てざわりの記憶 -11ページ目

てざわりの記憶

目で、手で、耳で、時には舌で触れる日々の手触り。

その記憶。

このタイトルを見て「レダ?」とつぶやいた方。

一晩語り明かしましょう(笑


もうずいぶん前のことになるのだけれど、大好きだったCMのキャッチコピーがあった。

確かNTTのCMだったとおもう。

「言えなかった言葉たちは、どうしていますか」

というものだ。

素直に「きゅん」と来た(笑

多くのキャッチがそうであるように感情や時代を適当に切り詰めたうえに薄めたような軽薄な「落ち」でなく、ここからそれぞれの心に染みていく「はじまり」の要素を感じる良いキャッチだとおもった。

言えなかった言葉たち。

率直に感情を表すことが出来ない私の中に、それはもう数え切れないほど転がっているのだった。

照れくさくて言えなかった言葉、悔しくて飲み込んだ言葉、ぶつけられなかった怒りの言葉、言うべきだった謝罪の言葉。

どれを思い起こしてみても、その時の感情がありありと浮かんでくる。

その上、どいつもこいつも「なんであの時に言わなかったんだよ!」と私に恨み顔だ。

ごめんごめん。

勇気が無かったんだよ~。

言う気が無かったんじゃないんだよ~。

・・・・お、少しおさまったぞ(笑


とまあ、こんな感じである日突然に行方不明だった自分の気持ちに出会う事がある。

でも、それはきっと、自分の中にそれを受け止める準備が出来たからなのかな、と思う事にしている。

ああ、今ならこう言う事が出来るのに。

長い時間を掛けて、より良い答えにたどり着く事が出来るようになったのだ、と。

後悔先に立たずとはよく聞く言葉で、もちろんそのとおりなのだけれど、自分の中に残った宿題なのだ、と考えれば、くよくよするのもアリだろう。

あの日終われなかった宿題を抱え、今日もまたくよくよと生きている私なのであった。


 岡山市で昭和40年に強盗殺人事件を起こし、無期懲役の判決を受け仮釈放中の平成18年、交際相手の女性を絞殺したとして、殺人罪に問われた溶接工、佐々木勉被告(62)に対する判決公判が30日、金沢地裁で開かれた。堀内満裁判長は「強固な犯意に基づく冷酷非情な犯行で、被害者の苦しみや恐怖は察するに余りある」として、求刑通り無期懲役を言い渡した。

 堀内裁判長は判決理由で、「動機の根底には強い独占欲と執着心があり、自己中心的」と指摘。犯行後の態度などからも「犯した過ちと向き合い悔いる姿勢は認められない」と断じた。

 一方、「仮釈放後26年間、新たな刑事事件を起こさず、社会内で更生の道を歩んできた」点を考慮。「極刑をもって臨むべき事案とまでは認められない」とした。

26年間刑事事件を起こさなかったって、そんなの褒められることなのかな(笑

ということは、この人の26年間は真面目に暮らしてきた人の26年間よりも上だと言うことなのか?

今私が事件を起こしたら、刑事事件を起こして来なかった過去の人生分を計算に入れてくれるのだろうか。

そんなことはあるまい。(この人に死刑になれ、って言ってる話じゃないよ 笑)


私は、こういうのが大嫌いだ。

普段人に迷惑をかけてばかりいる人がたまたま良いことをやると、バカみたいに評価が上がることがある。

そんなのまったく公平じゃない。

もちろん行為自体は褒められても良いが、それでその人自体の評価が過剰に上がるのはよくないと思うのは私だけだろうか。

昔悪かったが、今はこんなに立派になりました、なんて話はぜんぜん良い話ではない。

そのときに傷を受けた人が今もまだ苦しんでいるかもしれないのだ。

無論、当人はそのときの事を反省しているのかもしれないが、傷を受けた人は結局はその人自身の責任においてそれを乗り越えなければならない。

酷く迷惑な話である。


イジメやパワハラ、モラハラ、DVで苦しんでいる人たちがいます。

苦しみのあまり自殺を選んでいく人が引きもきらない。

辛い気持ちを、ぜひ誰かに訴えて欲しいとおもうのです。

信頼できる身近な人や各種相談窓口など、場所自体はいろいろとあります。

もちろん、それらを探したり、訴えたりすること自体もかなりのパワーが必要でしょうし、その気力も中々出すのが難しい状態なのだと思うし、加害者からの報復の不安も抱えていることだろうと思います。

それでも、どうかそうしてほしいのです。

あなたが死んでも、その原因を作った人はそんなことはとっとと忘れ、次の犠牲者を探しに出かけるでしょう。

たとえニュ-スになろうが加害者に実刑が下ろうが、世間は結局は死んだものの事など忘れていってしまう。

ただ、本当にあなたのことを心配してくれた人たちだけがいつまでも大きな心の傷に苦しむことになるのです。

そんなツマラナイ事の犠牲になるには、あなたの命は価値がありすぎる。

何も彼らの思いどうりに消えたりダメになったりすることはないのです。


加害者の自覚がある人たちもまた、是非一度カウンセリングを受けて欲しいと思う。

自覚があること自体自分を見つめることが出来ている一端なので、ほとんどは思い過ごしだと思いますが(笑

でも、もし自分が加害者であることに気づき、そんな自分に嫌悪感を覚えながらもそこから抜け出すことが出来ないで悩んで居るのなら、きっと専門家たちが力になってくれると思います。

簡単な道ではないけれど、自分自身と向き合い、変わっていく覚悟があるのなら(また、その覚悟をする手伝いが欲しいと思うなら)、専門家の方々はあなたを尊敬して受け入れてくれ、寄り添い、共に歩んでくれます。


被害者にしろ加害者にしろ、回復に向かう道の途中にはいろいろあることでしょう。

でも、決して一人で歩く必要はないのです。


というわけで、みんな気軽にカウンセリングにいこう!><



被告は事件当日、排水検査を装ってアパートを回ったことについて「ロールプレーイングゲーム感覚だった」と説明。本村さん宅を2回訪れたのは「優しそうな弥生さんと話したかったから」とし、乱暴するためでないと述べた。 

出ました「ゲーム感覚」(笑

よくニュ-スなどで取り上げられるこの言葉、果たしてどういうことなのだろうか。

一般的には「現実感が薄く、重大なことを何の気なしにやってしまう」や、「遊び半分で人や物を傷つける」などといったふうに使われることが多いようにおもう。


だがしか~し!

これは私のようなゲーム好きに言わせればとんだ誤解なのである。

格闘ゲームの敗北に肩を落とし、RPGのストーリーに涙し、美少女ゲームのセリフに酔いしれ、友人とのTRPGの一夜に幻想の大地を駆ける・・・。

(キモイとかいわない)


このようにゲーマーは、いつだって真剣にゲ-ムをしているのだ。

その真摯さが学業や仕事に向けば、必ずや一定の成果をあげられることだろう。

そこには世間一般で言うお気楽な「ゲ-ム感覚」などは存在しない。

ゲ-ムを軽んじているのはゲ-ムをしない人たちである、ということを言っておきたい。

ただ、ゲ-ムによって現実の生活に不都合が生じるようでは、やはり問題があるとおもう。

なのでその場合こそ「気軽」にカウンセリングル-ムを訪れて欲しいと思う。


「ゲ-ム感覚」、「心の闇」、「キレる子供たち」などといったキ-ワ-ドには要注意。

本来、一言では表せない複雑な事情や感情があるにもかかわらず、それを適当に薄めて切り飛ばし、大して考えもせずに使えるようにしてしまう危険がある。


最近、子供や若者に流行の「うざい」もそのひとつだろう。

この言葉の便利で恐ろしいところは、言う方は相手を傷つけたいという感情さえあれば大して頭も使わずに使えて、使われた方はそれを自分で知っている自分のネガティブな部分に勝手にあてはめて傷ついてしまうところだ。

それは言われた方はショックだろう。

自分の傷口の一番痛いところに、相手から渡された塩をすり込んでいるようなものだ。

なのでもし言われたのがパ-フェクト・ポジティブ星からやってきた超前向き人間だとしたらポカン、として「ねえ、それどういう意味?」と聞き返すことだろう(笑


うざい、と言った方は相手がどれだけ傷つくかを考える必要がない。

そもそもどれだけ傷つくかは予測不可能だし、相手は勝手に傷ついた、とさえ言える。

実に効率の良い方法なのだ 。

私が小学校時代にした口げんかなどでは、どんな酷い言葉をかけてやろうかと頭をひねったものだが。(オイ)

だけど、頭をひねったぶんだけ越えてはならない一線、これだけは言ってはいけない言葉というのにも考えが及んだのも確かだ。

たとえば、本人のことだけで家族の悪口は言わない、経済状態には口出ししない、相手が心底悩んでると思われることには口出ししない、身体的な欠陥は言わない等々・・・。

そう考えてみると、友人たちとの怒鳴りあいは、ある種コミニュケ-ション能力の発達に寄与したとも言えるのかもしれない(もちろん、ベストなやり方とはいえないが 笑)。

一度、興奮して思わず一線を越えた言葉を発してしまった時は、一瞬にして場は凍りつき、誰も彼もが気まずい雰囲気になってしまった。

そしてその友人との仲直りは、とっくみあいにまで発展したときのものよりもはるかに困難で時間のかかるものになった。


そんな思慮が一切いらないのが「うざい」と言う言葉だ。

あなたが大人なら、子供たちには出来れば使って欲しくない言葉だと思うだろう。

もしあなたが幼い子供に「どうして、ひとの悪口をいってはいけないの?」と問われたとき、あなたはどう答えるだろうか。

もしくは「なぜ、ひとをころしてはいけないの?」と問われたとしたら。

法律だとか、一般常識だとかの説明だけでは、決して子供を納得させることは出来ない。

子供は試しているのだ。

あなたの人生を、経験を、そしてそこから学んだあなたの信念を。

そしてその答えから、この先自分を待っている多くのものの価値を学び取ろうとしているのだ。

その答えは、あなたが自分だけの言葉で語る以外にない。


市教委によると、教諭は男児が授業中に立ち上がるなど落ち着きのなさが目立つことから、5月下旬の学級会の時間に男児に対して「困っているところ」と「良いところ」を作文にして書くよう指導。


少し前になるけれど、上のようなニュ-スが載っていた。

そういえば自分にもそんなことがあったなぁ、と思い出す。

そっかぁ、今はこんなことがニュ-スになる時代なのか。

正直、自分は問題のある児童だったと思う(笑

小学校二年までは授業に集中するのが苦手で(さすがに歩き回ったりしたことはないけれど)よく先生にふとももを叩かれて腫らしていた。

何度注意されても忘れ物をしたし、宿題もあまりやってこなかった。

そのくせ妙に大人びたところがあり、学校以外では「しっかりした子」で、周りの大人からすればわけがわからない子供だったことだろう。

養護学校に転入させたほうが、という話もあったが、いつのまにか立ち消えになったようだ。

四年生になったときの担任の先生とは特に相性が悪く、私についての学級会が二度ほど行われた。

ていの良い吊るし上げ大会ではあったのだが、よほど私のことを腹に据えかねたのだろう(笑

確かに私はクソガキであった。あの先生の苦悩も今ならわかる。

タイムスリップができるなら是非当時に戻ってS先生の話をじっくり傾聴させていただきたいと思う^^;

無論、間違った行動を学習してクソガキになってしまった当時の私にも。


今でこそ「心の時代」であるが、当時はカウンセリングという発想もその専門家も少なかったので無理もないことかもしれない。

学校、家庭、私自身、と誰もが閉鎖空間の中でもがいていた。

そういう意味では、スク-ルカウンセラ-という制度はすばらしいことだと思う。

なにせ、親でも先生でも生徒でもない人なのだ。

なに言ったって良いのだ(笑

何でもいえる関係、とは親子関係や友人、先輩後輩などでよく使われる言葉だが、日常接する相手にはどうしたって何らかの利害関係(言い方は悪いけど)が存在する。

誰でもない相手にしか話せないこともある。

親-先生、こども-親、先生-こども、どれもお互いに背景があり、立場や考えの違いがある。

親と先生が対立してしまったら、子供はどんなにか不安を覚えることだろう。

どちらも信用できなくなってしまうかもしれない。

私にも経験があるが、本来頼るべき大人が互いに対立し、ある大人と居るときは「○○の言うことは信用してはいけない」と言われ、別の場所では「XXの言うことを聞くなら裏切り者だ」などと言われたりする。

無論、言葉で言われなくても態度で示されれば同じことだ。

そんな子供にとって(親や先生にとっても)スクールカウンセラーは救いになることだろう。

なにせ、親でも先生でもないのだからすばらしい(笑


私自身、あの頃、もしもSCがいたらなぁ、と思う。

保険の先生はとても良い人だったが、うちのご近所様だったのだ(笑

子供心に、変なことは言えないと思っていた。

まあ、なんにせよ時間は戻らない。

過去と他人は変えられないのだ。



そういえば小学校の交通標語の公募に「しんじるな ひとも じぶんも しんごうも」と書いて出して変な顔されたっけ。

ケッサクだとおもうんだけどなぁ(笑

少し個人的な感想の話になりますが・・。
最近、ニュ-スで話題の山口母子殺人事件。
あまりにも残酷なその内容、そして突如浮上した容疑者の荒唐無稽な証言に、心理的側面から興味をもたれた方も多いのではないでしょうか。
私もその一人で、ニュ-スやネットなどで見かけるたびに考えさせられていました。
でも、当初から抱いていた疑問が一つあったんです。
はたして、どこの心理の専門家があの証言を引き出したのか。
確かに以前の精神鑑定で「未成熟な精神状態」は認められたものの、その後のスト-リ-はどう考えても被告人と弁護団の造り上げたスト-リ-です。
それにしたって、あの証言内容は少々極端に過ぎます。
死刑反対論者の集まりなのは良いとしても、あれではあまりにも・・・。
なんて思いながら、今朝もニュ-ス番組の中で、熱く語るキャスターを眺めておりました。
チャンネルを回して見ても、どこも同じ内容。
ネットで見てみても、ものすごい多くのブログで取り上げられています。
・・・あれ?
そういえば、一つの事件、その裁判内容についてこんなにも多くの人が自分の意見を上げているのも珍しいな、と思いました。
そこでピ~ンと来たわけです。
そうか、弁護団の目的ははじめっからこれだ!と。
間もなく、裁判員制度が始まり、今回のような重大犯罪が裁かれることもあるでしょう。
その時のために少しでも裁判に対して自分の意見を持ってもらいたい、そして死刑制度に対して論じてもらいたい、そういう思惑があったのではないでしょうか。
最高裁からの差し戻しがあったわけですから、おそらく死刑は確定でしょう。
では、出来ることは何か・・・必死で考えたんだと思います。
荒唐無稽な発言で世間の注目を集め(実際それは成功しました)やがてバッシングが落ち着く頃に死刑というものについての議論へと推移してくれればいい・・・と。
そうでも考えなければ、あの証言内容は到底受け入れられるものではないと思います。
・・・しかし、もしもこの考えが当たっていたのなら、弁護団に対して新たな失望を覚えざるを得ません。
なにせ、自分たちの目的のために二人の被害者とその遺族、そして何より弁護士が守るべき被告人の人生を利用したわけですから。

・・・・あ、あくまで私の個人的な推察ですよ?←弱気