”ついに「日本」で実現してしまった「アメリカのヤバすぎる思惑」…じつは「アメリカ軍」はほくそ笑” | あ~どうしたものか

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社会問題=PTSD現象。

“郷土なくして人生なし”
ということで[複合汚染]時代をサバイバル、平穏死を子々孫々繋いで生きましょう。

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リブログ元記事から一部ご紹介:
戦後の日米間の軍事上の取り決めを貫く基本法則は次のとおりでした。

 「古くて都合の悪い取り決め」=「新しくて見かけのよい取り決め」+「密約」 

 そして1950年10月の「米軍原案」が、その後わずかな訂正だけで正式な日米交渉の場に提出されたという事実を考えあわせると、戦後、日米間で結ばれたすべての条約、協定、密約を、具体的な条文レベルで次のように整理することができるのです。 
「米軍自身が書いた旧安保条約の原案」=「戦後の正式な条約や協定」+「密約」
 この式にあてはめてみると、これまで不思議でしかたがなかった、ほとんどの謎がスッキリ解けてしまいます。軍事面からみた「戦後日本」の歴史とは、つまりは米軍が朝鮮戦争のさなかに書いたこの安保条約の原案が、多くの密約によって少しずつ実現されていく、長い一本のプロセスだったということができるでしょう。 
 そのもっとも典型的な例が、2015年に大問題となった安保関連法でした。前章で述べたとおり、この1950年10月の「米軍原案」に書かれていた海外派兵についての条文が、なんと65年もの時を経て、ついにあのとき、オモテの国内法として成立してしまったわけです。  
もちろん、歴代の首相や大臣、官僚のなかには、この大きな流れに抵抗しようとした人もいれば、積極的に推し進めることで個人的な利益を得ようとした人もいたでしょう。 
 しかしその無数の人間ドラマもまた、軍事面から見れば、この米軍原案が長い時間をかけて少しずつ実現していくプロセスの一コマでしかなかった。それが日本の戦後史だったということです。 
 悲しい現実ですが、事実はきちんと見たほうがいい。事実を知り、その全体像を解明するところからしか、事態を打開する方策は生まれてこないからです。
註)全体像を捉えるには《PTSD現象学》上の[知見]を集めて共有し、《PTSD現象》の[構造]を解明して《象徴人類学》の一部になる[研究]が不可欠。日本人を[実験動物]にし続ける《異常事態》からの出口も然様にシカ探れない。[国際医療犯罪]摘発を志すシカ🦌出口はナイ 
> Dr. ヨーゼフ Samuel ナイ(アメリカ政治学)
反対運動でその[違法]な
註)[違法]というより
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プロセスの進行を遅らせているあいだに、その[法的な構造]を体系的に解明し、
註)“臨床心理学” で[大学の自治]脆弱化を狙う大学人の《姿勢》には “[倫理学]という構え”(©︎奥田太郎)が欠落しているという《観察事実》を《人類共同体》メンバーで共有し
“臨床心理学” から “臨法心理学”(©︎ 翠雨先生)に軸足を移す。
根本的な解決策を考えださなければならないのです。
註)根本的な解決策とは《PSYCHO-WAR》戦死者を出さないで済む[状況]に変える ——[国際医療犯罪]摘発を志す —— こと。
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皆さまも、お大事に。