の電子を並べましたら、区別できないのです。例にしました「光子」を二つ並べたら区別がつきません。
つまり・・・「千と千尋の神隠し」に出て来るカオナシのように個性がなく、のっぺらぼうな感じなのですよ。ここで「千と千尋・・・」が出て来るとは・・・
これまで量子の世界を、「態度」「振る舞い」「曖昧」「あやふや」「のっぺらぼう」と表現してきましたが、「意識」という存在が影響を与えていることが分かったのです。(続く)
(参考) 「まんがでわかる量子論:竹内薫 著」