サイード『戦争とプロパガンダ』にならぬよう
YouTube貼り付け[妨害]⁉️
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2017/04/04 — 実は長らく清水かつらさんのことを女性だと思っておりまして、この曲の3番に野球にまつわる歌詞が出てくるのを…
実は長らく清水かつらさんのことを女性だと思っておりまして、この曲の3番に野球にまつわる歌詞が出てくるのを、「活発な女性だったのね」と無理やり納得していたのですが、弟が6人もいる頼れる兄貴であるならば、すごく自然な歌詞です。調べてよかった。
https://blog.goo.ne.jp/chor-welcome/e/37fb1bf8df002f5b22d89a3b3408cd13
https://twitter.com/oikawa_yukihisa/status/1785967462363861496
全所帯17,010世帯のうちほぼ74パーセントに当たる12,488世帯が被害を受け、
2094世帯が焼失しました。
死者は市内だけで683人。
被害で多かったのは崩れ落ちた岩石で生き埋めとなったケースでした。
なかでも、修学旅行で横須賀軍港を見学に来ていて山崩れに遭い、
全員が生き埋めになった静岡の女学校もあったということです。
海軍工廠の被害は、あまり公にはなっていませんが甚大でした。
まず、ドックに入っていた潜水艦が揺れで横倒しになり、
どちらも全損していますし、工廠の各工場では煉瓦の建物の倒壊が起こり、
その結果即死107名、重軽傷者290名という被害が出ました。
このとき「天城」型1番艦の「天城」も全損してしまったため、代艦として
「加賀」型戦艦1番艦「加賀」の空母改造が決定されることになっています。
損害額でいうと、横須賀市の被害が約20万円だったのに対し、
海軍関係だけの被害では約7000万円という巨額に上ったということです。
なお、関東大震災のときの流言飛語によってパニックに陥った人々が
自警団を結成して朝鮮人を殺害したという事件が起こりました。
間違えてろうあ者や方言を持つ日本人まで殺されたという惨事でしたが、
特筆すべきはこのとき、海軍が多くの朝鮮人を民衆から保護した事実です。
野間口長官の副官だった草鹿龍之介大尉(後の第一航空艦隊参謀長)は、
「朝鮮人が漁船で大挙押し寄せ、赤旗を振り、井戸に毒薬を入れる」
といった類のデマを受け入れず、海軍陸戦隊が実弾の使用を要請してきたり
在郷軍人が武器放出を要求してきたのに対しても断固として許可を出しませんでした。
それだけでなく、このとき横須賀鎮守府は、戒厳司令部の命により避難所として
朝鮮人をここに集めてかくまっているのです。
(この件に対して、現在「虐殺」を主張する韓国人団体や日本の団体が決して
当時の軍について触れないのは、このことを明らかにしたくないためだと思われます。)
さて、料亭小松ですが、営業していなかった田戸の旧小松の建物が無事だったので、
女将はそこに戻って生活をし、例の160畳の大広間は被災者に
開放して避難所として被災者を泊めたということです。
160畳ですから、おそらく近隣の人々はほとんどここで過ごしたのではないでしょうか。