”グリホサートがアレルギーを起こしているのでは?のみならず神経をも害している?:「シキミ酸経路” | あ~どうしたものか

あ~どうしたものか

社会問題=PTSD現象。

“郷土なくして人生なし”
ということで[複合汚染]時代をサバイバル、平穏死を子々孫々繋いで生きましょう。

  • maria-magdalena000さんのサムネイル
    何と申しますか…
    地元の四国で是非とも獣医になろうという志の高い若者が、何処の獣医学部に行くか検討した場合、加計学園を選ぶことは、まずないでしょう。

    ①変に排気ダクトが長いので、実験室からの排気が建物の中で漏れたら嫌だなぁ
    ②本がないので勉強できない…専門誌や専門書を全部、自腹で買って、獣医師国家試験合格まで行きつけるか?…無理っぽいなぁ
    …と思うのが普通ですから。

    それでも1人だけはいた…ということは、多分、その方は、お目当ての先生がいるのでしょうね。

    私腹を肥やすためなら、
    若者の人生にダメージを与えても気にしないのが安倍一味
    です。

    安倍自公による政治の私物化を辞めさせないとダメですね。

    いつも記事をありがとうございます。
    2019/02/24 05:51:42


関連ネット検索:

https://www.google.co.jp/search?q=IAEA+モンサント+touyoui


リブログ元記事から一部孫引き:

人体には確かにシキミ酸経路は存在しないが、腸内細菌はそれを持っている。だから植物を殺してしまうグリホサートはシキミ酸経路を持つ腸内細菌を破壊してしまう。腸内細菌を損なってしまえば、そこからさまざまなアレルギー、自己免疫疾患などさまざまな病気が生まれる。だからグリホサートは人体に有害と言わなければならない(*)。このグリホサートの被ばく量が増えるごとに、こうした疾患で苦しむ人の数も増え続けている。
 当然ながら傷つけているのは人体のみではなく、生態系の生命全体に及んでいる。人はグリホサートを避ける工夫はできるが自然に生きる生命たちは無防備だから、人よりもさらに危険に脅かされているだろう。土壌の中にはさらに多くの細菌が生きるがそれらも農薬散布により大きく損なわれている。死滅した土壌細菌はメタンガスとなって気候変動を激化させ、共生菌を失った植物は病原菌にやられやすくなり、さらなる殺菌剤が必要となる。この軍拡競争には際限がない。アグロエコロジー・有機農業であれば解決可能である。

 ラウンドアップ/グリホサートは禁止しなければならないという声が世界中からわき起こる。それにも関わらず、日本政府はグリホサートの残留基準値を最大400倍という大幅緩和を年末にこっそりと行っている。
 日本でもラウンドアップ/グリホサートを使用禁止にしなければならない

♡おまけ1♡

http://touyoui.blog98.fc2.com/blog-entry-455.html?sp&m2=res  

あゝ皆、 #提訴 されるらしいですよ? …と、以前、「なう」&ツイートしました。 


制圧、服従、共依存しか人間関係ができないと観察される女性がスクールカウンセラーだそうで…スクールカウンセラー制度は運用できない(←教育委員会には、妄想性障害者を鑑別できる人がいないために、とんでもない人物を送り込んでしまう)ことが判明しました。

♡おまけ2♡

共依存ということで…


 自然科学者がいうデタッチメントができないのは、自我境界が曖昧だからではないか?…と思うのは、世界の少数派かも知れませんけど。私事でアレですが、私の元配偶者もデタッチメントができる普通に理系センスの人物でした。しかし、息子が生まれたら、あまりにも自分の乳幼児時代にそっくりだったので、自分の分身のように思ってしまったようです。運悪く2001年911が起きてからは精神的に総崩れとなり、姪とコミュニケーションが成立しなくなってしまい「アプカ星人」と渾名されてしまいました。息子に対しては、共感とか感情移入とかいうよりも①投影②自我境界が曖昧になる点が父子関係を悪化させると思いました。


註)「先生のほうが投影している」というのは、上述した妄想性障害者の主張で、私も呆気に取られてしまいました。


『親が子どもへ感情移入しすぎてしまう……。親子でも起こる「共依存とピーナッツ親子」とは』 - Ameba News [アメーバニュース]

https://news.ameba.jp/entry/20181118-155/

という記事でも「感情移入」という表現を使っていますが、折角、二人の独立した人間がいるのに、「ピーナッツ母娘」とか言われる状態では、二人分の《観察主体》が活かされておらず、下手をすると、心中してしまいそうな危うさを感じました。

どうなのでしょうね?


《観察主体》を手放さないこと、
《観察主体》を手放させようとしないこと
…両方ないと、人間関係が制圧・服従・共依存だけになります。特に、ラポールの形成には、治療者が来談者に《観察主体》を手放させようとしないことが必須です。したがって、末田耕一医師が保護室でクールダウンした患者さんに「なぜ、ここにいるのか判りますか?」と問診するのは極めて妥当なことです。


皆さまも、お大事に。