狩猟の民の神楽・銀鏡神楽 | 天川 彩の こころ日和

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作家・自然派プロデューサーである

天川 彩(Tenkawa Aya)が

日々の中で感じたこと、出会ったこと、
見えたものなどを綴る日記です。

宮崎の日向神話の故郷には、そもそも縄文の民が暮らしていて…その子孫たちにより、今も脈々と続けられている神楽があります。

『銀鏡神楽(しろみかぐら)』と呼ばれるこのお神楽に、数年前から友人の郡さんご夫妻に連れて行ってもらい、今年もまた連れて行っていただきました。

銀鏡神楽は、宮崎県の米良地区に残るもので、縄文からの狩猟の民の子孫たちの手によって、星降る外に神楽殿が設けられ、最上段の祭壇には、イノシシの頭が迎えられます。狩猟、修験、日向神話の神などが重なり合い、地域の各神社に保管される面様と呼ばれる神宿る面を被った時、人と神とが一つになるのです。


古来からこの地域に続くこの神楽は、能の起源につながるとも言われているそうですが、私には、ホピの人々がカチーナ面を被り精霊と一体となる姿や、ブータンで観た密教の面踊りをしている姿と同様に感じます。

銀鏡神社の由来は、日向神話に登場する、大山祇(オオヤマツミ)の娘、磐長姫(イワナガヒメ)が投げた鏡が、この里山に留まり、銀色に輝いていたことから。御祭神は、磐長姫、大山祇命、そして中世の時代に南朝の後醍醐天皇の皇子、懐良親王(かねながしんのう)がこの地にやって来たことから、後に懐良親王も御祭神として祀られています。

夜神楽の前日には、星の舞と呼ばれる修験の舞が行われ、12月14日の夕刻から15日の早朝にかけては、一晩中様々な神楽が奉納されます。通常、夜神楽というと古事記や日本書記に基づいた神話の舞が一般的ですが、ここでは懐良親王が神となられた西宮大明神や、星の神、火の神でもある三宝荒神などが登場します。

神楽の後には、シシトギリと呼ばれる狩猟信仰に基づいた狂言が行われ、その翌日には河原で猪の御霊送りをするシシバ祭と呼ばれる神事が行われます。

今年は、時間的にシシトギリの前までしか滞在出来なかったのですが、とにかく神楽全てが魅力的なのです。

そして、わたしがこの銀鏡神楽に惹かれ続けている理由がもう一つあります。それは、銀鏡神楽の生き字引であり、90歳を超えた今も、神楽の中心的存在である濱砂武昭さんの存在です。銀鏡神社の社家、濱砂家は熊野の鈴木家がルーツ。遠いご先祖が九州にやって来た折には鈴木家を名乗っていたようですが、後にそのルーツを辿った先祖が、熊野に参り那智の浜から砂を持ち帰り玄関口にその砂を撒き、苗字を濱砂と改めたそう。数年前、郡さんが私の著書『熊野 その聖地たる由縁』(彩流社)を濱砂さんに手渡してくださったことから、


後に濱砂さんから丁寧な、そして嬉しいお手紙を頂き、それがご縁となって交流を続けさせていただいています。

毎年、銀鏡神楽に行くたびに、必ず私たちを見つけてお話にやって来てくださるのですが、

今回も夜神楽の間も何度も私たちのところまでやって来てくださいました。そして、「天川さんにあげようと思っていたんだよ」と表紙の文字も全て濱砂さんが書かれたという解説書を手渡してくださいました。

更に昨日は、シシトギリの直前まで、2時間近く銀鏡神楽の話、随神に神と生きることの話など、私の手をずっと握りながら様々なお話をしてくださり

恥ずかしいやら
有り難いやら。

これからも、神様に呼んでいただけたなら、また銀鏡神楽に行きたいな、と思っています。