自殺。自分を殺すということ。
「死ぬ」んじゃなくて「殺す」。自分自身を。
それはどれほどの決心なのだろう。
わたしはまだ死んだことがないから(当たり前だけど)、わからない。
確かに「もう嫌だ」「苦しい」「消えたい」と思うことがないわけではない。
だけど、それは思うだけであって本気ではないのだと思う。
だってわたしまだ生きてる。本気だったら、今こうしてブログを書いてることもないはずだから。
きっとどこかでわたしはまだ「生きたい」「死にたくない」という気持ちがあるんだと思う。
でも「生きたい」と「死にたくない」は違う気がする。
「生きたい」は何かしろ成したいことがあるように思える。
あ、別に今わたしが希死念慮に捉われてるわけじゃないです。
自殺を決意したひとはどんな気持ちなんだろうと考える。
死ぬこと以外どうでもよくなるのかもしれない。家族、恋人、友人、みんなどうでもよくなるのかもしれない。
きっと、苦しくて、辛くて、どうしようもなくて、絶望しかなくて、生きているこの世界にさよならしようとしているのだと思う。
だから自殺をしたひとを責めたくないんだ。だからって肯定できるわけじゃない。けど、否定はしたくない。
そして苦しくて仕方ないひとに「生きて」と言うのも躊躇ってしまう。
自分がどういう行動に出ればいいかわからない。
簡単に「生きてください」と言うのはできるだろうけど、それってそのひとの気持ち考えてるのかなあって思ってしまう。
でもね、失う悲しみはわかってるんだ。
友人が亡くなってもう3回忌を迎えたけれど悲しみは無くならないし、わたしは忘れない。あのひとが居た事実を。存在した事実を。
だから、今苦しんでいる友人がいるけれど、そこで「死ぬことで楽になるなら殺していいんだよ」とは言えないんだ。
だけど、「わたしが悲しいから生きてください」というのはとんでもないエゴだってわかってる。
それでもわたしはこの前その友人に会って泣いてしまった。
泣きながら「いなくならないでください」と言ってしまったんだ。
そんな泣き落としみたいな手を使ったんだと思うと、ものすごい後悔に襲われる。
生きる辛さはともだちとは違うと思うけれど、わかってるはずなのに。
それなのにわたしはある意味ともだちに「まだ苦しめ」って言っているようなものだと思えてしまえてならない。
どうしてそういう言葉しかでてこなかったのかな。
後悔、ばかりです。
居なくならないでほしい。だけど、苦しんでほしくない。
わかってるんだ。自殺をするのも、それを止めるのもエゴだって。
わたしは、いったい、どういう行動と言動をすればいいのかな。