てざわりの記憶 -19ページ目

てざわりの記憶

目で、手で、耳で、時には舌で触れる日々の手触り。

その記憶。

野球の国際試合を見ようとおもってはや起きをしたら、雪が降っていておどろいた。

積もるほどながいあいだは降らななかったけれど、風にのって雪が降りて来る様は、いつ見ても新鮮だ。

・・・・。

こんなことを書くと、雪か雨か鬱のとき以外は更新されないブログなのかと思われてしまうので、今日は違うお話を。

エアコンの調子がおかしい!と気がついたのは昨晩のことだった。

昨日は久々に冷え込んだ一日で、夜の十時に帰宅してからはずっとエアコンをかけていた。

リフォ-ムをしたこともあり、そんなに高い温度にしなくっても気密性が高いので苦にならない。

しかし、温風をかけながら机に向かっていると、どうにも目がしょぼしょぼするし、息苦しい感じがする。

う~ん、なんだろうな、と思いつつ見上げると頭上にはさやさやと温風をおくってくるエアコンの姿が。

もしや!

私の脳裏に、エアコンの内部にびっしりと巣食う黒カビの恐怖がよぎった。

そんなこんなで急遽、真夜中のエアコン大掃除になったのだが、開いてみてもホコリはたまっていたもののカビの姿は見えない。

ウンニャラカンニャラの機能で自動内部清掃と防カビ機能があるらしいし、買って一年未満だし。

一応簡単ながらフィルタ-等の掃除を済ましたのだが、明らかにエアコンからの風に刺激感がある。

まいったなあ、この時期ぜんそくもあるし。

・・・・もしかして花粉!?

いやいや、まさかエアコン様が花粉ごときを通しはしないとおもうのだけれど・・。

そういえば、今年は国際ぜんそく年らしい。

ぜんそく死をへらそう、というキャンペ-ンで、テレビCMなどもやっている。

良い予防薬のおかげで近年は私も大きな発作は出なくなってはいるものの、油断はならない。

もともとぜんそくという病気は偏見が多く、それで死に至る事を知らない人も多いとおもう。

ぜんそくに限らず、病気と言うのはいっさいが自分の体の中のできごとなので、基本的には人にはわかってもらえないものだ。

万人がかかる風邪だって症状は千差万別で、「風邪くらいなんだ!」なんて自分の軽い症状に照らし合わせて他人の様を診断する人もいるが、そんなあなたに今の私の症状をそっくりプレゼント、などと思ってみてもやっぱり無駄で、苦しい上に嫌な思いも背負い込んでしまうばかりである。

子供の頃は医者に行くのが好きだった。

なぜなら、きちんと診断してもらえれば、私が病気の症状で苦しんでいるのか、甘ったれて嘘をついているのかがきちんとわかってもらえるからだ。

そんな方々のおかげで人前でせきをするのも薬を使うのもすっかり怖くなってしまい、発作が出ても誰にも言えずに大事になる、というのも数度あった。

社会人になってからも一度やらかしてしまったが、さすがに周りに多大な迷惑をかけてしまったので、それ以来気をつけている(それじゃ遅いのだが!

そんなわけで、病気になっても得な事はなんも無いので、病気は予防が一番です。

自分は病気の時は優しくしてほしいなんて言うくせに、人の病気にはしごく冷淡なクソヤロウに傷つけられるのはまっぴらゴメンなのです。


一人暮らし。

その甘美な響きは、高校時代の私を実際、魅了していた。

専門学校時代は結局学生寮だったので、その夢がかなったのは就職してからだった。

一人暮らしを始めたらこれをやろう、と思っていた事もいくつかあって、そのうちいくつかは実行され、そしていくつかはかなわなかった。

真夜中にコンビニに行くこと。

必用にかられて食べる苦手な食材の料理。

ネコを飼う。

ヤケ喰い。

思う様、友人達と過ごすこと。

お風呂に好きなだけつかる。

等々。

中でもずっと憧れていて、でも出来なかった事が、「行きつけの喫茶店をつくること」だった。

もともと店に長居するのが苦手なのに加え、たいがいの喫茶店にはもう常連の客達がいて、その仲間に入っていくことがどうしても出来なかった。

常連、というのはただ単に行く回数が多い客、というのではなくて、その店の主人や他の顔見知りの客達と一種独特な世界を作り上げている人たちのことだとおもう。

その関係はシャボン玉にもにていて、馴染まないものとの接触は一瞬にしてその世界を破綻させるし、馴染むものであるなら易々と融合する事ができる。

そんな場所に無理矢理干渉するのは好きじゃなかったし(そう言った人を見るのはもっと苦痛だった)かといって溶け込む事も出来ず、結局なんだか居心地の悪いまま出て行く羽目になる。

そんなこんなでかなわぬ夢、だったわけなのだけれど、それでも長いこと一人暮らしをやっていれば自然と良く行く店、向うが顔を覚えてくれる店、というのはできるもの。

一つは前に書いたおにぎり屋さんで、もう一つは学生街の中にあった安くて美味しいとんかつ屋さん「ジュノン」。

そこはボリゥムもあってなおかつ美味しい、その上安いという学生ならずとも日参したくなるお店で、私も日曜はよくここでランチをとった。

ある日、きがつくと財布がない!ということがあった。

私は平謝りをしつつ、その旨を店員さんに告げた。

すると、カウンタ-の奥からいつも見かけるが話をした事も無い店長(また怖そうな人なのだ!)が出てきて私の顔を一瞥すると、「ああ、また今度でいいよ」とだけ言って奥に戻っていった。

家から遠くない場所だったので、無論すぐに財布を取ってきて支払いに戻ったのだが、店長は苦笑いをしながら「あんたのことは知ってるよ。本当に今度でよかったのに」と言ってくれたのを憶えている。

この「あんたのことは知ってるよ」のセリフにしびれた私は、ますますその店に通うようになった。

だが、店長と話をしたのは、後にも先にもあのときだけだった。

でも、話なんてべつにしたくなかった。

私が来ているのを店長が知っている。

なんだかそれで十分だったのだ。

あのとき、初めて自分が店の「常連」になれたような気がした。

そこは喫茶店ではなかったし、相変わらず長居は苦手だったが、とても居心地が良かったのを覚えている。

何も、内輪話で盛り上がるだけが常連ではないのだ。

子供を守る、と言う事が最近のニュ-スのキ-ワ-ドになっている。

通学路に保護者や地域の方が交代で立ったり、防犯グッズをもたせたり、携帯で子供の位置情報がわかるシステムを取り入れたりと、自治体や各学校もいろいろと工夫をしている。

もっとも、私が子供の頃にもしこんな「どこにいても親に居場所がわかる装置」があったとしても、そんなもの冗談じゃないと思っただろうし、たぶんわざと家に忘れたりして持ち歩かなかっただろうとは思う。

ある程度大人になった今となっては、このご時世、子供にそういったモノを持たせる親の気持ちも良くわかる。


ニュ-スなどでご存知の方も多いと思うけれど、また痛ましい事件が起きた。

こういった事件が起こったときの常として、「動機の追求」がある。

過去、凄惨な事件が起こるたびに取りざたされてきた「動機の追及」ではあるが、はたしてそれらは本当にきちんとした追求がなされてきたのか、そしてそれが何かに生かされてきたのか、と考えると少し疑問に思わざるをえない。

もうだいぶ前になるが、これも東京のある幼稚園で子供が他の園児の母親に殺される、と言う痛ましい事件があった。

そのときに一躍紙面やテロップを飾った「心の闇」という言葉。

私は、この言葉にずっと違和感があった。

人の心の動きと言うのは大変複雑で、事件に至ったその心の推移も、全てを解き明かすのは恐らくは不可能であるとおもう。

そこでマスコミなどは便利な便利な「心の闇」などという言葉にすがり、園児を殺した母親を一般人から隔離し、その存在を社会から放り出してしまった。

真にこの問題に迫ろうとすれば、おそらくは社会の問題も出てくるだろうし、結局は一人一人の生活のあり方にまで及んでくる深い問題だったろうと思う。

そんな報道の結果人々は自らを鑑みる事をせずに、あくまでブラウン管(・・・この言い方も、もう古い? 笑)や紙面の「向う」の事件として捕らえることができる。

・・あるマンガの一節だが、読んだ瞬間に真からしびれた言葉がある。

「悪意はない、だからこそ差別はなくしがたい」

「無関心が人を傷つける。 無知は罪だ。 悪意は無くとも、(無関心にその社会の一員である事に対して)皆、共犯者だ」、と。(ブラックジャックによろしく 第四巻ベビーER編より)

まあ、もっとも世界中で起きている事件の一々を自分と絡めて観ていたら身が持たないのではあるけれど、いろいろと考えさせられた。


先の東京の事件も、今回の事件も同様に思うのが、「この母親を救ってあげる事が出来なかったのか」ということだ。

育児の事で幼稚園や、相談所などに何度か相談に行ったそうなのだが、そこでの対応は果たして十分なものだったのか。

無論、相談所だって神様ではないから、対応しきれない事だってあるだろう。

そう判断した時に、果たしてどうすればこの親子にとってより良い環境を与える事ができるのか、またそれを判断して対応する専門家がきちんと居たのか、居たとしたらそれが育児のためのあらゆる機関や専門家とが有機的なリンクとして働いていたのかどうか。

虐待の問題もそうで、無論一番の被害者は子供であるわけだが、もしかしたらその親が、自分の子供を上手く愛せなくて心底悩んでいるかもしれない。

心の問題と言うのは、何か一つ「原因」を絞ってそれに徹底的に対応していく、と言うような「ウイルス退治」とは訳が違う。

いわばいろいろなものとの「かかわりあい」「関係の仕方」にこそ問題があって、それは解かりやすく対象化できるものではなかなか無い。

「動機の追及」は難しい。

本人に聞いたら全部解かるのかというと、おそらくは自分自身でもよくはわからないのではないだろうか。

安易に解かりやすいキ-ワ-ドでまとめ上げるのではなく、いろいろな方面からの分析が必要だと思う。

子供を守る手段の一つとしても、悩みを抱えた人がふらりと訪れる事ができるような場所があればいいのにとはおもう。

とはいえ、気軽に人に相談ができるような人は、初めからこんな事にはならないのだろうけれど・・・。

亡くなった子供たちの冥福と、事件を起してしまった彼女の幼い子供のこれからの健やかな成長を祈りたい。

観るとかならず泣いてしまう番組というのがあって、オリンピックの開会式と閉会式がそれだ。無論セレモニーも素晴らしいのだけれど、私が一番好きな、そして泣けるのは入場行進。

だって、みんな楽しそうで、仲が良さそうなんだもの。

この人たちが日夜殺し合いをしている国同士の人たちだなんて、もはや本当と思えない。

どの国のどんな人だろうとお互いに歓迎しあって、抱き合い、握手をし、微笑みあう。

もうそれだけで感動してしまう。

そりゃあ、それぞれの国や民族の人たちの言い分もあるだろうし、お互いにそれが正当な事だと信じて戦っているのかもしれない。

憎しみやわだかまりもあるだろう。

間違っていると感じつつも戦わざるをえない人たちもいるだろうし、間違っていると言ったばかりに投獄されたり、悪くすると殺されたりした人もいるだろう。

古い麻雀マンガの一説に「ヤクザだって人の子だ。誰が喜んで血を流す」というセリフがあった。

戦争が正しいことではないだなんて、本当はみんなわかっているはずなのだ。

では、なぜ戦争は終わらないのだろう。

戦争をしたほうが楽な何かがあるのだ。

和平を求めて憎しみをかみ殺し、その憎悪をそれぞれが墓まで持っていって終わらせよう、子供たちにはこの憎しみのバトンを渡さないようにしよう、などという覚悟を皆に求めるよりも憎しみをあおったほうが楽だし、選挙になれば票も集まるからだ。

個人個人もそうだろう。憎しみは消すよりも燃え上がらせるほうが断然楽だし、それがもはや取り返しのつかない所まで行ってしまって、戦争にしがみついてしまっているような感じさえある。

戦争を否定されると、とたんに今までの自分の人生が虚無なものになってしまう、と感じるのだろう。

自分が「本気」であると示すために人を殺すし、子供を自分と同じ人殺しにそだてようとするわけだ。

こうなるともはや一種の依存症である。

ある国では、そうやって過激な運動を主張してきた団体が選挙で第一党に選ばれて悩んでいるという。

過激な言動と運動で人心をつかんできたは良いが、第一党となれば大統領も選出して、文字通りその国の顔として世界と関わっていかねばならない。

そうなれば無論、世界の国々との折衝の中で、今までのように過激な事ばかり言っていられるわけがない。

態度を軟化すれば票は離れるし、暴力以外の折衝の経験が乏しいその党は、敵だった穏健派などに相談を持ちかけているらしい。

今までいろいろ言ってきたけど本当に選挙に勝っちゃった、どうしよう;;と。

ほ~らみろ!

矮小なヒロイズムに駆られてこんな所まで来た挙句、本当の当事者にはなりたくなかったわけだ。

それから金メダルいくつ取れる、とか言う人たち、あんたらもだ!

無責任にそんなことをいうくらいなら、アンタが努力してあそこに立ってりゃよかったじゃない。

そいでメダルを取ってこいよ、至上命令なんだろ、と言わずに居られない。

テレビの前で文句をつけるやつは、一週間でも彼らと同じ練習メニューをこなしてみたのか。

試しにどの競技でもいい、その競技で最下位になった選手と勝負してみてはどうか。

・・・ちょっと熱くなってしまいました^^;

どちらにしろ、本当の当事者から遠い所に居る人たちは好きなことがいえるよな、というおはなしでした。

斯く言う私も、戦争を経験した事はないのだけれど。

でも、オリンピックの開会式をみて「みんな仲良しでいいなあ」と思うくらいは平和主義なのでした。

毎度お馴染み チリ紙交換


ご不要になった思い出 期限切れの言葉 疲れた人間関係 などなど


ございましたら このチリ紙と


一山いくらで 交換します


 まっておじさん。ここにきて こいつをひとつ もってって


ヘイヘイ こりゃまた 年代モノだ ずいぶん古いが 用済みなのかい?


 そんなとこだね かかえてたって おもいだけ しまいこんでた 言葉たち


そっかそいつぁ やっかいだ どうだいひとつ このおいちゃんにいってみちゃ


 どうせゴミなら いいかもね そいじゃあすこし きいとくれ


「あなたのことがすきでした どうしていいか わからなくて 怒ったり だいじにしたくて おくびょうになったり いちばんすなおでいたいのに いちばんわがままになったり いちばんいいところをみせたいのに いちばんイヤなすがたをみせたり あいしているのに傷つけて 不安にかられて ためしてみたり わたし あんなに人を愛したのに どうして上手くいかなかった 愛はすばらしいものだと 聞かされてきたのに あなたわたしも傷ついて 疲れていくばかりだった  あたしはそう振舞いつづけて あなたは逃げなかった そうすることが もはや二人の絆になって 永遠に近づきつづけて 決して触れ合う日はこない パラドックスのような日々 こうなるまえに わかれるべきだった ずっとわかっていたけれど」


ふうん なるほど すててしまっていいのかい?


 いいからちゃっちゃと もってって 用済みだっていったでしょ 


そうかそれなら もってくよ これならチリ紙 三つだな


 なんだずいぶんすくないね バラしたアイツはも少ししたよ


これ以上には ならないね


 あたしつけたら どのくらい?


うちは生ゴミ やんないよ 来週火曜にそこにいな


 そっか それなら そうするわ なんだ結局 同じところにいくわけね



毎度お馴染み チリ紙交換 


ご不要になった思い出 期限切れの言葉 疲れた人間関係 などなど


おっと 生ゴミを自認される方は 来週火曜 朝八時 生ゴミ置き場に出てておくれ