”「月面着陸」” | あ~どうしたものか

あ~どうしたものか

社会問題=PTSD現象。

“郷土なくして人生なし”
ということで[複合汚染]時代をサバイバル、平穏死を子々孫々繋いで生きましょう。

「あ※さまの場合は、妄想ではなく、ご見解でした。
謹んでお詫びいたします」か、
翠雨先生、冗談お好きですね。

麻原彰晃+kyupin+妄想性障害
– Поиск в Google
https://bit.ly/2UVGbPO

晋精会メンバーらしい kyupin 医師と麻原彰晃さんは同類の妄想性障害者らしい…というのが私個人の見解です。

Отправлено с iPhone

リブログ元記事から一部だけ孫引き:
大学の理学部(りがくぶ)や、
工学部で、数学や、物理学を、死ぬほど勉強して、
頭のいい人の認定を受けて、
それで、やってきた自分の人生だ。
「月面着陸は無かったのだ」と、気づいたときに、
彼らの頭は、混乱する。混乱では済まない。
本当に、脳がズキズキして、壊れそうになるだろう。
 自分が長年、堅く、信じ込んできたことが、
本当は、ウソだった、でっち上げだった、
ということになると。自分の脳(頭)が、壊れそうになるのだ。 


…ということは、ないんじゃないかな…
 科学技術における実験&進歩とは、如何なるものか?…ということを考えれば自明です。月に何しに行くんですか?国威発揚ですか?(←それは人類の福祉に資する科学のレーゾンデートルではない。科学研究費はもっと有効に使え…)月の裏側を観るだけなら「月面着陸」は要らないし月の石を拾いますか?それ、地球にも落ちていますけど?…という具合で、基本、白けているのが科学者というものだからです。
 そもそも誰かの「出来ました」という報告は基本、如何なるものについても「ここは、曖昧さが残っている。クロスチェックが必要」などと批判的に捉えておき、「自分が長年、堅く、信じ込んで」しまうことは極力、避けるのが理系人の「頭の柔らかさ」なのです。
 地球からロケット発射…月の周回軌道に乗りました…という中継は途中までテレビで観ました。「米ソは有人ロケット発射をやっている」と認識していました。1970年大阪万博では、月の石を観ようと長蛇の列だったのでアメリカ館はパスしました。ガラガラだったモルモン館に入って、アレコレ話を聴きました。あと、インド館で伝統的な木彫を観ました。何処が人類の進歩なのかなぁ…ガス・パビリオンは面白かったけど。

そういうオマエは「数学や、物理学を、死ぬほど勉強」したか?…と問われれば…いやぁ数学と物理だけでは物理学科を卒業できませんので、数学&物理を死ぬほど勉強したことはありません!そもそも、これは面白い!と思うことしか勉強しないから、死ぬ思いなんかしないでしょ。

月面探査ミッション「かぐや」が失敗したとき、月面探査をヒトが行って行なったことは前々から疑われていたけれども、その疑いが益々深くなった…と認識しました。月面での放射線強度が想定していたよりも強くて観測機器が上手く機能しなかったと推察されるので。

「頭のいい人の認定」って何でしょうね、もう冗談は辞めにしませんか。《アスペ》ラベリング攻撃15年くらい…人道上の罪とは何か考えたことがない大学人がゴロゴロいて困ったことです。

国威発揚タイプの科学技術は、環境アセスメントが甘くなるという問題も内包しているので、文系人ならば、「国威発揚タイプの科学技術が何故、ダメなのか?」論じたほうが良いのでは?

晴彩さんあたりは、国威発揚タイプの開発競争をやらないと進歩しないと確信しておいでではないかなぁ…と私は勝手に憶測していますが。

皆さまも、お大事に。