アホン人攻撃のためにある公認心理師法システム | あ~どうしたものか

あ~どうしたものか

社会問題=PTSD現象。

“郷土なくして人生なし”
ということで[複合汚染]時代をサバイバル、平穏死を子々孫々繋いで生きましょう。

2018年5月31日 05:06 に あ*=franoma より

“ambivalence” は、
文化人類学でいう「両義性」:
通常、相互に排除し合うと考えられている特徴が共存していること。

ambi-「不確かな」← ambīre「周りを巡る」
valence ← valentia ← valēre 「力がある」
「未分化」状態と捉えたほうが良いのではないか?…と思います。

以下は、
http://ptsd.red/2016/05/08/2016・5・7%E3%80%80ptsd解離自殺のため東北新幹線が5時間半缶詰/#comment-7462 
https://bit.ly/2rKEwer 
からの抜き書きです。
翠雨先生の記事( http://bit.ly/1QVm0Tl  )を以前、拝読したとき、フランス人の感覚では、フランス語の “le suicide”=ラテン語の “suīcīdium” は「自分を殺すこと」なので、他人を巻き込むケースには適用しない表現なのだろうと私は了解しました。日本でいう「無理心中」現象も、近代的おフランス感覚ですと、「殺人」犯罪と「自殺」2つの独立した現象の線形的な重ね合わせという認識なのでしょう。しかし、そういう認識ですと、主客未分化、主客融合、主客がどろどろ( http://bit.ly/1Tw0nL1  )、主客のない無我の境地( http://bit.ly/1SVMABy  )=太極すなわち渾沌で「どうしていいかわからない」状態から秩序のある “pensée”(思考? 瞑想? )が生成される現象( http://bit.ly/1s4miDj  )を捉えることはできませんね。この辺の話は、ドイツ人はじめゲルマン系の人のほうが通じる人が多いかも知れません。個人の線形重ね合わせによって集団を形成しても、集団現象は理解できない非線形問題ということです。その非線形性の根源がおそらく集合的無意識なのだろうと私個人は想像しています。

註)pensée は、思惟(しゆい)
『発明の論理としての構想力』
 – 内的自己対話-川の畔のささめごと
https://blog.goo.ne.jp/kmomoji1010/e/fbc81346d75c483abf7d96f96f774469
「論議的思惟 pensée-discours が問題でなくて
 行動的思惟 pensée-action が問題」©︎ 三木清 

“えじそんくらぶ” 佐賀 それいゆ 服巻智子 – Google 検索
https://bit.ly/2J4u3Sq

行動的思惟 pensée-action ができる日本人理系人を「改革心がある」とは観察せずに、人格無視をしてADHDラベリングで社会的に抹殺しようとしてきたのが「アングロサクソンの妄想性障害」者たちです(←ケルトの発想では出てこない。人類に普遍と言える深さの集合的無意識を共有していない、アングロサクソンの妄想であり、アングロサクソン利権を人類の福祉より上に置こうという策謀…だから、オランダ人よ、頼むから彷徨わないでください…)。特に、我々のように論議的思惟 pensée-discours も或る程度、持ち合わせていると、くだんの西洋白人女性心理職ご夫妻&仲間たちが「アスペ」ラベリングをして、日系男児のみに証拠が残らないように「隠れ虐待」を実行し、心理操作をやりまくって集団ストーカー行為を組織して総攻撃を仕掛けてきます。何とかして制圧bullyを達成し、愚息を社会的に抹殺することが彼女の狙いでしたね。ほとんど成功しました。
http://touyoui.blog98.fc2.com/blog-entry-408.html#comment6875
「悪魔崇拝の原則」=「彼ら」の行動原則
ということです。

AIは、人類に普遍と言える深さの集合的無意識を共有していませんので、マザーコンピュータに(合理的に)支配された人類は不幸になるわけです。

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皆さまも、お大事に。