”死にたくない”が絶頂の子ども時代。
川(側溝大、小)や田んぼに落ちて、顔面血だらけは、1度じゃない。
柔道、水泳で、ケガばかりしながらも、
自分の身を強くし、自分で自分を守れるようにした、幼少期から10代。
大学受験失敗、会社員時代のパワハラ、失恋の連続、奨学金の返済、家族の度重なる手術
”知識モリモリ学ぶ”という”大好きな”手段で、
”自分の存在証明”、”わたしは生きていていい”という”証拠”を探し続ける。
ひとり、泣いては、また立ち上がって。
”バリ”にひとり旅したり。
”喉から手が出るほどの自分の望み”を叶えて、体験しながら
”死なない約束”、幼い自分との約束を守るために、突き進んだ10代後半から33歳。
”鬱”となった、30歳。
34歳、
わたしの
”根っこ”にあった
”喉から手が出るほどの自分の望み”
”両親(とくに父)と仲よくなる”
”母と互いに、”本気で信頼しあえる”関係になる”
が少なく見ても、1歩以上
前進した。
そして、気がつく。
この30年に及ぶ”生きた心地のしない感覚”はどこから来ていたのか。
幼い頃、両親の大喧嘩に怯えていた日々。
「おはよう」や「おやすみ」を言っても”無視される”日々。
機嫌を損ねないように、常に”状況をうかがう”日々。
”わたしが悪い”としておけば、両親は喧嘩をしないでいてくれるのではないか。
常に”わたしが悪い”と信じながら生きる。
両親に迷惑をかけないように、”いい子”でいなくてはいけない。と自分に無意識に”圧”をかけ続けていこと。
いわゆる
”毒親”や”精神的に未熟な親”の家庭で育っていたことに。
その生活の中で、自分の”設定”が出来あがっていたことに。
出口の見えない、息がうまくできなくて苦しすぎる日々が、終わりを迎えた年。
わたしは、”親”や”育ち”を意識せずに”自分の根底の在り方”を変えることで、”目の前”の”現実”を変えた。
そうしたら”親”との関係も”改善した。”
たった1年前まで
父との関係は悪化の一途。
”わたしは、死んで欲しいと思われている”と信じていたのに。
以前より数ミリ
”自慢の娘”ってなってる。(はず
今日で35歳。
”鬱”という”精神的”な”死”
そこから繋がり
不眠、不食、”肉体的”な”死”
を目の当たりにした。
”死。”の淵まで行ってきた。
”絶対死なない。”
という
”自分との約束を守って”戻ってきた。
そして、”今”わたしは”生きている。”。
安心して、息ができる世界で。
こんなに豊かで、自由で美しい地球で。
これまでの歩み
6歳
大腸菌、"O-157"がTVニュースで連日のように報道されていた。
それを見て、
わたし、
これになったら、死ぬ。
”絶対死にたくない。”を自覚する。
中学時代
柔道を始めた。
未経験から始めた。
3年の夏には、地元、細長い新潟県を大きく3つに分けた地区大会で
個人2位になる。
県大会に出場した。
この時、
”一から始めても、精進を重ねれば、できること。”を体験し、実感し”知った”。
のちの人生の”自信”となった。
15歳
”中越大震災(最大震度7)”を受け避難生活を送る。
高校時代
”世界史”
世界はこんなにも美しいのかと、休日の誰もいない教室でも1人で勉強したほど、のめり込んで勉強していた。
”地学”
ハッブル望遠鏡で撮られた天体の写真がものすごく好き。
鉱物を学ぶのもものすごく楽しい時間だった。
元々好きだった天体、自然現象や遺跡への興味が深まる。
18歳
大学進学は父に猛反対される。母には学びを続けてほしいと応援される。
その時の父の”心ない言葉”で”学ぶ”ことが、本当にいいことなのか、わからなくなる。
”学ぶことが大好きだという気持ち”を無意識に”封印”し始めた。
”学ぶこと”、”学ぶことが大好きな気持ち”は”隠すべきこと”
そんな方程式が、これ以後、自分の中で静かに、確実に出来上がっていく。
国立大学のみ受験。
不合格。
19、20歳
県立学校に進学し”国際教養学科”という、視野を国内外に向ける場所で学ぶ。
夢であった、スポーツ関係のアルバイトを2年間続ける。
奨学金返済を控えているので、なるべく貯金した。
授業料、”海外研修”、家賃、生活費は奨学金とバイトでやりくりしていた記憶。
学生時代、公務員受験をするも、2次試験で不合格。
21歳
故郷の企業に、入社。
入社初期から”パワハラ”があった。
しかし
”頑張ればできる。””なんとかならない問題はない。”
”負けん気”ばかりで突き進む。
きょうだいの”腫瘍摘出手術”
豪雨水害で被災(1回目)
住居の床上浸水。
”大”失恋
”精神が崩壊”しそうで、じっとしていられない、泣いて暮らしたような日々。
夜な夜な”ドライブ”に出かける。
23歳
奨学金を1つ完済する。
安堵。
早期返済の達成感。
母が緊急手術となり、ひとり病室で待つ。
手術の無事を信じ、無事終了する。
24歳
自己最速、スピード失恋
恐れ、恥ずかしさ、色々なものが絡み合い、付き合っている当時は素直に気持ちを伝えられなかった”後悔”が残る。
”伝えない後悔をしない。そう生きよう。”を痛感した体験。
25歳
友人と登山途中、母が緊急搬送され、急遽下山する。
御嶽山の噴火の日に、失恋。
26歳
上半期
新入社員教育を実施。
その社員が数ヶ月で退社。
退社理由を”わたしのせい”だとも言われた。
情熱を持ちことに当たっていた。
”わたしの何が悪かったのか。”
答えの見えない問いに
”精神的ダメージ”は大きく、初めてセラピーに行く。
会社の出来事は自分の中で解決する。
そして、その数時間の対話の中で
”海外旅行”に行くことを決める。
下半期
決断から数ヶ月後
”バリ”、インドネシアのバリ島に”一人旅”に出る。
飛行機で隣り合わせた人たちに助けてもらい、不安だった、入国審査も難なく通過。
ひとりで海外旅行に行けたら、これからの人生、何でもできるようになる。
その腹づもりで、出かけた。
27歳
”生理痛”を何とかしたい。
中学生の頃からの”不安の種”高校生の時はさらに悪化の一途、社会人になってピルを飲んで治療したりしてはいた。
そんな気持ちをさらに動かし始めた時期。
薬剤師・堀江昭佳氏の主催する”リトリート”に参加し、生理についての学びをする。
事実上このあたりから”好きなこと、必要なこと”を”学ぶ”ことを再開する。
28、29歳
入社から7年。
パワハラが止まることがなかった部署から、他部署へ移動する。
心理カウンセラー・コーチ・宇宙人・高橋ナナ氏と出逢う。
2Days講座を受講。
フラワーエッセンス(花療法)セラピスト・上地幸子氏と出逢う。
フラワーエッセンス入門講座を受講。
きょうだいの病気が発覚し、手術。(先出とは別のきょうだい
水害により被災。(2度目)
30、31、32歳
”鬱”と診断を受ける。
勤続10年まであと3ヶ月、その時に退職する。
奨学金を完済する。
父の病気が発覚、手術。
自宅療養をする。
自力で回復の道を模索し始める。
”退職金”をもとに
高橋ナナ氏より
脳科学、感情のメカニズム、思考のメカニズム、量子力学、”空”の理論、真実の世界の仕組みなど学びをしていく。
この学びにより、なぜ自分が”鬱”になったのか、自分で”知る”ことができた。
そのメカニズムを知った上で、日々の生活の中で学びを最大限活用、実践する。
数年のち、鬱は”完治”の診断を受ける。
33歳
フラワーエッセンス・プロ講座を上地幸子氏の元で受講する。
フラワーエッセンス・セラピストとなる。
”生理”に対する探求は続いていた。
数々の学びを深める中で
自分の”命”を信頼をしたい。その一心が日毎に強くなる。
その時に
アメリカ・セドナ在住の日本人、Suzuki Nana氏による
ネイティブアメリカンに伝承される月の儀式”ムーンセレモニー”の講座に出逢い、学ぶ。
女性の月のめぐり、月経、女性の命に対する尊厳。
そして、
”自尊心”の重要性を知る。
そして、
自身の”自尊心”が”最底辺”であると自覚するにいたる。
34歳
Suzuki Nana氏のヒューマンデザインのセッションを受ける。
自身のメカニズム、判断基準を知り、現在も活用し実践し続けている。
北海道”利尻島”に数ヶ月間滞在
登山道整備などの職に就く。
自然の中で
肉体をフル活用しての生活の中で、
今まで学び重ねてきた知識を、実践し、腑に落とすことができるようになる。
両親との関係性が目に見えて”改善”する。
今
両親、家族、勤めていた会社など、全てに対する、批判や非難の意図は決してございません。
また、
両親に対し、互いに一人の人間として、愛し、尊重しております。
ほんの少し前の私は
生きている”心地”がしない。
地に足がついていない。
親との”見えない””何か”が埋まらない。
”恋”が成就しない。
”金”ない。
生傷の絶えない(精神的に)
”良い””学歴”ない。
ないないだらけのわたし。
そう思っていた。
そう信じていた。
だけど本当は、
”ない”なんて”ウソ”だった。
”ない”なんて”まぼろし”だった。
”ない”なんて”過去の記憶”が創り出した”幻想”だった。
ないと思っていた。
ないと信じていた。
ないという状況を自分が、好きで、大好きで、それをただ選んでいただけだった。
そうしていたから
ないという現実を見続けた。
そう気がついた。
”今”
”ないないだらけ”の過去の自分は”死”んで、
”今”の”豊かな””自由な””パラダイスタイム”を、そして”楽園地球”を存分に味わう自分で”生”ている。