再びのHopiの大地へ! | 天川 彩の こころ日和

天川 彩の こころ日和

作家・自然派プロデューサーである

天川 彩(Tenkawa Aya)が

日々の中で感じたこと、出会ったこと、
見えたものなどを綴る日記です。

我が故郷と言っても過言ではないほど、私にとって身近に感じるホピの大地。

4年ぶりに彼の地へ帰ることができました。



(*写真は今回の旅で見つけたホピのバタフライダンスの時に使うヘッドドレス)



ホピというのは「平和の民」という意味を持つアメリカ先住民で、北平南西部にいるアリゾナ州の北側に住む少数民族の人々のことです。


彼らとの関係が始まったのは今から25年前のこと。

その出会いは、本当に不思議な出来事の繰り返しで、まさに導かれて…という表現が一番しっくり来るのですが…。

1998年3月5日。
天川 彩というペンネームを奈良の天河神社で授かったその日、巫女様から「Hopiって知っていますか?」と聞かれたことが始まりでした。それから次々とHopiというキーワードが目の前に現れ…あっという間にホピの地へ行くことになりました。


その時の出来事などについては、私の著書『HOPI 〜 平和の民から教えてもらったこと〜』(徳間書店)に書いていますが、これまで、どれほど彼の地へ通って来たのか、自分でもわかりません。


98年以降、可能な限り年に一度。2014年には、ホピの文化やアートを日本に繋ぐお店、ホピショップ『Sun&Rain』を開いてからは、平均して年に3回。そして最もホピの大地へ行ったのは、コロナ直前の2019年。なんと一年間に5回も通っていたのです。


ところが2020年。新型コロナが世界的に蔓延し、ホピの大地へ行く道が途絶えてしまいました。


そればかりか、オンラインで届くホピからのニュースには、各村々で感染爆発している様子や村ごとに亡くなっている方々の人数が毎週のように届き、心配が募っていました。


ただいつ何時でもホピの大地へ行ける準備だけは整えていよう、また、日本で唯一となるホピショップも絶対に守ろうと心に決め、その家賃を支払う為にもコロナ禍の中、新たな店舗展開を起こし、頑張ってきたのです。


そして、ようやく…ようやく、今年のゴールデンウィーク明け、現地へ行けるタイミングがやってきました‼️



噂には聞いていましたが、飛行機代やホテル代は恐ろしいほど値上がっていました。更に円安による影響もあり、飛行機代もホテル代も、かつての倍ほど。

その洗礼を受けたのは空港でした。トランジットのロサンゼルス空港で購入した普通の珈琲牛乳1本がなんと5ドル50セント。のど飴1個、3ドル50セント。
日本円にすると、珈琲牛乳1本とのど飴1個だけで1200円もしたのです。


(*レジ前に置いてあった小さなキャンディが日本円で500円以上。さすがに高いですよね…)


ホピでは現金しか使えないアーティストも多く、空港である程度まとまった金額を円からドルに換金しましたが、驚くほどの目減りにビックリ。


でも、そんなことよりも、ホピの大地へ久しぶりに向かうと思うだけで、心ウキウキ。喜びが隠せない状態で現地へ向かいました。


今回は、日本からロスに飛び、そこからニューメキシコのアルバカーキへ入りました。アルバカーキで一泊した後は、ホピの村までレンタカー移動。


運転はこれまで同様、スタッフの享ちゃんが行ってくれました。享ちゃんのアメリカでの運転は本当に安心できるもので、頼りになります。


食事代はとにかく節約できるところなので、移動中のお昼ご飯はとにかく、おにぎり。

ほかの滞在中の食事と、ほとんど日本から準備してきた食材を使い部屋で準備して食べらというのが、私たちの出張スタイルです。


特に今回はアメリカの物価高と円安。

とにかく、カチーナやホピジュエリーを仕入れる為の貴重なお金。無駄遣いは一円たりとてできません。


ホピの村に向かう道は懐かしい真っ直ぐ道。



ホピの友人たちの半数は、メールはもちろんのこと、電話連絡もつかない人々なので、現地行ってからの安否確認になるとは思っていました。


もちろん、行く前に電話やメール。メッセンジャー、LINEなどで連絡が取れていた友人も多かったのですが、ただ一人。これまでメールや電話で連絡がついていたジュエリー作家の友人だけは、連絡取れなくなっていて心配していました。


なので、ホピに着いて真っ先に彼の家に向かいました。

ホピの家はとてもどこも似ていて…時折家を間違ってしまう為、この時も誤って違う家のドアをノックしてしまったのですが、そこで、ジュエリー作家の友人がコロナで亡くなっていたことを知りました。


ホピの友人から紹介してもらった彼。いつも優しい笑顔で歓待してくれていた彼。更にホピジュエリーの半分は、彼にお願いして作ってもらっていたものだったこともあり…。あまりにもセンセーショナルでショックなホピの村での始まりの時となってしまいました。


日本でもコロナにかかった人は沢山いましたが(私はかかっていませんが、家族の半数はかかりました)周囲に誰も亡くなった人はいなかったので、ショックが大きく…。


その後訪問した友人たちからも、信じられないほど多くの人々が亡くなってしまったという話を聞き、ホピでは、どの家族も一人はコロナで大切な家族を亡くしている…との話に、初日は涙が止まりませんでした。


村によってはゲートが今もあり、厳重チェックがある様子でした。スーパーや郵便局など公共の場では、マスク義務があるとのことで、アメリカの中でも特にホピはマスク率が高いような気もしました。


やはり今も感染を恐れているのでしょう。


ただ、ホピの友人たちは、私たちが3年の時を経て再び帰って来たことを皆、大歓迎してくれたのです。


滞在中、親しい友人たちと沢山会い、新たな出会いも多々ありました。




写真を見てもらえば、どれほど素敵な時間を過ごすことができたか、一目瞭然かと思います。


そんな中、今回特別な再会となった出会いもありました。


今から20年ほど前…。

ある時、私はホピの神様から「あなたに、ある人物と出会わせたいので、とにかくこの日にホピのある村に行く様に」という不思議なメッセージを受けとりました。


その頃はまだ、ホピショップの存在もなく、仕事で彼らと出会っていた訳でもなく…。ただただ、平和の民であるホピの人々から大切なことを学んでいただけの頃でしたが、私はその声に素直に従うことにしたのです。


その日、その時、どの村のどの家に向かうべきなのか、誰から聞いたわけでもないのに、道も家もなぜか全てピタリ!と私にはわかりました。

そして、家の前で車を停めてもらうと、一人の少女と目が合いました。が、直ぐに少女は家の中に入ってしまいました。


ふと隣を見ると、隣の家のロジャースさんという女性が声をかけてきてくれたのです。彼女に正直な話をしたところ「多分会うべき人物は、あの少女の曾祖父さんで、マーティン長老という人物だろう…」ということでした。


ロジャースさんは、家の中に入っていった少女に声をかけ、曾祖父さんが畑から帰って来るまで、私たちを村の案内をするよう言ったのです。その少女は、クリスティという名前でした。


夕方、マーティン長老が畑から戻って来た時、クリスティは「私の友達よ」と言って私たちを紹介してくれました。


実は数日前、マーティン長老も、神様から誰かがやって来るから遠くに行かず家にいるようにとのメッセージを受け取っていたそうで、私たちは、この出会いは神様が計画していたことを知ったのです。


そんな最初の出会いから10年あまり。マーティン長老が帰天するまで、私は長老と深い深い付き合いをさせてもらっていました。



何度かクリスティにもお土産を、と思い持って行きましたが、それ以降、彼女に会うこともなく…。


マーティン長老が亡くなった後、私はホピショップを開くこととなり、何人かのカチーナアーティストの友人が、長老が暮らしていたホテビラ村にも何人かできました。長老の孫という人物とも出会いましたが、最初に出会った少女クリスティのことを知っている人は誰もいなく、ずっとわからないままでした。


ところが今回、とにかく4年ぶりにお店を開くということから、沢山のカチーナ作家さんと出会う必要があり…。どのような経緯で繋がったのか覚えていないのですが、Facebookで数年前から知り合っていた、エリックというカチーナ作家さんと会うことに。


聞くと家があるのはホテビラ。そして案内された家は、なんとその昔、最初に行った家だったのです。


エリックが紹介してくれた娘さんの顔を見て、もしや…と思い名前を聞いたら、クリスティというではありませんか!おぉ!クリスティ…と言ったら、名前を紙に書いてくれました。

クリスティではなく彼女の名前はクリシーだったのです。私の聞き間違い、発音違いで探し出せなかったのです。

でも、今回奇跡的に出会うことが叶いました。


*今は亡きマーティン長老の娘、孫、そして曾孫。

嬉しい奇跡の再会と出会い。


その再会の翌日、ホテビラ村でカチーナダンスが行われました。友人に誘われ、一緒に行き夜遅くまでダンスを見ていたのですが、なんだかマーティン長老も儀式の中にいるような、そんな不思議な感覚がありました。



4年ぶりに行ったホピの大地では、他にも、書ききれない沢山の出来事の連続でした。やっぱり、ここは私の魂の故郷に違いありません!


更に25年前に見ていたこと、20年前、10年前、そして4年前とも確かに違うホピの状況を感じました。

ホピの歴史の中で、悲しい歴史の舞台となっていた場所の再生が始まろうともしていました。


コロナで全く時が止まっていたかのような、ホピとの関係。でも、今回行ったことで新たな時計の針が確実に動き始めました。


まもなく、ホピショップも4年ぶりに再オープン。

どんな出会いがまたあるのか、楽しみで仕方がありません。


aya