米流通のこと書いていますが

食管法の時代、米は米屋で買うものでした
食管法は政府が一元管理して買い上げ、登録卸、登録小売店、消費者、実需者
大東亜戦争で若い男子が兵隊にとられるわけだから生産力も落ちる
米を配給制度にしたわけです

米、酒、たばこ、塩も専売でした

今はどれもほぼ自由化されました

酒、たばこ、塩は誰でも簡単に作れるものではありませんが、
米は日本ほぼ全国で作られます
これを政府管理にするというのは異常事態でなければできません

戦争に負けて、生産力も上がり、米は足りないから余るになりました
政府が生産者から高く買い、消費者に安く売る
その当時の食管赤字が当時で天文学的数字になり

別の見方をすると、都市部の消費金額の米代が地方に還流する仕組みでもありました
それはそれで一定の役割果たしたと思います

一方、街の米屋はというと

わたしがこの業界に入った頃はまだ「米は米屋で買うもの」だった
わたしの父が「1億総食管違反」ということ旗印に、おいしい米をもっと安く売れないか、買えないか
流通に風穴開けたのでした

専売は努力しなくなります

競争相手が同業者だけであり、いわゆる価格カルテルも普通

食管法が終わり食糧法になって30年

仕入も売りも自由にできるのです

生産者→農協→全農→米卸→米屋→消費者

こういう戦後の従来ルートが激減しているのです

従来ルートの米会社苦戦している


消費者が直接生産者から買うこともできる
(昨日書いたようにいろいろハードルはある)

米屋、米販売会社も直接生産者と取引することが出来ます

生産者もどこに売るか自由です


ビジネス、経営は自ら考え自分の居所、存在をどこに置くか

存在理由はなにか

強みはなにか?

弱点はどこか?

差別化できることはないか?

そういうこと組み立てて自社の居所を探す

強みを伸ばす


大きな事件の後はいろいろなことが変わります


ピンチをチャンスに変えるには?


打つ手は無限です!