あゝ | あ~どうしたものか

あ~どうしたものか

社会問題=PTSD現象。

“郷土なくして人生なし”
ということで[複合汚染]時代をサバイバル、平穏死を子々孫々繋いで生きましょう。

あゝ…

あなたは、腰が抜けたことってありますか?
亀🐢の甲より年の功…
  1. 虐待親は、子どもが友達と仲直りする手伝いなんか出来ませんからね。自分が虐めているのですから 笑笑
    ということで、初めてお願いして人に立ち会ってもらい、仲直りすることができました✨

    とてもいい気持ちです。退行しました。

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    1. 翠雨投稿作成者

      こんばんは^_^

      大変な思いをされたようですが、それも含めて作業所のような場所があって、よかったですね✨
      大人になると、謝ったり、仲直りしたりすることは簡単ではなくなるし、こういう場所があっても、それを活かすことができるかどうかはその人にかかっていると思います。

      久々にキャサリンちゃんを見てみました!(^^)!

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      1. あ*=franoma

        傍から失礼します。

        作業所において、その休み時間にトラウマサバイバーさまが《表現の自由》を享受できるのは幸せなことですし、相手が「その内容を認める」率直さを持ち、応える《表現の自由》を享受なさったことも素晴らしいと思います。「ただし、皆の前で言う必要はあったのか」と問うことで、実際的な《安全確保》もしているのです。それに対する返事を私がするのであれば、「吊るし上げにする底意はありません。間違いは誰もがなし得るものゆえ、些細なうちにヒヤリハット事例として共有して、作業の進め方を考える契機になれば良いのではないでしょうか?」ということになると思います。

        トラウマサバイバーさまが「怒り」をぶつける好機をゲットなさって、ここぞとばかりに、その機会をエンジョイなさったのであれば、それは「解離する特権」を享受したことになるので、相手のためでも誰のためでもなくトラウマサバイバーさま本人のCPTSDからの回復のために、反省&人間関係の修復ができたことは、良かったと思う次第です。

        《アスペ》ラベリング攻撃を実行している人たちの範囲の広さに気づいた時には私は腰が抜けて椅子から転落し、起き上がるのが困難になったので、私はお手伝いに行っていた倒壊大学の先生に「病欠」の電話を入れました。あまりのことに驚いて腰が抜けることってあるとは聞いていたけれど、実体験は(これまで60年近い人生で)その1回きりでした。「あまりのことに驚いて腰が抜ける」現象は、「怒りを溜め込んで腰痛になる」現象と関係があると言われています。
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        1. 翠雨投稿作成者

          お話から、何の意図もない宗教や心理療法で起きる意識下の「独白」みたいな現象だったのではと感じられました。
          作業所のみなさんんも、最初はびっくりしたけど、『そういうことあるよね~』と言うことで、お互いさまを超えてみんなのために、サイコドラマ(心理劇)のような有意義な空間であったのではないかと推測したのでした。

          失立・失歩・失声・失聴…今は休んでおいてくださいと無意識からドクターストップのような補償作用が起きて止めてくれるのもありがたいことですね。

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皆さまも、お大事に。