恋愛も女性も
僕が強く求めてもの
として
認める。


認める
という事が
僕はイマイチ解りませんでした。


一方で
『僕は承認欲求が強いな』
という思いも持っていました。

『僕という存在を承認して欲しい』
という思いが強くあって
他人様に
『僕を認めて欲しい』
『こんなに懸命に生きている僕を認めて欲しい』
『これだけ頑張って生きてきた僕なのに、まだ駄目なの?』
という訴え掛けがありました。

それは
言葉として出していなくとも
間違いなく僕に在った激しく狂おしい思いです。


認めるという事と承認欲求を絡めて考えてみると、
【僕は愛されたい】
という所が共通項かな、と思いました。


恋愛を通じて
愛し愛されたい。
(認め認められたい)

女性という存在を
愛したいし、女性から愛されたい。
(女性を認めたいし、女性から認められたい)

承認欲求
は他人様の承認を通して
僕自身を愛したい。
(僕自身を認めたい)

というもので、
そこには一貫して
【愛】
の課題がありましたね。

また
認めるや愛の中に
赦す
という概念も含まれておりました。

女性(母)を認める事は、女性(母)を赦す事。
(勿論、実際は女性は悪くなく、あくまで僕の意識の中の話ですよ☺️)

そしてその事は
【愛】
である。

僕の恋愛への欲求を認める事は
僕の思いを赦す事。

そしてその事は
僕という
人としての
男としての
ありのままの自然な在り方を認め、赦す事であり、
自分という自然の産物、命の存在に対する
【愛】
である。


他人様への承認欲求は、
他人様から認められて
僕という存在を僕自身が認めたい
という本心が伺えます。

他人様に
『僕という存在は生きていてもいいのか』
と赦しを乞うている(許可を欲している)状態で、
そこには
僕の自己愛の欠乏があり
自己肯定感や自己否定感にも繋がります。

やはり
【愛】
の問題がありました。

自分で自分の事を
認めていなく、赦していなく、愛していなかったのですね。


認めるとは赦す事で
それは即ち
【愛】である。
と思いましたね。


この事に氣付いた時、
幼少期の家庭環境も
母の事も
恋愛も女性も
あらゆる僕の過去が
煌めきを持って輝き出しました。

足枷を恨むように思っていた僕の過去は
【僕の本質が愛である】
と氣付く為の大きな伏線としてあったもので、
愛を學ぶ為にはどうしても必要不可欠なものだったと理解した時、半生のネガティヴな体験が全て昇華しました。

僕が重く背負っていた十字架の正体は
【愛】で、
何も背負わずとも
僕の心に在ったもの。

十字架を雲の上のものとして想像し、
崇拝して見上げる事も
憧れのままにしておく事もなく
僕の心に既に在ったものとして受け入れられたんですよね。

愛(十字架)は背負うものではなく
いつも心に在ったもの。

僕の【愛】の認知は
とても合点がいくもので肚落ちしましたし、大変納得しとても満足しています。


エンタメを樂めない自分を思うと
自分を認め、赦し、愛する
というものに繋がっていて、
《樂しんではいけない》
という信念(思い込み・ビリーフ)を頑なに持っていて、
それは恋愛を
《樂しんではいけない》
と思っていたものと同じ構造なのですね。

《樂しんではいけない》
という十字架を僕が背負っていたんです。

十字架を認め、赦し、愛したならば
これ程、素晴らしいものはないのに🤣。
(だって今は、この十字架を一生携帯できるお守りとして心に持っている感覺なので)

エンタメの事柄から
《人生を樂しんで良いんだ》
という思いにもに繋がって
《人生を恋愛を愛を僕自身を樂しもう》
とさえ思い至っております。
それも、とことん突き抜けるまで😆。
僕の本音でとことん樂しみ尽くし切る✨。

愛を知る為にネガティヴがある事を思うと、ネガティヴな体験も感情も、愛という先のゴールを見据える事を怠らなければ、恐れる事も忌む事も、
ましてや憎む事も呪う事もないし、背負う必要もなく、むしろ積極的に樂しめますよね。

この“現実“は、僕の過去と現在から得た実体験を伴っているので、本氣で確信を持って宣言出來ます。

この宣言は一時的なテンションの高揚感によるものとは明らかに違いますね。
肚の底から力強くもどこか静かなエネルギーとして絶え間なくドクドクと湧き出ていて、さらには溢れ出ているような感覺があって、それは僕に間違いないものという確信を与えており、その確固たる確信を持って、ここに宣言している感じです。

決して他人様への承認欲求として宣言しているのではない、僕自身への誓いのような宣言です。



僕の人生を表す象徴的なもの(シンボル)。

それは
【愛】
の一文字。

【愛】は幻想でもフィクションでもなく
現実に存在している事を認め、赦します。

【愛】を雲の上の存在のように見上げるのではなく、地に足をつけた僕の存在を元に【愛】を受け入れます。

【愛】を十字架として背負うのではなく、ただ心に在るものとして認めます。


【愛】を學ぶ事・【愛】に氣付く事は、決して雲を掴むような幻想では無いという事実は、日常レベルでの確信的自己肯定を僕にもたらし、その事で、今の僕はとても安心しています😊。




➖僕は【愛】を知る為に生まれてきたし、これからも【愛】の為に生きていきます➖
by史朗



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