ダウン症を受け入れるってすごく難しい。


何ができるようになったら受け入れているんですかね?


友達に包み隠さず話せたら?


あやちゃんのすべてをかわいいと思えたら?


受け入れられたと思っても悩んだり、泣いたりすることは常にあるんです。


友達に送る写真は相変わらずダウン症っぽく見えない写真を探して送っていて、その行為にも罪悪感すら感じていました。まだまだ受け入れられていないんだなぁ、、、と



でも違う!


それはみんな一緒だ!




と気づいたんです。(というよりそうやって解釈することにしたんですキメてる

ダウン症や健常児に関わらず、みんなわが子の1番かわいいと思える写真を厳選して送るはず!(ぶちゃかわな写真もありますが)ダウン症っぽくないというより、私がかわいいと思った写真を送っているだけだ!


こんな風に思うようにしました。「そんな考え方をするのはダウン症から逃げている。」そう思う方もいるかもしれませんが、娘の全てを好きにならないといけないわけではないと思うんです。誰しもわが子のちょっと好きになれないなってところはあると思うから。


「二重で目がぱっちりならよかったのに」

「もっと色白な肌がよかった」

「もっと頭が良ければ」


そんなことと一緒な気がするんです。

ダウン症も個性っていうくらいなんだし。


だから


受け入れる=全てを好きになる


ではなくて、


負の感情を抱いてしまうこともあるけど、そんな自分を肯定してあげる。それが受け入れること。


そんな解釈をすることにしました。


あやちゃんが産まれたとき、看護師さんに言われたこと。


「今はしっかり落ち込んで、思っていることを全部口に出していいよ。いろんな感情を抱いてしまうと思うけど、そんな自分を責めずに肯定してあげてね。」


そんな言葉をかけてくれました。あの時しっかり落ち込んで、毎日毎日泣いて、負の感情をさらけ出したおかげで今があるんだなと


そう思えることができました。


実はまだまだ涙を流すことは日々あるんです。

でも悲しくて泣くというより


ストレス発散?涙活?


何とも言えない虚しい気持ちとか不安とか言葉にできないものを涙として排出している。そんな感じです。だから何で泣いているのかもよくわからないんです。でもこれでいっかと今は思えています泣き笑い


いろんなことを悲観して泣いて、あやちゃんに対して申し訳なくて泣いて、そんな自分が情けなくて泣く。


という一連の流れでしたが、自分が情けなくて泣くのはやめました。そのかわり、その涙が襲ってきたときはあやちゃんを抱きしめて、「この世界で1番大好き、あやちゃんは私の宝物だ!」とお経のようにあやちゃんの顔にすりすりしながら伝えてます。←これほんとにやってますキメてる笑笑


そしてそんな自分に笑えてきますニコニコ

あやちゃんは「またやってるよこいつほんわか」という呆れた表情をしているような気もしますが、、、笑



こんな感じの私の負のルーティンからの脱却方法でした指差し


ポジティブな感情もネガティブな感情も全部忘れたくないから、思い出した時にまたブログに残していこうと思います。



今年の冬はクマさんで過ごすぞくま