無駄にテンションが高い日記 -2ページ目

無駄にテンションが高い日記

つれづれに更新。基本的にテンションは高いですよ。

何を主に書くブログにしようか模索中

自殺。自分を殺すということ。

「死ぬ」んじゃなくて「殺す」。自分自身を。

それはどれほどの決心なのだろう。

わたしはまだ死んだことがないから(当たり前だけど)、わからない。

確かに「もう嫌だ」「苦しい」「消えたい」と思うことがないわけではない。

だけど、それは思うだけであって本気ではないのだと思う。

だってわたしまだ生きてる。本気だったら、今こうしてブログを書いてることもないはずだから。

きっとどこかでわたしはまだ「生きたい」「死にたくない」という気持ちがあるんだと思う。

でも「生きたい」と「死にたくない」は違う気がする。

「生きたい」は何かしろ成したいことがあるように思える。

あ、別に今わたしが希死念慮に捉われてるわけじゃないです。


自殺を決意したひとはどんな気持ちなんだろうと考える。

死ぬこと以外どうでもよくなるのかもしれない。家族、恋人、友人、みんなどうでもよくなるのかもしれない。

きっと、苦しくて、辛くて、どうしようもなくて、絶望しかなくて、生きているこの世界にさよならしようとしているのだと思う。

だから自殺をしたひとを責めたくないんだ。だからって肯定できるわけじゃない。けど、否定はしたくない。

そして苦しくて仕方ないひとに「生きて」と言うのも躊躇ってしまう。

自分がどういう行動に出ればいいかわからない。

簡単に「生きてください」と言うのはできるだろうけど、それってそのひとの気持ち考えてるのかなあって思ってしまう。

でもね、失う悲しみはわかってるんだ。

友人が亡くなってもう3回忌を迎えたけれど悲しみは無くならないし、わたしは忘れない。あのひとが居た事実を。存在した事実を。

だから、今苦しんでいる友人がいるけれど、そこで「死ぬことで楽になるなら殺していいんだよ」とは言えないんだ。

だけど、「わたしが悲しいから生きてください」というのはとんでもないエゴだってわかってる。

それでもわたしはこの前その友人に会って泣いてしまった。

泣きながら「いなくならないでください」と言ってしまったんだ。

そんな泣き落としみたいな手を使ったんだと思うと、ものすごい後悔に襲われる。

生きる辛さはともだちとは違うと思うけれど、わかってるはずなのに。

それなのにわたしはある意味ともだちに「まだ苦しめ」って言っているようなものだと思えてしまえてならない。

どうしてそういう言葉しかでてこなかったのかな。

後悔、ばかりです。


居なくならないでほしい。だけど、苦しんでほしくない。

わかってるんだ。自殺をするのも、それを止めるのもエゴだって。

わたしは、いったい、どういう行動と言動をすればいいのかな。