自分のなかに


"きらい"とか


"きらわれてる"とか


あるのが辛いと思ったとき。 

 

 


太陽わたしが書いています太陽キラキラ

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地球はじめましての方へ地球キラキラ

『This is who I am.〜ないないだらけのわたしの人生〜』”死にたくない”が絶頂の子ども時代。 川(側溝大、小)や田んぼに落ちて、顔面血だらけは、1度じゃない。 柔道、水泳で、ケガばかりしながらも、自分の身を強くし、…リンクameblo.jp




自分の


世界から




"きらい"




とか




"嫌われている"




とか






消えてしまったらいいのに。






なくなってくれたら






楽になるのに。






と思ったときに


思ったんです。






ただ


自分のなかに

"きらい"

があるだけなのにな。


って。






自分のなかに


好き


とか


嫌い


って


ある。






あって


当然


だとも


思うんです。


わたしはね。






だって


わたしは


人間だから。






ただ

わたしの中にあるだけなのに

それを

嫌だなとか

なくなればいいとか

思って

悲しいな。

と思いました。






そして


嫌い

嫌わないで

って

こういうことなんだって気がつきました。






わたしは

この

『嫌いを嫌う』

という世の中の言葉が

今までわからなかったから。






嫌いってことを

自分が嫌っている。

つまり

嫌いって思う自分を

自分が自分で否定する行為。

なのではないかなとわたしは思いました。






そして

それは






何でもある。

何でもいいよ。

みたいな

この世界の

根本

"愛"

"ゼロ"

とはかけ離れていること。






そんなことを


わたしは

今まで

無意識に

むしろ

なんの違和感も抱くことなく

平然とやってきていたのだな。

と気がつきました。






だって

別に

好きも

嫌いも

悪くないし

あって

当然で。






"うらみ"

だって

あって当然だし

あっていけないならこの世界にはないはずだから。






ただ、

あるものを






ちっぽけな

"我"であるわたしだったり

"枠"なわたしが

わざわざ否定しなくていいよね。






だって

ただ

あるだけだからさ。






別に

あって

いいじゃん。






あって

いいから

存在してんだし。






たださ

わたしの中には

嫌いがあるだけだし

嫌いがなくなればいいのに

あるだけ

なんだからさ。






わざわざ

自分で

裁いて

ジャッジメントして

わざわざ

自分が

痛かったり

辛かったり

切ないと思う

ジャッジメントなんか

やめたらいいんだよ。

わたしはそう思いました。






だって

ただ自分の中にあるだけ


なんだからさ。






わたしは

内包している。

だけなんだからさ。






別に

それで

他人を

傷つけることも

他人に

迷惑かけることも




なんなら

嫌いを嫌うのを

わたしが

やめても

誰も気がつきやしないさ。






ただ

わたしが

安心して

息ができるようになるだけだからさ。






そうなったら

なんだか

楽そうでよかったね

って

気がつく人も

いるかも

いないかもハート






だったら

もう

やめていいよね〜

って

やめたいな。

もう

やめるわ〜

って

思いました。






嫌いとか

嫌われるとか

そんな

心地よくないことに

構っている時間は

いらないよね。






そう思えたから。






ただ


ただ


わたしのなかには


それが


ある。


それだけのこと。




エゴや


我が


どう言おうとも


わたしの中には


全てがある。






それだけ。






いいとか


わるいとか


言うのは


簡単。






だけど






ただ


それが


あるんだね。






そうやって


ただ


見つめるって


案外


すぐにはできない。






だけどね。


それでもね。


根気よく


見つめ続けてあげることが


できれば


できるようになると


わたしは思っています。






それは


自分に


対する


思いやりだとも思えるし。






裁くのも


悪口を言うのも


人間て


簡単だと思うんです。


わたしはね。






ただ、


自分の中にある


好き

とか


嫌い

とか


人に

見せられないと思えることを






誰よりも

何よりも


わたしが

ただ

まっすぐ

見つめてあげる。






それが

できるのなら







誰に対しても

何に対しても

思いやりを持って接することができる

そんな風に思います。






だって

嫌い

って

できたら

思いたくなくて

持っていたくない

とすら思えることだから。






だけどね。

ただ

嫌い。

ただ

好き。






それって

ただ

自分の中にあるだけ。

そう思うんです。






嫌いはだめ

好きはいい

そうやって

ジャッジメントして

自分を裁くのは

いつだって

自分自身だから。






でもさ

どうやったて

自分の中に存在するのならば


ただ

嫌いなんだね〜

なくなったらいいと思っているんだね〜

って

自分が

自分に

思いやりをもって

素直に

ただ

まっすぐに

見つめてあげることができる。

ただ

それが

できたら

自分は

安心するんですよね。






だれにも

裁かれないから。






自分だけの世界で

裁いているのは

たった1人

わたし自身だから。






そんなわたしにも裁かれないならば

誰にも裁かれない。






それって

平和で

安心して暮らせる世界だ。

わたしは

そう思います。






わたしを

裁くのは

いつだって

わたし自身

だということ。




つまり




わたしが

裁くことをやめるなら

誰にも

裁かれない

平和で

安心の世界にしかならない。






それって

自分に対して

愛で接することができる

はじめの行動だよね。

そんな風に

今、

わたしは思っています。