てざわりの記憶 -9ページ目

てざわりの記憶

目で、手で、耳で、時には舌で触れる日々の手触り。

その記憶。

先日、佐賀県に行ってきた。

ささいな用事で出かけることになったのだが、たまたま休みだった母と弟が一緒についてきた。

目的はどうやら呼子のイカ料理らしい。

イカ料理をおごってもらうのと帰りは弟の運転でいい、との交換条件(私にとってはかなりお得な♪)で、朝早く大分を発った。

大分を出るころは曇りだったのが、日本海が近づくにつれてどんどん天気が悪くなり、福岡から佐賀に入るあたりにはもうどしゃぶりの雨になっていた。

雨の高速道路の怖いこと怖いこと><

以前、雪山でスリップ事故をおこした事のある私にとって、すべりやすい路面というのは恐怖の対象なのだ。

タイヤがコントロ-ルを失うあの感触が、いつまでたっても脳裏を離れない@@;ヒ-

まあ、おかげで安全運転でいけると考えればいいことなのかもしれないけれど(笑

佐賀市内に入るころにはだいぶ雨足も弱まった。

思いのほかあっさりと用事は終わり、とっととイカの聖地「呼子」へと向かうことに。

何件かあるお店で迷った結果、道の駅に併設されているレストランに入ることにした。

頼んだのは無論、イカ定食。

弟は佐賀牛のランチだ。このアマノジャクめ、と思いながらも佐賀牛はやっぱりおいしそうでした(笑

まず出てきたのはイカのお刺身。

おお、この透き通った身のおいしそうなこと!@▽@ジュル

帰りは弟の運転なので、もちろんお酒をいただきました。

ほぉ、まだ動いてるぞ、これ。まずは一口、ちゅるん。


うンまァ~い!(ノ´▽`)ノ


こりは美味い!

コリッとした歯ざわりと噛むほどにあふれる甘みと旨味がお口をジャック!

まこと、お酒の友よな!

至福のうちにお刺身を食べ終わると、今度はゲソを天ぷらにしてくれるというではないか。

新鮮なイカを天ぷらとは贅沢なことだ。

待つことしばし、お皿にこんもりゲソ天が盛られてやってきた。

どれどれ。


・・・刺身より美味いかも!?

:*:・( ̄∀ ̄)・:*:


いやはやカルチャーショックだ。

新鮮なものは生!というのは、ただの素人考えなのかもしれない。

それくらいおいしい天ぷらでした。

すばらしきかな佐賀!

またくるぞ佐賀!


最初に言っておくと、私は倖田來未が好きじゃない。

これは問題発言なんかがでるずっと前からそうだったし、たぶん暫くはこれからも。

もちろん、本人であるところの神田 來未子さんの事は知らない。

会って話したことがあるわけじゃないし(笑

私が嫌いなのは倖田來未としてパッケ-ジングされて売られている芸能界の商品としての倖田來未だ。

エロカッコイイ、っていうほどエロくもかっこよくもないし、歌だって別にうまいというほどの事でもない。

まあ、嫌いというより興味がないのだが、ここのところ問題発言騒ぎとやらでとりざたされているのは気になった。

もちろん、言った内容自体は許されるものではないし、周りから責められるのもあたりまえだと思う。

まあ、人に気を使って話せるようになるのは人間がある程度成熟してからでないと難しい、と思うので若気の至りではあるのだろうが、良い機会なのでじっくり反省して成長したらいいと思う。

倖田來未は好きじゃないが、そんな私の個人的な感情はどうでもいいことなので、反省したらまた活躍すればいい。

つぶれる必要は何もないと思う。

それよりも気になったのは、この騒ぎの報道のあり方だったと思う。

はじめはバッシングに走ったメディアにさんざんにさらされた彼女だが、後半になるにつれて徐々に擁護する動きに変わっていった。

みのもんた同様心底嫌いで軽蔑している徳光和夫という日本テレビのアナウンサ-がいるが、ある日の報道番組で倖田來未に対して応援メッセ-ジを送る一幕があった。

わかってはいたが、バカかコイツは。

今回の騒動の一番の被害者は誰だ。

不妊や高齢出産に悩む多くの家族の方々ではないのか。

このナイ-ブな問題に正面から向き合い、悩み、時には自分を責めることも、周りから責められることすらある彼らこそ、問題の発言とそれを報道するマスメディアの両方から被害を受けた真の被害者だと思う。

それをほったらかしにしておいて、若い娘の失言を取り上げて騒ぎ立てる報道のなんと醜いことか。

ましてその娘をフォロ-することで、騒ぎの沈静化を図ろうとするなど言語道断だ。

むしろこの問題を機に、もっと不妊や高齢出産などで悩んでいる現場のことを正しく伝え、応援していく姿勢が必要なのではないだろうか。

マスコミはいったい誰のためにあるのか、考えずにはいられない。

ぷんぷん!

ずいぶん前のことになるのだけれど、20近く年の離れた方と数人でカラオケに行く機会があった。

始めはやっぱり多少気を使って、「知床旅情」や「いちご白書をもう一度」、「酒と泪とアニメと女」(だっけ?)などを歌っていた。(演歌はその方も私も嫌いだったので)

そのうち、気にせず好きな歌を歌っていい、と言って頂いたので何を歌うか迷った末に「15の夜」を歌った。

一通り歌い終わって、その方の口から出た言葉は「なんだこれは。つまらん歌だ」というものだった。

なんだろう。その一言を聞いて私は、自分の口の端がくいっと上がるのを感じた。

ふっふっふっふ。そうだろうそうだろう。

アンタなんかにこの歌がわかってたまるか。

誤解のないように言っておくけれど、私はこの方を尊敬していたし、馬鹿にする気持ちなど微塵も持ってはいない。

しかし、違う世代の人からの「つまらん」の一言は、ああやっぱりねぇ、という思いと共になんだか暗い喜びを感じてしまうものだった。

この歌に限らず、歌というものはそれを聞いた時代の空気間みたいなものを引きずっている。

まして、歌に歌われた世代とまさに同じ年齢のころに聞いたとなれば、その思い入れはひとしおだ。

盗んだバイクで走り出したり、夜の校舎窓ガラス壊して回ったり(これは本当にやったヤツが出て、当然尾崎本人も迷惑がっていた)等々、耳に残りやすいフレ-ズばかりが取り上げられていろいろ問題視されたものだ。

そんな批判を見聞きしながら当の学生たちは「わかってねぇなあ」と苦笑いだった。

そんな時代の気分を思い出させてくれた「つまらん」の一言だった。

そういう意味では、いまだに違う年代の人と人との間で正しく(?)機能するこの歌はすごいなあ、と思う。

今では100円で缶コ-ヒ-も買えなくなり、不良と呼ばれる人たちもだいぶ変わってきている。

歌詞の中でバイクを盗み町を逃げ出した少年たち。

だが彼らは知っていたのだ。

「自由になれた気がした、15の夜」

と。



あけましておめでとうございます!

うわ、その言葉久しぶりに聞いたわ、という皆様こんにちは(笑

アスカもレイもミサトさんもいなくてエヴァにも乗ってないシンジ君になった初夢を見たaxhighです。

ちなみに私はアスカ派です。

新年早々ノロウイルスとのど風邪に感染し、PCはぶっこわれるわでさんざんの年明けでした。

放送大学の単位認定試験が日曜から始まりますよ~。

今回はなんだかテンションが上がらなくて苦労しております^^;

日ごろからやってれば直前のテンションなんてあまり関係ないのでは・・・?と思った方、無論正解です(笑

今回もいくつか手ごわい教科があるので、気合いを入れないと・・・><


長年ぜんそくを患っているせいか、のど風邪で出てくる、いわゆる「普通の咳」がなんだか変な感じ。

なんていうか、こう、ものたりないというか(笑

うっとおしいので、早く直したいなぁ・・・・。



ブログネタ:サンタクロース信じてますか? 参加中

本文はここから
サンタって、何歳まで信じてた?
この時期になると、たま~に聞かれる。
そういわれて思い返してみても、サンタなんてはなっから信じていなかったとしか思い出せない。
クリスマスなんて年に一度好きなおもちゃを買ってもらえる日くらいにしか考えない子供だった。
そう言うと夢の無い子供だったのね、などといわれてしまう。その通り。
はっきりいってクソガキだったなあ、と自分でも思う(笑
でも、大人になった今、サンタクロースを信じるようになった。
無論、おもちゃや物をくれる対象としてではなく、なにか素敵なことが自分の人生に起こることがあるのかもしれない、という淡い期待を思い起こさせる日の象徴として。
去年より少し暖かい冬の街の中で、日常からちょっぴり浮かれて、ちょっぴりやさしそうな人々の顔を見るのは悪くない。
この国ではクリスマスという日はもう本来の意味から外れ、それぞれの人々のこころに取り込まれてそれぞれの意味を持って内面化しているように思う。
異論もあるだろうが、私はこれでいいと思っている。
人々を幸せに導くのが宗教の使命なら、どうあれ目的は果たせていると思うのだ。
それを捕まえて、やれ私は○○教徒だの、本来の意味はどうの、そんなヤボなことはなしだ。
なにかいいことがあるかもしれない。
そんな夜のシンボルとしてサンタクロースは、やはりそれぞれのこころのなかにいるのだろう。
願わくば、この夜が過ぎてもそんな希望を持ち続けていられますように。