てざわりの記憶 -10ページ目

てざわりの記憶

目で、手で、耳で、時には舌で触れる日々の手触り。

その記憶。

おや、どうしたんだね。

今夜はクリスマスイブだというのに、まったく君の顔ときたらこの世の終わりでも見てきたようだ。

ずいぶんと疲れておるようにも見える。

私は通りすがりの男だが、無論きみのことが大好きだ。

なになに、辛いことがたくさんあったと。

それでふさぎこんでおるわけじゃな。

なんと、こんな自分は嫌いだと言うのかね!?

それはいかん、なにせ私は君のことが大好きなのだから。

ふむ、みじめな自分の事を聞いたら、きっと私も君のことが嫌いになるというのだね?

よし、物は試しだ、話してごらん。

ふむふむ、ほうほう。

なるほど、君は自分のことを不完全な人間だと思っておるわけじゃな。

なに、まだあると?

かまわん、全部出しなさい、こんなもんじゃ、まだまだ。まだまだ私は君のことが大好きじゃぞ。

ほほう、すると君は、君自身の臆病なところや惨めなところをとても嫌っていおるわけだ。

さてさて、なんとも腹立たしいことよ。

いったいだれが、君に君自身を憎むように教え込んだというのか。

どれ、名前を教えなさい、よければ、今からソイツを一緒にブン殴りに行こう。

なに、暴力はいかんと。ふむ、そうか。

君はそうやってソイツを許すのに、自分は許せないというのだね。

さて、どうだね気分は。

君は、君自身の過去を恥ずかしく思って表に出せないわけだったが、たまにはこうやって風に当てるのもいいものではないかな。

無論、どんなものを出してきても大丈夫だ。

私にとって君ははずれた部品もなければ締め忘れたネジもない完璧な人間だ。

ただ少し、間違った教えを学んでしまったようだ。

まるでスポンジのように全てを吸収していた子供の君は、何か悪いものまで吸収させられてしまったようだね。

なに、大丈夫だとも。無論なんの問題もない。

いつだってやり直せるし、そんなささいなことは、君の価値に何の影響ももたらさないだろう。

どうかね、今晩一晩子供になって、私と一緒に空を飛んで見ないか。

新しく学べることがきっとある。

君にとっても私にとっても素敵な体験になると思うのだが、いかがかな?

一人暮らしが長かったこともあり、料理をすることがわりと苦にならない。

そこまで凝ったものはできないけれど、一応魚くらいはさばけるようになった。

料理をはじめて良かった事は、出来合いばかりの食事からの脱却と、食べ物に対するものの見方が変わったこと。

当たり前の話だけれど、食材としてス-パ-などに並んでいる肉や野菜、魚、ソ-セ-ジ当の加工食品は全て命があったものたちだ。

そのあたりまえを、知識だけではなく肌感覚みたいなもので感じるようになった。

田舎に居ると、時々猟師さんが捕ってきたイノシシやシカを解体している現場に出会うことがある。

(@。@)オオ、豪快!

イノシシの肉はちょっとクセがあるけれど、私はそのクセが大好きだ。

とんこつラ-メンも、獣くさくなく女性でも食べやすい!なんて看板の店にはまず行かない。

魚もそうで、少しぐらい生臭いほうが好きだ。

それは、命というものに近しい匂いのような気がする。

もちろん主義主張で食べ物を区別するのは愚かしいことなので、単に私の好みがそうなのだけれど。

食べ物に関しては、私はわりと野蛮人なのかもしれない。

アーバン・ヒッピーのための・・・なんて看板の番組があるけれど、都会の野蛮人ではどんなもんだろうか(笑


絵を隠し事、いや絵を描く仕事を辞めてから、なんだかすっかり絵を描かなくなってしまった。

はて、絵を描くのが嫌になったのか、それとももともと好きではなかったのかといろいろ考えた。

それにしては目はモノを観察してしまうし、絵になりそうな構図を考えてみたりあれこれ動きを想像してみたりする。

う~ん、どうしてだろう。

なので、半ば自分に強制する形でエンピツをにぎってみた。

そうすると、どうやら絵を描くことに不安感を覚えるようだ。

何故だろう。上手く描けないかも知れない事が不安なんだろうか。

別に誰に見せるわけでもないのに・・・いや、自分自身が見てるのか(@。@)ジ-

だとすると、自分が思うようなものが描けないと、自分で自分の価値を信じることができなくなるというわけか。

でも、描かないと上手くならない。

まあ、その必要ももうあまりないのだけれど、自分の中にどうも描きたがっているフシがあるので、すれちがいのままは良くないと思う。

自己一致は大事だ。

がさごそと昔描いた絵を引っ張り出してみる。

今見るとダメダメだったり、今見ても感情が伝わってきたりといろんな絵があった。

後半は、挑むような目のキャラやキズだらけのキャラが多いような気がする・・・・病んでるなあ(笑

流行のぼんやりと無表情な目というのがキライだった。

意思を持たない目なんかクソくらえ、と思っていた。

どんな宿命を背負っていようと、自らの意にそわない行動をとらざるを得なかろうと、動いているのは自分のはずだ。

最後は自分で決めた事のはずだ。だったら意思を持って行わなければなるまい。

聞いてるか地獄少女!(八つ当たりか 笑

なんて事を考えていたなあ、と思いながら絵をめくっていると、意思を持ってじっとこちらを見上げる少女と目が合った。

(淀んだ目をしてるのは貴方じゃないの。描きなさいよ臆病者!)

そう、いわれてる気がした。

・・・・・そうかもしれない。

あたりまえだが、カウンセリングの自己研鑽は一生懸命やっている。

でも、それで埋まらない自分自身の心の溝もある。

よっしゃ、久々に何か描いてみるか。

「相変わらずヘタな絵を描きながら、でも元気にやっていますよ」と、誰かに報告できたら、それもいいかもしれない。


先週の休日、母を連れてカキ(牡蠣)を食べに行くことになった。

母は旧郵政省(今はなんだろう)に勤めているのだが、ご存知の通り民営化に基づくあれこれで大変忙しい。

そんな母がたまの休日に「カキ食いたい、紅葉見たい、温泉はいりたい」というので、よっしゃ、行こうじゃないかという話に決まり、早速出かけて行った。

行った先は、まさにカキを食らうためだけにあるような無骨な食堂だった。

テ-ブルの中央に網があり、その下に火がくべてあるのだが客が自ら焚き木を入れて火を保たなければならない。

メニューは皿に盛られたカキと缶ビールのみ。

もくもくと燃える炎が網の上に出てきたら、火箸でカキを放り込む。

店員いわく、表面が黒焦げになったら食べごろとの事。

カキの中には新鮮なエキスがつまっており、これがぴったりと閉じられたカキの中で沸騰し、バクハツする様は圧巻だ。

二つとなりのテ-ブルからも遠慮無しに砕けたカキの殻やら飛び出したエキスやらが飛んでくる。

そんな中、片手に軍手をはめて食べごろと思われるカキを取り出し、ナイフで抑えて無理やりに殻を開ける。

敵も手ごわい。

なかなか開かない上に、力を入れるために縦にしてナイフをつきたてているものだから、開いた瞬間に美味しいエキスが全部流れ出してしまったりする。

十一月も終わろうというのに燃える炎を前に汗だくになりながらアツアツのカキと格闘し、苦心して取り出した中身をいただく。

無論、最高にうまい!

そうやって食べておる間にも煙は目にしみるし、あちこちからカキのエキスが破裂音とともに飛んでくる。

お気に入りのジャケットを着ていったのだが、ばっちり全身オイスターだ。

だが不思議なことに、私はとても清々しい気分だった。

そうか、カキを食べるというのは本来こういうことか!と、なんだかすごく「腑に落ちた」のだ。

途中、寄生虫にやられているカキも一つだけあったが、考えてみればこれも当たり前だ。

海から揚げたてのカキをそのまま出しているんだもの。自然が相手だ、こういうこともある。

もちろん食べなかったが、自然からいただいたモノを食う、というそのすごく根源的な部分に触れられた気がして、ぜんぜん気にならなかった。

何の注意も払わずに口に物が入れられる事が、あまりに当たり前になっていたのだ。

食べ物一つにしても、自分の意思と責任で口に入れるようになろう。

そんな原始に帰った一日だった。

ちなみに紅葉は少し早く、来週また見に行こう、ということになり温泉に入ってその日は帰宅した。

う~ん、満足!


おまけ

次の週に紅葉を見に出た母に(いつ仕事してるんだ?)といったペ-スで電話をかけてきた父は結局仕事を途中でサボって家に帰ってきた。

あいかわらずのクソ野郎っぷりである。まあ、私には関係ないが。


いじめに負けるな!きっと明日は来る!なんて具合に勝利者の方々から敗者の君たちへ、見下したようなメッセージがとどく今日この頃。いじめられっ子のみなさん、お元気でしょうか。

社長とか校長とか、先生とか議員さんとか、社会に出てえら~くなった人たちがポンポンと自殺していく世の中で、自殺はよくないなんてしらじらしいメッセ-ジを吐く大人たちに、なにをかいわんや、と感じてらっしゃることでしょう。

最近に至っては、「高級霊の言う事にゃ、自殺というのは・・」なんてことまで飛び出す始末ですね。

どうやらこの世は修行の場なんだそうで、死んだら結果が出るそうです。

なので、この世にいるうちは救いはなさそうですね。

でも、自殺した人はペナルティがあるそうです。

ここでも結局あなたは不遇なわけです。


はて、自殺。


方法は様々あるけれど、最終的には自分で手を下すのが自殺ですよね。

つまり世に言う「いじめ自殺」とは、いじめられはしたが、勝手に死んだのはお前だ!というわけです。

この事には、ずいぶんと疑問がありました。

これって、りっぱな「他殺」、「殺人」じゃないのかな、と思っていたわけです。

いまだかつて、自殺の事例で殺人罪で起訴されたいじめっこも、殺人幇助で起訴された学校や先生、生徒などは一人もいません。

でも・・・・。

先に心から殺される、そんなことが人間には起こりうるとおもうのです。

そして体が、心の後を追って死んでしまう、ということが。


殺されるとまでは行かなくても、心を痛めつけられる事によってその人のある部分が死ぬことはもあります。

暴力的なパートナーやグループに逆らえない、(逆らう気力をつぶされてしまう)とか、無気力にされてしまい、人の言いなりになってしまう、とか。


無責任に命の尊さとか、励ましの言葉とか、説教じみたセリフを君の背にのっけてくヤツラの声なんか、ほっておいてかまいません。

たぶん、今あなたにもっとも必要なのは、安心できること。

そのためには、無条件の共感を持ってくれる人と、誰にも犯されない場所と時間が必要です。

もしそういった環境がないのでしたら、プロのカウンセラーに相談するのも手だとおもうのです。


安心、してみませんか?


追伸

そうそう、体は死んだら生き返りませんが、心はそうではないかも・・・と私は考えています。