あゝ…
「『セネカ、精神的教導と哲学の実践』(5)― ストア哲学の二つの部分(2)「教説」」についたコメント | 内的自己対話-川の畔のささめごと
https://ameblo.jp/kmomoji1010/comment-12096172404/
「行動原則を与えることが『教説』」であり、それは「洗脳」ではない。
「『教説』は、人間の実存の全体にまで拡張される確信を授けることがその目的である。より詳しく言えば、人がそれにしたがって己の諸々の行動を導くことができ、それに鑑みて自分のしたことが善いことだと確信できる行動原則を与えることが『教説』のなすべきこと」
という説明は、子どもにも理解できる秀逸な表現だと思いました。
いつも、ありがとうございます。
「行動原則を与えることが『教説』」であり、それは「洗脳」ではないのは、「行動原則を与える『教説』」たとえば “caritas”=
「『教説』は、人間の実存の全体にまで拡張される確信を授けることがその目的である。より詳しく言えば、人がそれにしたがって己の諸々の行動を導くことができ、それに鑑みて自分のしたことが善いことだと確信できる行動原則を与えることが『教説』のなすべきこと」
という説明は、子どもにも理解できる秀逸な表現だと思いました。
いつも、ありがとうございます。
「行動原則を与えることが『教説』」であり、それは「洗脳」ではないのは、「行動原則を与える『教説』」たとえば “caritas”=
“the principle of charity” によって、
“Die Gedanken sind frei”
鬼畜=PTSD否認
註)[フラッシュバック]の有無は、重要ではない。記憶が映像的だと[言語]を介さない動画のような[もの]が[無意識]領域から[意識]の領域に[情報]として漏れ出てくる[こと]があり、当人は、それを[無意識]からの[情報]として受け止めて活用すれば無問題。ゆえに、
“症状 即 治療”
という野口整体はじめ整体ベースの姿勢を崩さない限り、[フラッシュバック]に振り回されないだけの自我[強化]を進めて、[無意識]からの[情報]として受け止めて活用できるようにすればOKという発想になる。東日本大震災の時、小学生の息子も[地震酔い]になった。それは、フラッシュバックの一種ゆえ、蝦夷ウコギ茶を飲み(←ストレス耐性を上げ)ながら、話を聞いて収まるのを待った。津波の映像も一緒に何度も何度も繰り返して観て、津波のパワーを分散する構造物を海岸に作り、それが魚介類の繁殖にプラスになるように研究する…とか言って日々これシミュレーション❣️MacBookProは良い子ちゃん❣️ということで、東北大学に津波のパワーを分散する構造物の研究をしているグループがあるから、東北大学にするか…とか言い出し…流石、小学生、思い立ったが吉日よ。←ヒヨシ校舎ではナイ
ともあれ…
地震酔い(←[フラッシュバック]の一種)は去って行った…こういう humane な経過を辿るのを[医療]の名で妨害するのは《人道上の罪》だが、大概の[臨床心理士]や精神科医、ほとんど全部の心療内科医や[公認心理師]が行う。気をつけないと、薬漬けにしても薬物なしでも[海に沈める]連中のアプローチでヤられてしまう。
https://ameblo.jp/aya-quae/entry-12714137821.html
と書きました。
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皆さまも、お大事に。