5年経った。

 

わたしが

 

5年経った今でも後悔していること。

 

 

 

太陽わたしが書いています太陽キラキラ

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地球はじめましての方へ地球キラキラ

『This is who I am.〜ないないだらけのわたしの人生〜』”死にたくない”が絶頂の子ども時代。 川(側溝大、小)や田んぼに落ちて、顔面血だらけは、1度じゃない。 柔道、水泳で、ケガばかりしながらも、自分の身を強くし、…リンクameblo.jp

 

 

 

今から5年前、わたしの祖父(母方)は亡くなりました。

 

 

 

わたしは

 

彼が

 

60歳の時の孫です。

 

だから、

 

同じ干支。

 

わたしが

 

30歳になった年だったから、

 

じいも誕生日が来たら90歳になる年でした。

 

 

 

結構

 

じいは

 

身体が弱かったようで

 

ばあちゃんに聞くと

 

農家だけど、田植えの時期は体調が悪いことが多かったようです。

 

わたしは

 

少し離れて暮らしていたので

 

それはあまり知らなかった。

 

まあ、

 

60も離れているから、知らなくても不思議じゃないかも。ウインク

 

 

 

身体が弱いことと関係するのかわからないけど、いろんな病気もしたみたい。

 

昔の闘病の話を

 

これまた

 

じいちゃん、入院中のベットでわたしに聞かせてくれたことがあったから知っています。

 

 

 

 

わたし、

 

油断したんです。

 

 

 

じいちゃん

 

亡くなるそのまた4年前に、

 

気管挿管して、

 

家族みんな

 

「覚悟してください。」

 

って言われていました。

 

 

 

わたしはこの言葉は直接聞いていないけど、

 

ただならない雰囲気を感じていて。

 

当時

 

夕方

 

仕事が終わってから

 

1時間以上の道のりを車で

 

何度も何度も

 

病院に通っていました。

 

 

 

ものすごい人数の方がお見舞いに来てくださって。

 

遠方からも。

 

ご自身もご高齢の方もたくさん。

 

言ってしまえば

 

”80代半ばのおじいちゃん”に

 

みんな会いに来てくださっていた。

 

 

 

じいちゃんて

 

やっぱすげぇ人なんだな。って思いました。

 

 

 

ここでは書かないですが、

 

わたしから見ても

 

多分、

 

家族の色眼鏡を抜きにしても

 

うちの祖父母、

 

偉大なんです。(尊敬を込めて両家の祖父母をわたしはそう思っています。

 

生涯が、すごい。

 

わたしが

 

聞いて

 

よくそんな人生選んで来たね!

 

よくそんな人生全うできたね!

 

やっぱすげぇよ、じいちゃん。

な人生なんです。

 

じいちゃんじゃなきゃできなかった生涯だな。といつもばあちゃんの昔話を聞きながら思っています。

 

 

 

わたし、なぜか、祖父には他人に見せない顔を見せていました。

 

特に年賀状。

 

たった1枚

 

小学生の頃

 

例えるなら

幾何学模様の花の絵を自分で書いて

 

じいちゃんにだけ、送ったことをこの間思い出しました。(フラワーオブライフの話を最近聞いて、思い出したのですが。

 

特別でした。

 

あと、

 

7年くらい通っていた書道教室で年賀状を書く練習があって。(これ、ものすごく緊張感があるから上達します。オススメです。

 

20枚以上は手書きで書いていたのですが、

 

年賀状を書くようになってから(通っている年数と、自分の意思で書くか書かないか決める仕組みでした。

 

毎年

 

その年

1番うまく書けたものを必ずじいちゃんに送っていました。(ニコニコ年の年賀状の写真が残ってた

 

特別。

 

両家の祖父ともに字を書く人たちだったので、尊敬の意味もあったのだと思いますが。

 

 

 

そんなに

 

よく喋る人ではなかったし。

 

そんなに

 

会話が盛り上がる私たちではなかったし。

 

むしろ、祖父と喋るのは緊張していたようにも思います。

偉大だったからかな。

 

だけど

 

こんな風に

 

祖父だけ

 

”特別扱い”していたのは

 

多分

 

祖父が

 

端々に見せる

 

わたしをちゃんと見てくれているという態度。

をわたしがちゃんと受け取っていた。からだと思います。

 

細かく日記をつける人でした。

 

亡くなったのち、彼の手帳を少し見せてもらいました。

 

そしたらね。

 

『○月○日 綾子、友達と遊びに行く。そのために駅まで送り届けた。』(意訳)

 

と記してありました。

 

わたしも忘れていたような細かい思い出でした。(そうだったと思い出しましたよ。ニコニコ

 

 

 

やっぱり、じいちゃんは

 

わたしをいつも見てくれていた。

 

そう改めて思いました。

 

大げさなことは多くはなくても、

 

それは

 

わたしにとって

 

とてつもなくありがたいことでした。

 

それを

 

肌で感じ取っていた。

そんな風に思います。

 

 

 

 

 

そんな祖父。

 

 

 

亡くなる4年前、生死を彷徨い、そして、

 

不死鳥のごとく帰ってきたんです。

 

まじで

 

不死鳥だとわたしは思いました。

 

気管挿管をして

 

「絶望的です。」

 

とまで言われていたのに、

 

帰って来た。

 

ものすごく嬉しかった。

 

80代半ば、年齢を考えても、絶望的です。って言われるよね。

 

だけど

 

祖父は

 

また命を生きはじめた。

 

それから

 

数年後

 

88歳の米寿のお祝いも親族でできて。

 

じいちゃんの満面の笑顔を見れました。

 

酸素吸入は常時になったけれど、

 

肺が弱かった祖父は、それでまた楽に生きることができるようにもなったようです。

 

 

 

本当に嬉しかった。

 

 

不死鳥のようによみがえってくれて。

 

何年もまた

 

私たちとともに生きてくれて。

 

私たちを愛してくれて。

 

母方の親族は

私たちを含めて

祖母の代から、ひ孫まで含めた4世代で

30人をそろそろ超えそうです。みんなで母の実家によく集まります。リアル『サマーウォーズ』って言われる。爆  笑飛び出すハート

それが祖父が創り上げた世界とも言える。

 

 

だからね。

 

わたし。

 

油断したんです。

 

 

 

 

わたし。

 

油断しました。

 

 

 

祖父は何があっても大丈夫と。

これは言い過ぎかな

祖父は何かあってもまた大丈夫だと。

欲目で見てしまっていた。

 

 

 

だから、わたし、なかなか会いにいかなかった。

 

 

 

というか

 

多分

 

会いに行けなかった。

 

 

 

しょーもない自分の言い訳を信じて。

 

まだ、立派じゃないから。

まだ、お給料少ないから。

まだ自立してないから。

まだ、顔向けできないから。

まだ

まだ

まだ

 

数えれば

数えるだけ出てくる

そんな

わたしの

ちっぽけな

プライドの

言い訳を理由に

わたしは祖父に会いに行"か"なくなっていた。

 

 

 

会いにいかなきゃ。

でも

会いに行けないよ。

 

会いに行かないと

でも

 

そんなことを繰り返して。

 

繰り返して。

 

繰り返して。

 

 

 

 

 

祖父が

 

危篤になりました。

 

 

 

青天の霹靂。

 

寝耳に水。

わたしには。ですね

 

 

当時のわたしは

 

泡食って

 

祖父の元に駆けつけました。

 

 

 

そうしたらさ。

 

じいちゃん

 

言うんです。

 

 

 

「綾子。久しぶりだな。」

 

 

この一言を聞いて

 

わたしは

 

愕然としました。

 

 

 

もう、じいちゃん、痛みでほとんど意識がなかったんです。

 

だけど、

 

わたしの顔を見たら、そう言ってくれました。

 

 

 

失敗した。

 

 

 

やっとわたし、気がつきました。

 

 

 

なんてことを

 

してしまったんだろう。

 

 

 

唐突に理解しました。

 

 

 

なんで

会いに行かなかった。

なんで

顔を見せに行かなかった。

なんで

なんで

なんで

 

わたしのちっぽけなプライドなんて吹けば飛ぶようなもののために

わたしは

祖父に寂しい思いをさせた

わたしは

祖父に不義理を働いた。 

そうやっと理解しました。

 

 

 

本当は

会いたかった。

本当は

出来損ないだけど、会って話を聞いて欲しかった。

会社で苦しいんです、辛いんです。そんなことは言わないから、ただ会って話をしたかった。

「綾子、来たかや。」

そう言われたかった。

 

祖父が弱って行く姿を見たくなかったのかもしれません。

強くて

偉大な人だから。

 

だけどね。

そんなのこの後悔に比べたら屁でもないよ。

 

わたしは

わたしを

恨んでいた。

そう知りました。

 

わたしは

わたしを

恨んだ気持ちを

内包したまま

今の今まで生きて来ました。

そう

やっと気がつきました。

 

 

 

 

わたしを

愛してくれた恩人を

吹けば飛ぶ、そんなちっぽけな言い訳で

愛さず

ないがしろにして

思いやらなかった。

 

恨んでも恨みきれないですね。

 

祖父の最後の危篤を聞いた時、わたしは病院の外に出ていて、

 

病院までの歩道を走りながら

 

じいちゃんと呼びながら

 

泣きながら

 

走っていました。

 

 

 

 

 

自業自得。

 

 

 

 

わたしを後悔に突き落としたのはわたし自身でした。

 

わたしを何年たっても恨む対象にしたのは、わたし自身でした。

 

 

 

 

だから、

もう、

わたしみたいに

こんな風に辛くなったり、後悔したり、自分を恨む人が居なくなればいい。

わたしはそう思ったので、今日ここに書かせて頂きました。

 

 

 

そして、

「綾子、久しぶりだな。」は

生前のじいちゃんがわたしにくれた最後の言葉でした。

 

 

 

 

 

わたしは、

 

甘かった。

 

 

 

こんなに

 

後悔するとは

 

思わなかった。

 

こんなに

 

辛くて

 

悲しいとは

 

思わなかった。

 

今でも

 

これを

 

書いている

 

今でも

 

涙が止まらないほどには。

 

 

 

だからさ。

 

思ったんです。

 

こんな

 

辛いのは

 

もう

 

これからは

 

わたしだけでいいんじゃないかと。

 

だから

 

読みづらいだろうけど

 

書きました。

 

わたしみたいに

 

じいちゃんやばあちゃんでもいい。

 

親でもいい。

 

友達でもいい。

 

わたしには

 

この世界に

 

わたしを生かして、愛してくれた人がいる。そんな存在でもいい。

 

もし

 

生きて

 

ひと目会いたい人がいるなら

 

遠慮なく。

 

自分で自分に遠慮しないで。欲しい。わたしはそう思います。

 

たとえ

 

どんなわたしが会いに行っても

 

じいは

 

いつもと変わらず迎えてくれた。そう思うから。

 

会いたいけど

 

顔向けできないから

 

立派じゃないから

 

情けなくなるから。

 

そんなちっぽけな理由で

 

会いに行かなかったのは

 

わたしを

 

じいちゃんに

 

会いに行かせなかったのは

 

紛れもなく

 

わたしだったから。

 

会えなくなった今も

 

わたしはわたしを責め続けているから。

 

それって

 

悲しい。

 

それって

 

わたしが

 

わたしを

 

許してあげられない原因です。

 

 

 

どうか

 

自分を許せなくなることを、自分で作らないで欲しいとわたしは思っています。

 

だって

 

そうしたら

 

自分を自分で愛せなくなる原因を自分で作ることだとわたしは思うからです。

 

 

 

会いに行けないなら

 

テレビ電話でも今のテクノロジーは強い味方になってくれる。

 

自分で

 

テレビ電話を繋げないなら

 

家族でも、友人でも、若者にでも頼める口がある、言葉がある、願いを紙に書くこともできます。

 

 

 

どうか

 

自分を憎む原因を自分で作らないであげてほしいです。

 

どうか

 

会いたい人も

 

幸せで

 

あなたが

 

幸せであってほしい。わたしはそう思います。

 

 

 

 

 

わたしは

 

しくじりました。

 

 

 

 

 

だけど

 

誰かがこれで幸せになったとしたら

 

わたしも幸せです。これはオマケみたいなものなので気にしないでもらえたらいいです。

 

 

 

 

 

わたしは

 

しくじった

 

だけど

 

こんなにも

 

じいを

 

忘れずに

 

思いやることができること

 

それもまた

 

幸せなことだ。

 

そんな風にも思います。

 

 

 

 

 

生きているときの

 

あたたかさは

 

生きているときだけの

 

キセキ。

 

 

 

わたし

 

みたいに

 

しくじるのも

 

いい。

 

 

 

わたしと

 

違って

 

しくじらないのも

 

また

 

いい。

 

 

 

 

つまり

 

 

 

何でもいい。

 

 

 

 

 

全ての存在の自由な選択を心から尊重いたします。

 

 

 

 

 

もちうるありったけの愛と感謝をこめて。

綾子