摂食障害になる前から、私は生きるのが辛くて仕方がなかったのです。
何不自由ない生活をさせてもらっているはずなのに、不自由でした。
母からよく怒られました
何をやってもダメな子だから、私は誰からも愛されないんだなと思いました。
家にも学校にも居場所がなくて寂しかったです。
摂食障害を治すために通院、服薬、入院、認知行動療法、それ以外の治療法も
知っている限り全部やりました。
でも治りませんでした。
私は摂食障害を克服したいという気持ちよりも、他の"何か"を探していたのだと思います。
でもその"何か"が分からなかった。
人目を気にして生きることにも心底疲れました。
「太ってしまった私」を誰も知らない場所に行きたいと思いました。
痩せていた頃の私のことも誰も知らない場所です。
いろいろあって、伊豆の保養所で住み込みのバイトをすることになりました。
これが、私の人生を変える大きな転機となりました♡
ここでの規則正しい生活と人間関係が、私にとても合っていたからです。
それは、自分の発達障害的特徴が何の問題にもなっていないように感じたからなんですよね
ここでの私の仕事は料理をすることでした
大好きな料理が毎日できるそしてその料理を褒めてくれる人がいる
それがとても嬉しかったのです。
やがて重要な仕事も任せてもらえるようになりました。
それもとても嬉しかったです。
ふつうを演じている自分を評価してもらったわけではないので、プレッシャーを感じることもなく、自ずと仕事に対する意欲が高まりました。
保養所のスタッフは皆さんとてもやさしくて、私の自己中心的な一面も受け入れてくれました。
どの人も寛容でした。大人でした。
彼らとの会話は楽しくて、自然と笑顔になりました。
ここでの暮らしで「こうあるべき!」と思ったことはなかったように思います。
空気を読まなくちゃ!とか、嫌われたくない!と思ったこともありませんでした。
休日は、ひとりで近くの海や山へ行ってのんびり過ごしました
暇すぎて過食に走ることもありましたが、そのせいで仕事に行きたくないと思うことはありませんでした。
保養所のスタッフやお客さんは高齢の方が多く、若かかった私は太ろうが痩せようが、皆さんにかわいがってもらえたからです
ここでの生活は、私にとって大きな成功体験になりました
生まれて初めて、自分に合うことを大切にしていこう!と思えました。
自分に合う人や合うことと出会えたからそう思えたのです。
この経験を生かし、実家に戻っても前向きに過ごしたい♪と思いました。
実家に戻ったその日から過食が酷くなりましたが、落ち込みつつもなるべく自責はしないと決め、それよりも対処法を考えるようになりました。
自分に合わないことを続けていると過食する。
自分に合うことでも頑張り過ぎると過食する。
自責すると過食が続く。
自分に合うことも合わないことも、このくらいならしても過食しないでいられる!という境界線も段々分かってきました。
今は、過食も拒食もしないです。したいとも思わなくなりました。
摂食障害のせいで、大学も休学し、仕事も長続きせず、他人との関係もうまく築けなかったと思っていました。
でも、これらは摂食障害のせいではありませんでした。
私を苦しめていたのは、「ふつうでなければならない!」という思い込みでした。
私にはできないことが、夫や長男はふつうにできます。
でも、夫や長男ができないことが、私にはふつうにできます。
私がグレーゾーンならば、夫もきもっちもグレーゾーンです!
ついでに私の両親もグレーゾーンです!
というか、定型発達って何?
ふつうって何?
みんなで助け合って支え合っていくために、みんな違った特性(凹凸)を持って生まれてきているのに。
ふつうを強いられる社会のどこに多様性があるの?
寛容であることが、ふつうになってほしいです。
TBSドラマ「不適切にもほどがある!」の最終回、役者さん全員で「寛容になりましょう!」って歌ってました
これが、クドカンが伝えたかったコトだったんですね。
毎回、役者さんたちがとても楽しそうに演じているなーって思いながら観てました。
きっとロケ現場も寛容な雰囲気だったんだろうな