社会適応とセルフへの適応 | あ~どうしたものか

あ~どうしたものか

社会問題=PTSD現象。

“郷土なくして人生なし”
ということで[複合汚染]時代をサバイバル、平穏死を子々孫々繋いで生きましょう。

 に あ*=franoma より

「適応論に堕する」という表現がどうも伝わらない…「適応して何が悪い」と言われてしまいますし、河合隼雄先生が考えたようにはスクールカウンセラーが機能しない現象の認識も理解も共有できません。未成年&生業に就く前の「モラトリアム」の意味についても合意形成が進まないでしょう。

http://xn--98jxbh17co03s7oeww0eymj.jp/nougyou-181
「農業っていう、普通のサラリーマンではない道というのは当然不安もあったわけですが、もともと社会不適合の僕にとってはどんな道だろうと関係はなかった。笑」
と書いている御仁がおわしました。ここでいう「社会不適合」≒セルフへの適合を模索して上手にもがいた “struggle for existence” ですね。

“struggle for existence” site:.ptsd.red
– Google 検索
https://bit.ly/2NFF6Uu

徹底して役作りをなさっていた清水富美加さんが『東京喰種トーキョーグール』実写版のために生きたハエを食べる…という「適応」を目指す強烈なセルフネグレクト受容の末に「ぺふぺふ病」(=離人症)になってしまい、社会において「病者の役割」を担うほうが良い状態になり…というのを思い出します。

エジソンは、観察主体を手放させようとする類の強烈なセルフネグレクト受容は強いられていないわけです。
保健学の先生が
Q:”エジソンが「メンタルに問題がある」と言われても、健康で生産的な人生を歩めた理由とは?”
という問いを出されたので、私は、
A:観察主体を手放さなかったから。
という答えを書きました。
https://ameblo.jp/aya-quae/entry-12393733814.html

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皆さまも、お大事に。